学校教育に関する横やり
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2008/01/02 15:45 投稿番号: [82882 / 230347]
>朝鮮半島に学校が無かったと思っているのか?
併合時の1910年には大韓帝国には公立学校は146校、私立学校は2250校、書堂2万5000校存在した。
併合が1910年であるから、新学期が1911年以降の新しい学校は、日本が造ったことになるがね?既存の施設を利用しただけなら、日本は関係ないからね。
日本が何校造ったのかね?
まず、カリキュラムの問題から行きましょうか?メッセージ№82850でも言及した大院君(ううっ、引用で脱字してしまいました)は、当初徹底した攘夷論者でしたわな?で、起こったのが、フランスとの小競り合い「丙寅洋擾」(1866年)や、アメリカとの「辛未洋擾」(1871年)でした。その後“斥和碑”なんか建てて、宗旨変えなんてまったく考えてもなかったところに日本と江華島事件が起こり、日朝修好通商条約(=江華島条約、1876年)の結果、強制的に開国させられた代償に、欧米列強の宣教師等が入国して、結果、梨花女子大等が創設されるきっかけが出来ましたわな?ですが当時「女に学問など要らんっ」と考えていた朝鮮社会では生徒のなり手がなく、初期の学生はストリートチルドレンだった、と、クリスティン=リー女史(米ポートランド州立大教授)が言っていた記事を、以前読んだ事がありますが?
学校が出来ても、教えるのが性理学一辺倒の儒林系の学校では意味がありません。その意味では、日本の干渉は、半島の学問上のビッグバンでもあったのです。丙子胡乱(1636年)後、清に人質に出された昭顕世子(ソヒョンセジャ)が、機会を活かして実学を学んで帰国したにも関わらず、父仁祖(王)に疎まれ、結果毒薬を飲まされた時代と、大差がなかったのが実態だったでしょうに?
それに、1910年のデータではダメです。出すならば、日本が大韓帝国を保護国化する、1905年以前の統計でなくては?因みに崔 経鎬著 『歴史的検証 日韓併合』(祥伝社黄金文庫 2007年)によると、朝鮮総督府初代総監 伊藤博文は、「普通学校令」を出しました(1906年)。ここでも日韓併合までに百校以上新設、という言及があります。この流れが続き、1943年の学校数は5,000校を数えました。その中の最高峰が京城帝国大学、現ソウル大の前身で、6番目に創設された(阪大や名古屋大よりも前ですよ、恐ろしいことに?)帝国大学です。
御自分のデータよりも少ないとお思いかもしれませんが、さっきも言ったカリキュラムの問題、そして大院君が、儒林の力を落とす為に、書院を600→47に減らした経緯を考えると、せいぜい私塾といった物では?別に私塾がいかんとは言いませんが、では今の、日本以上に厳しい受験戦争を潜り抜ける韓国の学生が、私塾のみで社会に出るのか?という事です。
「何校造ったか?」と言われれば、学校教育の理念と目的、歴史的経緯、直接的・間接的関与もひっくるめて強気に言ってしまえば、
「大韓民国成立前の、民族学校を除く、近代教育校のほとんど全て」
になります。
それに無論、白丁・奴婢に教育の機会が与えられたとは思えません。功績では有る、ではなく、それこそが日本が半島にもたらした、基本的人権の概念です。そしてもちろん、教育には、施設整備の面でも、親の扶養面でも、カネがかかります。全てはつながっているのです。
併合時の1910年には大韓帝国には公立学校は146校、私立学校は2250校、書堂2万5000校存在した。
併合が1910年であるから、新学期が1911年以降の新しい学校は、日本が造ったことになるがね?既存の施設を利用しただけなら、日本は関係ないからね。
日本が何校造ったのかね?
まず、カリキュラムの問題から行きましょうか?メッセージ№82850でも言及した大院君(ううっ、引用で脱字してしまいました)は、当初徹底した攘夷論者でしたわな?で、起こったのが、フランスとの小競り合い「丙寅洋擾」(1866年)や、アメリカとの「辛未洋擾」(1871年)でした。その後“斥和碑”なんか建てて、宗旨変えなんてまったく考えてもなかったところに日本と江華島事件が起こり、日朝修好通商条約(=江華島条約、1876年)の結果、強制的に開国させられた代償に、欧米列強の宣教師等が入国して、結果、梨花女子大等が創設されるきっかけが出来ましたわな?ですが当時「女に学問など要らんっ」と考えていた朝鮮社会では生徒のなり手がなく、初期の学生はストリートチルドレンだった、と、クリスティン=リー女史(米ポートランド州立大教授)が言っていた記事を、以前読んだ事がありますが?
学校が出来ても、教えるのが性理学一辺倒の儒林系の学校では意味がありません。その意味では、日本の干渉は、半島の学問上のビッグバンでもあったのです。丙子胡乱(1636年)後、清に人質に出された昭顕世子(ソヒョンセジャ)が、機会を活かして実学を学んで帰国したにも関わらず、父仁祖(王)に疎まれ、結果毒薬を飲まされた時代と、大差がなかったのが実態だったでしょうに?
それに、1910年のデータではダメです。出すならば、日本が大韓帝国を保護国化する、1905年以前の統計でなくては?因みに崔 経鎬著 『歴史的検証 日韓併合』(祥伝社黄金文庫 2007年)によると、朝鮮総督府初代総監 伊藤博文は、「普通学校令」を出しました(1906年)。ここでも日韓併合までに百校以上新設、という言及があります。この流れが続き、1943年の学校数は5,000校を数えました。その中の最高峰が京城帝国大学、現ソウル大の前身で、6番目に創設された(阪大や名古屋大よりも前ですよ、恐ろしいことに?)帝国大学です。
御自分のデータよりも少ないとお思いかもしれませんが、さっきも言ったカリキュラムの問題、そして大院君が、儒林の力を落とす為に、書院を600→47に減らした経緯を考えると、せいぜい私塾といった物では?別に私塾がいかんとは言いませんが、では今の、日本以上に厳しい受験戦争を潜り抜ける韓国の学生が、私塾のみで社会に出るのか?という事です。
「何校造ったか?」と言われれば、学校教育の理念と目的、歴史的経緯、直接的・間接的関与もひっくるめて強気に言ってしまえば、
「大韓民国成立前の、民族学校を除く、近代教育校のほとんど全て」
になります。
それに無論、白丁・奴婢に教育の機会が与えられたとは思えません。功績では有る、ではなく、それこそが日本が半島にもたらした、基本的人権の概念です。そしてもちろん、教育には、施設整備の面でも、親の扶養面でも、カネがかかります。全てはつながっているのです。
これは メッセージ 82849 (topics_jk さん)への返信です.
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