Re: 李氏朝鮮の学校教育について
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2008/01/03 14:09 投稿番号: [83183 / 230347]
> 私がqapla_jup さんに横入れした1905年からの日本政府の関与と何か関係でも有りますか?
すみません。単に李氏朝鮮時代の末期に日本のテコ入れで多数の学校が建設されたという事実を貼り付けただけです。
一部、分かりやすくしたものを貼り付けます。
原文は先の投稿にありますので・・・
(途中までですが)
----
-
もともと、李氏朝鮮の教育機関としては(まともなものは)京城に成均館と東西南中の4学校しかなかった。各郡には郡校があり、面(朝鮮の村のこと)、洞(とう:朝鮮の地方区画の最小のもの「面」の下位)にも書房や書堂(ともに寺子屋みたいなもの)があったが、そのいずれも中国の明や清を模範として儒学を中心に講義をしていた。(科挙試験のための勉学が主だが、試験も賄賂次第なのであまり意味がない?)
それで、明治28(1895)年の諸般の改革(日清戦争後の日本による指導改革や援助)のときに、日本の制度を参考にして小学校令その他の学制を改めたが、当時の朝鮮の国情(国民は貧困にあえぎ無智無学であり、王族、両班、官吏は賄賂のやり取りにあけくれて学校を建設する財源もない状況)に合わなかったため、満足に施設も整わず教師もいないありさまで、結局計画倒れになった。
明治37(1904)年(日露戦争、第一次日韓協約、朝鮮の財政顧問として目賀田種太郎が赴任、経済近代化に着手、釜山京城間に鉄道開通)には、日本人の参与官を置き、(日露戦争も一段落した)明治39(1906)年には、朝鮮の国情や民族性を考慮して、学制を単純にし、教科の課程も簡易にして、産業や生活に役立つ実用的なものを目的として計画しなおした。
その上で、朝鮮の政府が自ら率先して教育機関を経営し、教育の模範を示せるように、教授の手配とその訓練指導管理はもとより、校舎その他の設備に至るまで漏れがないように整えて、真正な教育がどのようなものかを現実に証明して見せて、朝鮮の行政や暮らしを革新するための気運を誘致するように努めた。
・・・
すみませんね
これは メッセージ 83178 (wasiya2610 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/83183.html