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Re: Monjujzさんその3

投稿者: topics_jk 投稿日時: 2008/01/16 20:29 投稿番号: [86181 / 230347]
その3
>>『多くの農民たちは文盲であったがため』、『人口の殆どが農民であった当時の朝鮮 』は土地調査の時の話です。つまり併合直後です。
あなたの「近代以前の身分制度の論」では、何時没落両班や中人が文字を読めない農民になったのでしょう?<<
>あなたの「提示資料通りならば」の話ですね?
僕は、それに異論を挟んでいるわけですから、未だに検証しているわけです。推定値でしか有りませんがね。<
>>ちょっと待ってください。『多くの農民たちは文盲であったがため』、『人口の殆どが農民であった当時の朝鮮 』は私ではなくあなたが提示した資料にあったものです。忘れましたか?資料を使うときには、自分に都合のいい部分を使い、都合の悪い部分を否定する。そういう態度は卑怯だと思いますが、いかがでしょう?<<

僕の提示した資料に書かれていても、これを根拠に論を立てているわけでは有りません。あなたの提示による1割を根拠にして論を立てています。その資料は、その中の日本政府の設立した学校の記述部分を参考として提示しただけです。

>近代学校が出来ても、子供を学校に通わせるゆとりの有る家庭が、19年くらいで急激に増えたとは思えません。当時の貧困層では、子供といえども一家の働き手の一員ではなかったでしょうか?とても、学校へ行かせる経済的ゆとりは無かったと思います。
>>そうなんです、一方両班階級では男女共学に対する抵抗がありました。実は如何に子供を普通学校に通わせるか、ということでは当時の日本人は苦労しました。
そこで校長先生に就学率を上げるノルマを与えていました。で校長先生は一軒一軒回って、子供を学校に通わせるよう説得しました。
その結果として併合末期には6割の朝鮮人が学校に通うようになりました。
併合後19年というのは、ほぼ併合期間の半分位、少しずつ日本人の苦労が報われる時期であったと思われます。<<

  姜在彦さんは『近代における日本と朝鮮』第三版(すくらむ社   1981)で、朝鮮総督府が施行した教育について次のように評価しています。
>日本における“皇民化”教育の基本方針は、1911年8月の朝鮮教育令の公布に先だち、第一代朝鮮総督寺内正毅が同年7月、各道(日本の都道府県に相当)長官にあたえた訓示のなかに明示されている。つまり“今後朝鮮ノ教育ハ専ラ有用ノ知識ト穏健ナル徳性トヲ養成シ、帝国臣民タルヘキ資質品性ヲ具ヘシムルヲ以テ主眼”とする、日本の植民地支配に従順な奴隷教育である。>(96〜97頁)
  このように学校に行くことが「植民地支配に従順な奴隷教育」であるという評価をしています。ところが、彼はその直後に次のように論じています。
>初等教育であれ中等教育であれ、朝鮮人子弟の就学率はきわめて低く、未就学児童の比率はきわめて高かった。例えば1936年現在の適齢児童の就学率は25%(男子40%、女子10%)にすぎない。>(98頁)

1929年度の就学率25%と1936年度の就学率25%は、何の変化も有りませんね。
学校を幾ら新設しても、子供を学校に通わせることの出来る家庭は、決まっていたと言うことです。
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