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Re: Monjujzさんその2

投稿者: topics_jk 投稿日時: 2008/01/16 20:27 投稿番号: [86180 / 230347]
その2
>女性の識字については、宮廷に入る内命婦:官位正5品〜従九品(両班・中人・常人の子女)は当然有りますね。民間の両班・中人の女性も全員とは言いませんが、それなりの識字が有ったと思います。
>>それなりの識字がどの程度の割合か興味があります。黄真尹という例外があるにせよ女性は書堂にいけませんよね。彼女らの識字というのはハングルが中心と思っていいですか?<<

民間はハングルが主流でしょうね。黄真尹のような漢文に秀でた女性は少なかったと思いますが、ハングルは、かなり用いられていたようです。

※当時の支配者層である両班における公的な書記手段は漢文であり、中人・下級官吏の書記手段は吏読であった。従って、ハングルがこれらの階層において正規の書記手段として受け入れられることはなく、その結果ハングルは大体において民衆の書記手段として広まることになる。とはいえ、実際には民衆のみならず、両班階層の私信や宮中の女子間の公文書などにもハングルが盛んに用いられ、その使用はかなり広範囲に及んでいた。
「主に民衆の書記手段として用いられたハングルであるが、支配層におけるハングルの使用も少なくない。国王の記したハングル書簡としては、世祖の『上院寺御牒』(1464年)、宣祖の『御筆諺簡』(1603年)などをはじめとした筆写文献が現存している。また、李珥(李栗谷)、権好文、金尚容ら両班の文化人が時調(朝鮮の詩歌で和歌のようなものに当たる)を詠む際にも、ハングルが利用された。
ハングルによる文学作品も李朝を通して世に出ている。ハングル創製初期の詩歌『竜飛御天歌』、『月印千江之曲』は上述の通りであるが、それ以降にも『杜詩諺解』(1481年)などの翻訳漢詩集が刊行されている。中宗(在位1506年〜1544年)以降の作品として金&#32127;(1488年〜1534年)の「花田別曲」、李賢輔(1467年〜1555年)の「漁夫歌」、李滉(1501年〜1570年)の「陶山十二曲」など、数々の詩歌が残っている。ハングル小説として本格的な嚆矢となったのは許&#31584;(1569年〜1618年)の『洪吉童伝』があり、また日記文学『癸丑日記』なども17世紀から見られる。その他にも『春香伝』、『沈清伝』(いずれも年代未詳)などパンソリを起源とする小説がハングルによる書籍として刊行されたりもした。
開化期になると民族意識の高揚とともにハングルが広く用いられるようになる。1886年に井上角五郎によって刊行された「漢城周報」は国漢文(漢字ハングル混用文)であった。1894年に勃発した日清戦争の結果、朝鮮が清王朝の勢力圏から離脱すると、独立近代化の機運が高まった。1896年に創刊された「独立新聞」はハングルと英文による新聞であった。[1] これは分かち書きを初めて導入した点でも注目される。公文書のハングル使用は、甲午改革の一環として1894年11月に公布された勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まる。」
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