極悪非道な日本兵(悪魔)
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2008/01/26 11:11 投稿番号: [87474 / 230347]
気抜けしたような感じで、次の命令を待っていた私達は、再び病人や老人の寝ている家々に飛び込んで行った。そして5分とたたない間に、病気で歩けない者まで地面を引きずって、表の窪地に引っぱり出した。集められた人々は、皆老人や病人であり、若い者は一人もいなかった。中には幼子をふところに抱えたお婆さんもいた。
「チェッ!何て老いぼればかり残っていやがんだ。おい、セガレはどこへやった。八路軍はどこにいるんだ」通訳が、足もとにころがされている白髪の老人の胸を、棍棒でつつきながら、訊問を始めた。だが、老人はただの一言も語ろうとしない。
「こやつら皆オシの真似をしてトボケていやがる。構わないからぶん殴れ」分隊長の怒声の終わらぬうちに、一群の憲兵は手に手に棍棒で頭といわず、顔と言わず、土下座させられている全部で27、8名の老人をめった打ちにし始めた。
私は自分で引きずり出してきた、先刻の70歳位の老婆の背中を、両手で梶棒を握って、力いっぱいぶん殴った。ただ一回で、老婆はかすかなうめぎをあげて死んでしまった。
沈黙の反抗をしていた20数名の人々は、あまりの苦しさに、せきを切ったように大きな悲鳴をあげて、憲兵の拷問にもだえている。乳飲み子が火のついたように泣き出した。と、突然分隊長佐藤軍曹の怒声がした。「よし、こうなったら生田分隊長がいつも言っていた通り、どいつもこいつも全部殺してしまえ。一人も生かしておいちゃいかん。子供も皆殺せ」
苦痛にもだえながらも、頑強に八路軍の行方を語ろうとしないこれら年老いた中国の農民の顔には、ありありと死んでも殺されても、絶対に民族を売る事はできない、という鋼のような堅い決心と、侵略者日本憲兵に対する炎のような憎悪がもえていた。
まこと私達が赤化地区とよんでいたこの熱河の農民には、私達にはとうてい理解できない不屈の魂が身体中にあふれているようだった。だがこれまで数十名の農民を殺してきた私には、たとえひと言も口を割らない不屈の人間であっても、何の抵抗もできない青年や病人、婦人であっても殺すに何の手数もかからない。極めて無造作にやってのけられる仕事だ。分隊長の命令を聞くが早いか私は、腰の拳銃を取り出し、先程からの拷問に地に伏して悶え苦しんでいる老人の後頭部に銃口を押し当て、そこに倒れたり、座ったままでいる7人の老人を次々に射殺した。
私の同僚も、私と同様まるでだるま落としのパチンコでもやる時のような格好で、動けなくなった老人を片っ端から射殺している。
一番端の方で身体を伏せて、乳飲み子を懐に、我が身で子供を悪魔の手から守ろうとしていた老婆もまた、佐藤軍曹の拳銃一発で横に向き直り、乳飲み子をしっかり抱いたまま、低いうめき声をあげながら死んでしまった。佐藤軍曹は、片方の足で老婆の横腹をけったかと思うと、「エイッ!面倒だ、こ奴もやってしまえ」と舌うちしたかと思うと、見る間に泣き疲れ声も出なくなっている、何事が起こっているかも知らない二歳の男の子の頭は、一発のもとに撃ち貫かれた。
窪地はあたり一面血の雨が隆ったように、27名の撃ち殺された中国農民、老人、子供の真っ赤な血潮に、地面の色は赤黒く変わっている。そして、その血の海に落ちこんだかのようにもがき続けている。
撃たれてまだ死に切れない老人の頭の上から、密偵が運んできた藁くずや高梁桿を積み上げ、携行していた石油を振りかけ、火がつけられた。さらに十数名の憲兵は、手に手に火のついた高梁桿や木切れを持って、全部の家に火をつけた。高梁桿で茸いてある百姓家はバリバリッと爆竹の破裂するような昔を立てて、見る見るうちに燃え広がり、藁臭い煙の臭いが、地べたを這って流れて行く。表通りの窪地では、血に染められた27名の死体が、ジュジュと不気味な音を立てて燃えている。いい知れぬ、異様な人間の焼ける臭気が、鼻をついてくる。まさにこの世の地獄そのままである。
普通の人間では、とてもこんなむごたらしい光景の中に、ただの一秒間も眼を開けている事はできない。だのに、私は生きた人間の身体から血が噴き出し、悲痛なうめき声が聞こえ、燃え盛る火の手を見る時、無性に戦争に参加し、海を遠く渡って中国大陸までやってきた甲斐があるようにさえ感じ、日本に生まれてよかった、中国人に生まれていたらこんなひどい目に遭わねばならないと、心密かに喜びさえ感じていたのだ。
私は何という人でなしの鬼畜であったか…。
(うえまつ ならかず 中国帰還者連絡会会員)
