休戦と戦後復旧
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2008/01/12 23:23 投稿番号: [85473 / 230347]
戦闘が一進一退をくり返すなか、共産軍側は国連のソ連代表を通じて休戦を提議した。共産軍側の休戦提議に対し、わが政府と国民はいったん休戦になれば民族の分断が永久化されることを懸念しこれに反対した。これによって、休戦に反対する汎国民的運動が全国的に激しく起こった。しかし、統一を念願する国民の熱望とはうらはらに国連軍と共産軍の問で休戦が成立してしまった(1953年)。
北韓共産軍の南侵によって起きた6・25戦争は3年間韓半島全域に深刻な被害をもたらした。この戦争によって南韓の死傷者数だけでも150万人にのぼり、数多くの戦争孤児が生まれた。そして国土は焦土と化し、建物、道路、工場、発電施設など大部分の産業施設が破壊された。これと同時に南北間には、戦争による敵対感情がいっそう深まり、その結果、平和的な統一よりは対決の局面による民族の悲劇が拡大されるほかなかった。
休戦後、大韓民国はまず、荒廃した国土の再建と産業復興に力を注いだ。全国民が再出発する決意で復旧に全力を注ぎ、アメリカなどの自由友邦も大韓民国を積極的に援助した。
そのため産業施設が急速度に復旧し、生産活動も回復し、社会のすべての領域にわたって次第に元の姿を取り戻すようになった。その結果、経済発展の基礎が整えられた。
また、国民の心のなかには二度と共産主義者の南侵を許さないという意志が固く根付き、韓国とアメリカとの間には韓米相互防衛条約が締結された。
[写真:韓米相互防衛条約の締結(1953)]
6・25戦争は、わが社会のあらゆる面に大きな影響を与えた。政治的には李承晩政府の独裁化に利用されたが、経済的には生存の条件を確保するために経済発展の意志を固くさせた。社会的には激しい人口の移動により家族制度と村落共同体意識が弱まり、文化的には西欧の文化が無分別に浸透し、わが伝統文化に逆機能的な影響を及ぼした。
〜新版韓国の歴史 − 国定韓国高等学校歴史教科書』
これは メッセージ 85467 (tao_ron_999 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/85473.html