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Re: 君は間違った常識を刷り込まれている

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2008/01/10 15:30 投稿番号: [84907 / 230347]
>農民と言ってるんだがね? ただし、農民の人口比率が圧倒的に多いから文盲率は高かったと思いますね。

江戸時代の庶民(農民を含む)の識字率が高かったというのは既に定説になっています。ネットで調べた限りでは50%の識字率があったといわれているようです。
なかには60、70%というふうに言っている人もいます。
もちろん当時には統計というものがありませんので、あくまでも感覚でしょうけど。
一方朝鮮のそれは10%ほど。あと日本の寺子屋にあって朝鮮の書堂になかったもの。それはソロバン、私はむしろこれのほうが両者の差の決定的な要因だとおもいますけど、どうでしょうか?

>京城日報 1940.9.25-1940.10.10(昭和15)
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施政三十年・回顧と展望   (一〜七)
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七)   七十年前の教育界   伊東致昊

筆者紹介   伊東致昊氏は、韓末の栄将尹英烈男の長男として元治元年生、早く米国に遊学明治二十九年韓国外務大臣として複雑多端な当時の外交陣頭に起ち
敏腕を振い、併合後は官界を退き開城に今の松都中学の前身たる漢英学院を建設して専ら育英事業に献身努力す、また大正五年に朝鮮基督教青年会長に就任半島青年の父として精神的指導をなして今日に至る

  この意義深い始政三十周年記念日を迎えるに当り、先ず私は朝鮮教育界の七十年前を回顧して誠に感慨無量なるものがある。
  当時における半島人の教育状況を、方法、目的、範囲等の三つに分けて今日のそれと比較考察してみるに、私の様な八十歳に近い老年のものには全く隔世の感がある。


教育の方法
  即ち当時七歳の私自身が、既にその不完全な方法による極めて狭い範囲の教育によって出発したのだった。つまりそのころは教育機関として別に政府が施設をするわけでもなく、ただ民間の有力な人人(両班)が書堂というものを普通の有力な家庭に設けて漢文の先生を招き、月謝として一年に籾で何十石かを支払うことになり、方方からこれも一部有力な人々の子孫達のみが集って教育を受けたものだった。また豊裕な家庭(これも両班のみ)では家庭教師を置いて子弟教育に当ったものだ。
こんなわけで教育の恩沢を受けるものは半島人口のほんの一割に過ぎず、後の九割に当る一般大衆は教育から全く除外されむしろ教育の必要すら感じなかった程であった。況や女子教育においては問題外であった。
以下略
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