【略歴】
1920年、奈良県主まれ。
1941年より軍隊に入るまで私鉄労働者(運転手)。
1942年、憲兵軍曹として熱河、錦川に播踞
「チェッ!何て老いぼればかり残っていやがんだ。おい、セガレはどこへやった。八路軍はどこにいるんだ」通訳が、足もとにころがされている白髪の老人の胸を、棍棒でつつきながら、訊問を始めた。だが、老人はただの一言も語ろうとしない。
「こやつら皆オシの真似をしてトボケていやがる。構わないからぶん殴れ」分隊長の怒声の終わらぬうちに、一群の憲兵は手に手に棍棒で頭といわず、顔と言わず、土下座させられている全部で27、8名の老人をめった打ちにし始めた。
私は自分で引きずり出してきた、先刻の70歳位の老婆の背中を、両手で梶棒を握って、力いっぱいぶん殴った。ただ一回で、老婆はかすかなうめぎをあげて死んでしまった。
沈黙の反抗をしていた20数名の人々は、あまりの苦しさに、せきを切ったように大きな悲鳴をあげて、憲兵の拷問にもだえている。乳飲み子が火のついたように泣き出した。と、突然分隊長佐藤軍曹の怒声がした。「よし、こうなったら生田分隊長がいつも言っていた通り、どいつもこいつも全部殺してしまえ。一人も生かしておいちゃいかん。子供も皆殺せ」
苦痛にもだえながらも、頑強に八路軍の行方を語ろうとしないこれら年老いた中国の農民の顔には、ありありと死んでも殺されても、絶対に民族を売る事はできない、という鋼のような堅い決心と、侵略者日本憲兵に対する炎のような憎悪がもえていた。
まこと私達が赤化地区とよんでいたこの熱河の農民には、私達にはとうてい理解できない不屈の魂が身体中にあふれているようだった。だがこれまで数十名の農民を殺してきた私には、たとえひと言も口を割らない不屈の人間であっても、何の抵抗もできない青年や病人、婦人であっても殺すに何の手数もかからない。極めて無造作にやってのけられる仕事だ。分隊長の命令を聞くが早いか私は、腰の拳銃を取り出し、先程からの拷問に地に伏して悶え苦しんでいる老人の後頭部に銃口を押し当て、そこに倒れたり、座ったままでいる7人の老人を次々に射殺した。
私の同僚も、私と同様まるでだるま落としのパチンコでもやる時のような格好で、動けなくなった老人を片っ端から射殺している。
一番端の方で身体を伏せて、乳飲み子を懐に、我が身で子供を悪魔の手から守ろうとしていた老婆もまた、佐藤軍曹の拳銃一発で横に向き直り、乳飲み子をしっかり抱いたまま、低いうめき声をあげながら死んでしまった。佐藤軍曹は、片方の足で老婆の横腹をけったかと思うと、「エイッ!面倒だ、こ奴もやってしまえ」と舌うちしたかと思うと、見る間に泣き疲れ声も出なくなっている、何事が起こっているかも知らない二歳の男の子の頭は、一発のもとに撃ち貫かれた。
窪地はあたり一面血の雨が隆ったように、27名の撃ち殺された中国農民、老人、子供の真っ赤な血潮に、地面の色は赤黒く変わっている。そして、その血の海に落ちこんだかのようにもがき続けている。
撃たれてまだ死に切れない老人の頭の上から、密偵が運んできた藁くずや高梁桿を積み上げ、携行していた石油を振りかけ、火がつけられた。さらに十数名の憲兵は、手に手に火のついた高梁桿や木切れを持って、全部の家に火をつけた。高梁桿で茸いてある百姓家はバリバリッと爆竹の破裂するような昔を立てて、見る見るうちに燃え広がり、藁臭い煙の臭いが、地べたを這って流れて行く。表通りの窪地では、血に染められた27名の死体が、ジュジュと不気味な音を立てて燃えている。いい知れぬ、異様な人間の焼ける臭気が、鼻をついてくる。まさにこの世の地獄そのままである。
普通の人間では、とてもこんなむごたらしい光景の中に、ただの一秒間も眼を開けている事はできない。だのに、私は生きた人間の身体から血が噴き出し、悲痛なうめき声が聞こえ、燃え盛る火の手を見る時、無性に戦争に参加し、海を遠く渡って中国大陸までやってきた甲斐があるようにさえ感じ、日本に生まれてよかった、中国人に生まれていたらこんなひどい目に遭わねばならないと、心密かに喜びさえ感じていたのだ。
私は何という人でなしの鬼畜であったか…。
(うえまつ ならかず 中国帰還者連絡会会員)
【略歴】
1920年、奈良県主まれ。
1941年より軍隊に入るまで私鉄労働者(運転手)。
1942年、憲兵軍曹として熱河、錦川に播踞
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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