日本と韓国の議論の広場

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

■休戦と戦後復旧  あほキム w

投稿者: nihon_boy_7 投稿日時: 2008/01/13 00:04 投稿番号: [85482 / 230347]
>韓米相互防衛条約の締結

●おまけ

非常時立法の延長

  私たちにすれば,日米安保条約とこれに基づく日米地位協定でも屈辱感をおぼえるのですが,それに比べても,韓米行政協定の不公平さは目に余ります.その理由は,協定の出発点が朝鮮戦争さなかの非常時に結ばれた大田協定だというところにあります.

  1945年9月8日,アメリカの第24軍団が韓国駐屯を開始しました.その目的は,「日本軍の降伏を受け,その受け皿となる機構を設置する」ことでした.1948年5月の李承晩政権樹立をもって,米軍が駐屯する理由はなくなりました.しかし,李政権の基盤が極めて不安定であったことから,アメリカ政府は軍の全面撤収に応じようとしませんでした.そこに北朝鮮軍が怒涛の如く攻め込んできたのです.

  首都ソウルの市民を置き去りにしたまま南方に逃げた李承晩政権は,大田という町に臨時の首都を置き,そこで米軍との間に協定(正式名称:駐韓米国軍隊の刑事裁判権に関する大韓民国と米合衆国間の協定:1950,7,12)を結びました.アメリカは国連軍の名で介入し,最大規模で32万7千名の軍隊を朝鮮半島に投入しました.

  戦時という緊迫した状況で,米軍に一切の裁判権が付与されました.この時点で【韓国は米国の属国となったのです.】続いて1952年5月24日には,マイヤー協定(正式名称:経済調整に関する協定)が締結されました.この協定は韓国駐留米軍に対する韓国政府の経済的支援を義務付けたものです.これにより韓国は,米政府の,というより在韓米軍の支配の下におかれることとなったのです.

  アメリカは,北からの脅威に対応するためにも,「北進統一」を掲げる李承晩を抑止するためにも,作戦指揮権の掌握を求めていました.1954年,李承晩政権は,韓国軍の作戦指揮権を国連軍(米軍)に譲渡する「合意議事録」に調印しました.これはまさに【売国行為】そのものです.

  事実上の駐留米軍による軍政が長期化することで,国民の不満は高まりました.1950年代から60年代にかけて頻発した駐韓米軍将兵の蛮行は,国の政治を揺り動かすほどの国民的憤激を呼ぶようになりました.

  60年4月には腐敗と汚辱に満ちた李承晩独裁体制が打倒されました.しかし民主の息吹は,数ヶ月のち,朴正熙の軍事クーデターによっておさえこまれました.

  朴政権は進歩勢力の抵抗を暴力でねじ伏せるいっぽう,米国に深刻な政治・経済危機の打開を訴えることになります.ここに至り米国も交渉に応じるようになりました.1966年7月9日,韓米行政協定が締結されて1967年2月9日に発効しました.これが現在まで続く行政協定の原型となっています.

  しかし新行政協定は,あくまで,非常時体制の延長という範囲内での若干の手直しにしか過ぎませんでした.


●まがりなりにもサンフランシスコ条約で国際的な承認を獲得した日本における日米地位協定とは,根本的な成り立ちが異なっています.
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)