monjujzさん
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2008/01/14 12:02 投稿番号: [85807 / 230347]
>1)江戸時代の識字率は少なくとも50%だった。
(ただし私自身はこれを証明する術を持ちません。よってこれをペンディングとしました。)<
「京都府徴兵學力試驗成績表」には、
「明治22年の徴兵のときの學力檢査の結果(「京都府徴兵學力試驗成績表」『大日本教育會雜誌』92號)なのだが、そのころはすでに学制にもとづく近代教育を受けることができた世代であり、それも京都府という先進地の、しかも男性という好条件が三拍子揃っているにもかかわらず、受験者7205名中、自分の姓名の書ける者は51.3%しかおらず、文字をまったく知らないものがまだ13.6%もいたといふ。」
近代学校で学び卒業した人でも、自分の名前を書けるものが51.3%ですからね。江戸時代の識字率50%は、有り得ない数字といっておきます。別にペンディングでも良いですが、対論として挙げておきます。(話がずれないように、「識字=読み書き」としておきます)
>2)李朝時代の識字率は10%程度だった。根拠としては、
1.李朝時代の高官でしかも併合と同時に職を辞して、私立学校を設立した人物が書堂で学ぶ者が1割であると言っている事。
これだけで充分だと思いますが、2.以下は蛇足です。
2.李朝時代、農民は全人口の8割、しかもほとんどが貧しかった。(ソースは出してます。読みましたよね?)<
1、は高官の話だけのものでしょう?其れも両班について1割の言及ですね?
官吏は殆どが中人身分ですからね。官吏は全員読み書きが出来るわけです。現役以外にも、これから官吏になる為に学問を学ぶ少年から、隠居した官吏も当然文字の読み書きが出来ますね。
2、はソースが併合後の話ですから、あなたの言っていることは、身分制度が崩壊した後の話です。日本の文明開化と同じで、侍も町人も農民も平等になったように、両班も中人も常人も賎民も平等になったということです。今、議論しているのは、日韓とも同時代のことでは無く、開国前後の識字率です。(日本は幕末から明治初期、韓国は日韓併合前)僕は両国とも同じような識字率と言ってます。
>3.計算による書堂で学ぶ者は、全就学年齢者のうち1割程度だったという推論。(ただし推定値がいくつかあったので、本当はこの値について議論したかったというのが本音。)
以上について何か言いたいことがあればどうぞ。<
大体李朝の識字率統計なるものが存在しない以上、推論でしかないわけですね。ですから、僕は身分制度から推定しているわけです。
身分制度の残っている併合前なら、両班10%、中人20%、常人30%、賎民40%の比率ですね。李朝では良民60%、賎民40%の割合は不変ですからね。
開国前は伝統両班(金で買った両班身分は除く)だけでも1割はいますから、官吏になる資格がある中人を足せば20%〜30%は有りますね。と、言うのが僕の推論です。
※「教育の普及に関しては、朝鮮人にとって忌々しい記憶と共に語られる、「皇民化教育」が挙げられるだろう。多くの学校で「国語」の時間は、「朝鮮語」の時間よりもたっぷりと取られ、最終的に「朝鮮語」は教科としては残すが実質的には学べないようにして、学生は自国語を学ぶ機会を奪われていく事になった。ここでいう「国語」とはもちろん日本語の事だ。しかも、教育は決して普及していた訳ではなく、就学率は1929年の段階にいたっても25%に過ぎなかった。」
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/antigo81.html
との、記事が有りますから、日韓併合後19年目の1929年辺りでは、国民の意識、生活環境が急変するわけでもなく、李朝時代の風習を引きずっていたでしょうから、この時点で就学率25%なら、学生の殆どが、両班、中人階級の子弟と言っても過言ではありませんから、同程度の識字率が李朝末期にも有ったと推定できます。
(ただし私自身はこれを証明する術を持ちません。よってこれをペンディングとしました。)<
「京都府徴兵學力試驗成績表」には、
「明治22年の徴兵のときの學力檢査の結果(「京都府徴兵學力試驗成績表」『大日本教育會雜誌』92號)なのだが、そのころはすでに学制にもとづく近代教育を受けることができた世代であり、それも京都府という先進地の、しかも男性という好条件が三拍子揃っているにもかかわらず、受験者7205名中、自分の姓名の書ける者は51.3%しかおらず、文字をまったく知らないものがまだ13.6%もいたといふ。」
近代学校で学び卒業した人でも、自分の名前を書けるものが51.3%ですからね。江戸時代の識字率50%は、有り得ない数字といっておきます。別にペンディングでも良いですが、対論として挙げておきます。(話がずれないように、「識字=読み書き」としておきます)
>2)李朝時代の識字率は10%程度だった。根拠としては、
1.李朝時代の高官でしかも併合と同時に職を辞して、私立学校を設立した人物が書堂で学ぶ者が1割であると言っている事。
これだけで充分だと思いますが、2.以下は蛇足です。
2.李朝時代、農民は全人口の8割、しかもほとんどが貧しかった。(ソースは出してます。読みましたよね?)<
1、は高官の話だけのものでしょう?其れも両班について1割の言及ですね?
官吏は殆どが中人身分ですからね。官吏は全員読み書きが出来るわけです。現役以外にも、これから官吏になる為に学問を学ぶ少年から、隠居した官吏も当然文字の読み書きが出来ますね。
2、はソースが併合後の話ですから、あなたの言っていることは、身分制度が崩壊した後の話です。日本の文明開化と同じで、侍も町人も農民も平等になったように、両班も中人も常人も賎民も平等になったということです。今、議論しているのは、日韓とも同時代のことでは無く、開国前後の識字率です。(日本は幕末から明治初期、韓国は日韓併合前)僕は両国とも同じような識字率と言ってます。
>3.計算による書堂で学ぶ者は、全就学年齢者のうち1割程度だったという推論。(ただし推定値がいくつかあったので、本当はこの値について議論したかったというのが本音。)
以上について何か言いたいことがあればどうぞ。<
大体李朝の識字率統計なるものが存在しない以上、推論でしかないわけですね。ですから、僕は身分制度から推定しているわけです。
身分制度の残っている併合前なら、両班10%、中人20%、常人30%、賎民40%の比率ですね。李朝では良民60%、賎民40%の割合は不変ですからね。
開国前は伝統両班(金で買った両班身分は除く)だけでも1割はいますから、官吏になる資格がある中人を足せば20%〜30%は有りますね。と、言うのが僕の推論です。
※「教育の普及に関しては、朝鮮人にとって忌々しい記憶と共に語られる、「皇民化教育」が挙げられるだろう。多くの学校で「国語」の時間は、「朝鮮語」の時間よりもたっぷりと取られ、最終的に「朝鮮語」は教科としては残すが実質的には学べないようにして、学生は自国語を学ぶ機会を奪われていく事になった。ここでいう「国語」とはもちろん日本語の事だ。しかも、教育は決して普及していた訳ではなく、就学率は1929年の段階にいたっても25%に過ぎなかった。」
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/antigo81.html
との、記事が有りますから、日韓併合後19年目の1929年辺りでは、国民の意識、生活環境が急変するわけでもなく、李朝時代の風習を引きずっていたでしょうから、この時点で就学率25%なら、学生の殆どが、両班、中人階級の子弟と言っても過言ではありませんから、同程度の識字率が李朝末期にも有ったと推定できます。
これは メッセージ 85695 (monjujz さん)への返信です.
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