謝罪詔勅草案
投稿者: satoshis04 投稿日時: 2005/07/13 23:33 投稿番号: [9985 / 230347]
即位以来二十余年、始祖以来の代々の天皇と国民に背くことのないよう日夜勉めてきたが、時の流れを変えることができず、善隣との友好を失い、列強と戦い、遂に悲痛なる敗戦に終わり、今日の如き甚だしい惨禍を招くに至った。
屍を戦場に暴し、また戦場で命を落とした人々は数えようもなく、死者とその遺族に思いを致すとき、真に心痛の思いを禁じ得ない。また戦傷を負い、戦災を被り、あるいは異国の地に抑留された人達や外地で財産を失った人々も数え切れない。その上一般産業の不振、諸物価の高騰、衣食住の窮迫などによる数えきれないほど多くの人々の塗炭の苦しみは、まさに国家未曾有の災いというべきである。静かにこれを考えるとき、心配の炎は身を灼くようである。身は皇居内にあっても心は安からず、国民のことを思うとき、その負荷の重さに途方にくれるばかりである。
然しながら現今は稀有の激変期にあり、世情は騒然としている。自分一人を正しく潔くすることを急ぐあまり、国家百年の憂を忘れ目先の安らかさを求めることは、真に責任をとることにはならないと考える。内外の情勢を鑑み、敢えて身を挺して艱難に立ち向かい、徳行を修め善行を積み禍を払って、国家の再建と国民の幸福に尽くすことにより祖宗と国民に謝罪しようと思う。全国民もまた、朕の意を諒とし、内外の形勢を察し、心を合わせて協力し、それぞれの天職に尽くすことによってこの非常時を克服し国威をひろめることを心より願う。
「謝罪詔書草稿」の現代訳全文。
「昭和天皇謝罪詔勅の発見」
加藤恭子
文藝春秋社
2004.12
天皇の退位がどのような経緯で阻止されたのか、その結果は日本にとって吉か凶か、日本史のみでなく世界史的な観点から俯瞰してみるのも一助かと。
個人的には「道義的」責任などという定かならざるものを明確にする必要も意味もないと思います。そんな「奇特」なことをした国家は古今東西ないし、どこに戦争を総括する必要があるのか疑問に思います。
個々人の気持ちの問題でいいのではないでしょうか?
これは メッセージ 9970 (yoikowaruiko356 さん)への返信です.
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