yoikowaruiko356さん
投稿者: sadatajp 投稿日時: 2005/07/13 23:03 投稿番号: [9978 / 230347]
>私が考える総括には、貴方がおっしゃったことと、当時の指導者の法的ではない,道義的責任を明確にして戦争のけじめをつけることが本来、戦後の一番最初に日本政府がなすべき事だったと思います。
東京裁判の所為で日本政府には出来ませんでした。
日本政府がやれば東京裁判とは違った総括となったでしょう。
それは東京裁判を否定する事になります。許されなかった事です。
出来なかった事をやるべきだったと言っても仕方ありません。
今ならやろうと思えば出来ます。でもそれが東京裁判の否定になる事には変わりは無く、
今だ行われてる東京裁判史観の押し付けが日本自身の総括を邪魔してます。
やはり東京裁判史観に囚われなくならない限り日本自身の総括は難しいでしょう。
したところで東京裁判史観に染まってる者はそれを総括と認めないし。
まずは東京裁判史観から脱け出す事。総括はそれからです。
>責任論が一切介在しないものでは,総括というより歴史専門家による研究、と言う形ではないでしょうか。
あの戦争は、どんな状況の中、どんな要因があって、どんな経緯で、起こったのか。
戦争がどんな展開をしたのか。そして戦争の結果どうなったのか。
これがわかれば自ずと責任が誰にあったのかが浮かび上がります。
>敗戦時に天皇による国民へのどんなお言葉があったのか、わかりませんが、もし国民を無駄に死なせてしまったという、上に立つ者の痛恨の思いの断片でも、キチンとした形で話していれば、それだけでも戦後のけじめになったのではないでしょうか。
>謝罪を込めた国民に向けた声明のような話はあったのでしょうか。
痛恨の思いは語りました。あなたが望むものではありませんが。
国民を無駄に死なせてしまったというのはあなたの考えです。
あなたの考えと他の人の考える事は違います。
「上に立つ者」にもその人の考えがあります。
良い悪いの前に、その人はそう考えたのだと言う事を認めなければなりません。
これは メッセージ 9970 (yoikowaruiko356 さん)への返信です.
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