topics_jk さん
投稿者: monjujz 投稿日時: 2008/01/14 13:59 投稿番号: [85824 / 230347]
>1、は高官の話だけのものでしょう?其れも両班について1割の言及ですね?
官吏は殆どが中人身分ですからね。官吏は全員読み書きが出来るわけです。現役以外にも、これから官吏になる為に学問を学ぶ少年から、隠居した官吏も当然文字の読み書きが出来ますね。
「官吏は殆どが中人身分ですからね。官吏は全員読み書きが出来るわけです。」
これダウトです。先ず中人は科挙を受けられなかったはず。書堂にも行かず何処で読み書きを習ったのですか?
あなたの、階級としての両班、中人が全て(あるいは大半)読み書きができたという前提は無理がありませんか?
それから李朝の官吏って人口の何%くらいでしょう?
封建制だった江戸時代でも武士の割合は確か5%くらいだったと記憶してますけど。中央集権だった李朝はそれよりずっと少なかったでしょう。
その狭き門を全ての両班、中人階級が目指していたとは思えません。
>2、はソースが併合後の話ですから(2.李朝時代、農民は全人口の8割、しかもほとんどが貧しかった。)
これを認めませんか?あなたが出した資料にも書いてありますよ。資料として出すんだったら、まず良く読んでからにしましょう。
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/antigo81.html
『まず、小作制度改善云々のくだりだが、それまで近代以前の土地所有制において、判然としていない土地所有権を、「申告制」を持って登録した結果、多くの農民たちは文盲であったがため文書による登録が出来なかったし、そもそもそういった布告そのものを理解する事が出来なかったために土地を奪われる事となり』
『土地調査においては、人口の殆どが農民であった当時の朝鮮においては人口の把握に直結し、租税収入を確定する意味も有った。』
>。しかも、教育は決して普及していた訳ではなく、就学率は1929年の段階にいたっても25%に過ぎなかった。
との、記事が有りますから、日韓併合後19年目の1929年辺りでは、国民の意識、生活環境が急変するわけでもなく、李朝時代の風習を引きずっていたでしょうから、この時点で就学率25%なら、学生の殆どが、両班、中人階級の子弟と言っても過言ではありませんから、同程度の識字率が李朝末期にも有ったと推定できます。<
これは明らかに無理がありますね。1928年時点で普通学校が1,395校できています。依然書堂で学ぶ者もいます。
以下は1928年の京城日報の記事を読みやすくしたものです。
>全鮮の面数2,503中普通学校を設置するもの1,353面,学校数は1,395校、
全鮮の推定学齢児童数凡260万人中,就学者45万人,其の割合は全児童の1割9分,
私立普通学校の児童数1万9千人,書堂に在る児童数20万人,私設各種学校の児童数5万5千人を加えても全児童数の凡三割に過ぎず
とあります。李朝時代の風習を引きずっていたならば書堂にいくはずですね。
併合後18年間で普通学校に行く45万人が増えたんじゃあないですか?
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474201&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474201
最後に一つ。農民=常民というあなたの思い込みは間違いですよ。
両班、中人階級の農民もいたと考えればよろしいのでは?
官吏は殆どが中人身分ですからね。官吏は全員読み書きが出来るわけです。現役以外にも、これから官吏になる為に学問を学ぶ少年から、隠居した官吏も当然文字の読み書きが出来ますね。
「官吏は殆どが中人身分ですからね。官吏は全員読み書きが出来るわけです。」
これダウトです。先ず中人は科挙を受けられなかったはず。書堂にも行かず何処で読み書きを習ったのですか?
あなたの、階級としての両班、中人が全て(あるいは大半)読み書きができたという前提は無理がありませんか?
それから李朝の官吏って人口の何%くらいでしょう?
封建制だった江戸時代でも武士の割合は確か5%くらいだったと記憶してますけど。中央集権だった李朝はそれよりずっと少なかったでしょう。
その狭き門を全ての両班、中人階級が目指していたとは思えません。
>2、はソースが併合後の話ですから(2.李朝時代、農民は全人口の8割、しかもほとんどが貧しかった。)
これを認めませんか?あなたが出した資料にも書いてありますよ。資料として出すんだったら、まず良く読んでからにしましょう。
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/antigo81.html
『まず、小作制度改善云々のくだりだが、それまで近代以前の土地所有制において、判然としていない土地所有権を、「申告制」を持って登録した結果、多くの農民たちは文盲であったがため文書による登録が出来なかったし、そもそもそういった布告そのものを理解する事が出来なかったために土地を奪われる事となり』
『土地調査においては、人口の殆どが農民であった当時の朝鮮においては人口の把握に直結し、租税収入を確定する意味も有った。』
>。しかも、教育は決して普及していた訳ではなく、就学率は1929年の段階にいたっても25%に過ぎなかった。
との、記事が有りますから、日韓併合後19年目の1929年辺りでは、国民の意識、生活環境が急変するわけでもなく、李朝時代の風習を引きずっていたでしょうから、この時点で就学率25%なら、学生の殆どが、両班、中人階級の子弟と言っても過言ではありませんから、同程度の識字率が李朝末期にも有ったと推定できます。<
これは明らかに無理がありますね。1928年時点で普通学校が1,395校できています。依然書堂で学ぶ者もいます。
以下は1928年の京城日報の記事を読みやすくしたものです。
>全鮮の面数2,503中普通学校を設置するもの1,353面,学校数は1,395校、
全鮮の推定学齢児童数凡260万人中,就学者45万人,其の割合は全児童の1割9分,
私立普通学校の児童数1万9千人,書堂に在る児童数20万人,私設各種学校の児童数5万5千人を加えても全児童数の凡三割に過ぎず
とあります。李朝時代の風習を引きずっていたならば書堂にいくはずですね。
併合後18年間で普通学校に行く45万人が増えたんじゃあないですか?
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00474201&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00474201
最後に一つ。農民=常民というあなたの思い込みは間違いですよ。
両班、中人階級の農民もいたと考えればよろしいのでは?
これは メッセージ 85807 (topics_jk さん)への返信です.
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