Re: 朝鮮人の厚かましさがよくわかります。
投稿者: aristoteresss 投稿日時: 2008/02/23 16:15 投稿番号: [91488 / 230347]
在日一世の記憶という証言集のサイトがあります。
ぜひ読んでください。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi/index.html
>>強制連行の話が聞きたくて、上からずーと見ていったのですが、第四八回から皆、自主渡航。
第四三回 突然、倉庫に入れられて北海道へ。
でやっと、強制連行に出会いました。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi/071025/index.html
で、内容は。
略歴/中国との国境地帯で生まれ、自由に中国に出入りした。一七歳のとき、沙里院で、一〇五人が列車に乗せられて強制連行。
北海道の京極町、脇方鉱山で働かされた。
わたしが生まれたのは今の北朝鮮、黄海南道の安岳郡大杏面です。大杏面の鶴峰里新基洞という所は住んでいる人はみんな全(チョン)姓を名乗っていました。
六人兄弟で、わたしが二番目です。妹が二人、その下に弟が二人いました。長男の萬純(マンスン)は平壌で飛行機の整備工をしていましたが、一九三七年に日本に引っ張られました。日本でも飛行機の整備工の仕事をしていたようですが、その後の行方はわかりません。
一九四二年七月か八月でした。沙里院の街で友達と昼飯に冷麺を食べ終わって食堂を出たとたん、
沙里院の役場の日本人に捕まりました。
日本人と朝鮮人の二人づれだったね。
集められて倉庫に入れられたのは農家の息子が多かったな。トラックに積まれて、田舎から連れてこられるのです。
夜までに一〇五人になった。
夕方になると握り飯が出た。たくさん作ってありました。好きなだけ食べなさいと言う。
先に入った人が「日本の戦争の関係で、俺たちを日本に引っ張っていくらしい」と噂しています。
「戸をあけろ!」 と怒鳴ったり 「親に知らせてください」と言ったりするけど、
朝鮮人の募集人が
「分かった、分かった」と言うだけで、さっぱり埒が明きません。
やがて人を集めていた朝鮮人の一人がわたしたちに言いました。「みんなは日本に行くのだから心配するな。親たちにはこっちから連絡する」、
有無を言わせない強制連行(脚注参照)です。
寝ることなんてできないまま、朝になりました。朝早く、沙里院の駅から汽車に乗せられました。出発して南に下っていきます。京義線を走り、車中で泊まって、翌日夜に釜山に着きました。
三人の日本人が見張り役でした。
翌朝関釜連絡船に乗せられました。下関で船を下りましたが、裸にされて白い粉を体に振りかけられました。消毒したのでしょうね。
下関の駅で弁当を食べました。その後は汽車に乗せられて青森まではずっと汽車の中でした。青森でようやく旅館に一泊しました。
>>色々書こうと思ったんだけど、止ーーーーーーめ。
要するに、募集ジャン。
野蛮人の朝鮮人が、百五人、見張りの日本人が、三人。
しかも、ご本人自身が、不良だと、仰ってますが。
其れが、北朝鮮から、北海道まで、朝鮮半島と、日本列島、縦断。
要するに、稼ぎに行ったんだろ、この嘘つき朝鮮人野郎。
此処に投稿している、在日の、お父さん、お母さん、お祖父さん、おばあさんの、強制健康の話を聞かせてくれ。
ぜひ読んでください。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi/index.html
>>強制連行の話が聞きたくて、上からずーと見ていったのですが、第四八回から皆、自主渡航。
第四三回 突然、倉庫に入れられて北海道へ。
でやっと、強制連行に出会いました。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi/071025/index.html
で、内容は。
略歴/中国との国境地帯で生まれ、自由に中国に出入りした。一七歳のとき、沙里院で、一〇五人が列車に乗せられて強制連行。
北海道の京極町、脇方鉱山で働かされた。
わたしが生まれたのは今の北朝鮮、黄海南道の安岳郡大杏面です。大杏面の鶴峰里新基洞という所は住んでいる人はみんな全(チョン)姓を名乗っていました。
六人兄弟で、わたしが二番目です。妹が二人、その下に弟が二人いました。長男の萬純(マンスン)は平壌で飛行機の整備工をしていましたが、一九三七年に日本に引っ張られました。日本でも飛行機の整備工の仕事をしていたようですが、その後の行方はわかりません。
一九四二年七月か八月でした。沙里院の街で友達と昼飯に冷麺を食べ終わって食堂を出たとたん、
沙里院の役場の日本人に捕まりました。
日本人と朝鮮人の二人づれだったね。
集められて倉庫に入れられたのは農家の息子が多かったな。トラックに積まれて、田舎から連れてこられるのです。
夜までに一〇五人になった。
夕方になると握り飯が出た。たくさん作ってありました。好きなだけ食べなさいと言う。
先に入った人が「日本の戦争の関係で、俺たちを日本に引っ張っていくらしい」と噂しています。
「戸をあけろ!」 と怒鳴ったり 「親に知らせてください」と言ったりするけど、
朝鮮人の募集人が
「分かった、分かった」と言うだけで、さっぱり埒が明きません。
やがて人を集めていた朝鮮人の一人がわたしたちに言いました。「みんなは日本に行くのだから心配するな。親たちにはこっちから連絡する」、
有無を言わせない強制連行(脚注参照)です。
寝ることなんてできないまま、朝になりました。朝早く、沙里院の駅から汽車に乗せられました。出発して南に下っていきます。京義線を走り、車中で泊まって、翌日夜に釜山に着きました。
三人の日本人が見張り役でした。
翌朝関釜連絡船に乗せられました。下関で船を下りましたが、裸にされて白い粉を体に振りかけられました。消毒したのでしょうね。
下関の駅で弁当を食べました。その後は汽車に乗せられて青森まではずっと汽車の中でした。青森でようやく旅館に一泊しました。
>>色々書こうと思ったんだけど、止ーーーーーーめ。
要するに、募集ジャン。
野蛮人の朝鮮人が、百五人、見張りの日本人が、三人。
しかも、ご本人自身が、不良だと、仰ってますが。
其れが、北朝鮮から、北海道まで、朝鮮半島と、日本列島、縦断。
要するに、稼ぎに行ったんだろ、この嘘つき朝鮮人野郎。
此処に投稿している、在日の、お父さん、お母さん、お祖父さん、おばあさんの、強制健康の話を聞かせてくれ。
これは メッセージ 91475 (tutu1029tutu さん)への返信です.
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