学校教育に関する横やりの(横)
投稿者: wasiya2610 投稿日時: 2008/01/03 10:18 投稿番号: [83151 / 230347]
>それに、1910年のデータではダメです。出すならば、日本が大韓帝国を保護国化する、1905年以前の統計でなくては?因みに崔
経鎬著
『歴史的検証
日韓併合』(祥伝社黄金文庫
2007年)によると、朝鮮総督府初代総監
伊藤博文は、「普通学校令」を出しました(1906年)。ここでも日韓併合までに百校以上新設、という言及があります。この流れが続き、1943年の学校数は5,000校を数えました。その中の最高峰が京城帝国大学、現ソウル大の前身で、6番目に創設された(阪大や名古屋大よりも前ですよ、恐ろしいことに?)帝国大学です。御自分のデータよりも少ないとお思いかもしれませんが、さっきも言ったカリキュラムの問題、そして大院君が、儒林の力を落とす為に、書院を600→47に減らした経緯を考えると、せいぜい私塾といった物では?別に私塾がいかんとは言いませんが、では今の、日本以上に厳しい受験戦争を潜り抜ける韓国の学生が、私塾のみで社会に出るのか?という事です。
「何校造ったか?」と言われれば、学校教育の理念と目的、歴史的経緯、直接的・間接的関与もひっくるめて強気に言ってしまえば、
「大韓民国成立前の、民族学校を除く、近代教育校のほとんど全て」
になります。
それに無論、白丁・奴婢に教育の機会が与えられたとは思えません。功績では有る、ではなく、それこそが日本が半島にもたらした、基本的人権の概念です。そしてもちろん、教育には、施設整備の面でも、親の扶養面でも、カネがかかります。全てはつながっているのです。
<
「1905年以前の統計でなくては?」なら、
併合時の1910年には大韓帝国には公立学校は146校、私立学校は2250校、書堂2万5000校存在した。私立学校は2250校と書堂2万5000校は日本政府に関係ないので、公立学校146校を検証すれば、
朝鮮王立として
1895年、王立近代校の4校(壮洞、卓洞、桂洞、紬洞)を開校。入学者数はそれぞれ23名、76名、40名、48名の合計187名。
日本の関与を示すなら、
「弊原垣(のちの東京帝国大学教授、台北帝国大学総長)が1905年2月に学部の「学政参与官」となったとき、日本の「朝鮮教育代行」という、朝鮮のための日本の国家事業が始まりました。そして、弊原案の「普通学校令」が1906年8月公布。総督府は学校を可能な限り大規模に朝鮮全土に設置する方針を定め、日本が持参した1906〜8年の3カ年で54万円が普通学校の新築、改築の費用の中核的な予算として投入された。この予算で、官立9校(すべて当時の首都の漢城)のほか、各道の主要都市での公立50校がまず整備された。」
と、あるから、年20校のペースで開校したとして、1909〜1910年の2年間で40校、合計99校ということですか。ということは、47校は朝鮮王立や大韓帝国官立校が存在したということですね。日本政府関与分の99校の中にも「普通学校の新築、改築の費用」と有るから、改築即ち既存の施設を使用したわけですから、新築校の比率はもっと下がりますね。
日本の関与以前から、大韓帝国も遅まきながら、近代化に向けて歩んでいたことが分かりますな。
「何校造ったか?」と言われれば、学校教育の理念と目的、歴史的経緯、直接的・間接的関与もひっくるめて強気に言ってしまえば、
「大韓民国成立前の、民族学校を除く、近代教育校のほとんど全て」
になります。
それに無論、白丁・奴婢に教育の機会が与えられたとは思えません。功績では有る、ではなく、それこそが日本が半島にもたらした、基本的人権の概念です。そしてもちろん、教育には、施設整備の面でも、親の扶養面でも、カネがかかります。全てはつながっているのです。
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「1905年以前の統計でなくては?」なら、
併合時の1910年には大韓帝国には公立学校は146校、私立学校は2250校、書堂2万5000校存在した。私立学校は2250校と書堂2万5000校は日本政府に関係ないので、公立学校146校を検証すれば、
朝鮮王立として
1895年、王立近代校の4校(壮洞、卓洞、桂洞、紬洞)を開校。入学者数はそれぞれ23名、76名、40名、48名の合計187名。
日本の関与を示すなら、
「弊原垣(のちの東京帝国大学教授、台北帝国大学総長)が1905年2月に学部の「学政参与官」となったとき、日本の「朝鮮教育代行」という、朝鮮のための日本の国家事業が始まりました。そして、弊原案の「普通学校令」が1906年8月公布。総督府は学校を可能な限り大規模に朝鮮全土に設置する方針を定め、日本が持参した1906〜8年の3カ年で54万円が普通学校の新築、改築の費用の中核的な予算として投入された。この予算で、官立9校(すべて当時の首都の漢城)のほか、各道の主要都市での公立50校がまず整備された。」
と、あるから、年20校のペースで開校したとして、1909〜1910年の2年間で40校、合計99校ということですか。ということは、47校は朝鮮王立や大韓帝国官立校が存在したということですね。日本政府関与分の99校の中にも「普通学校の新築、改築の費用」と有るから、改築即ち既存の施設を使用したわけですから、新築校の比率はもっと下がりますね。
日本の関与以前から、大韓帝国も遅まきながら、近代化に向けて歩んでいたことが分かりますな。
これは メッセージ 82882 (qapla_jup さん)への返信です.
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