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投稿者: eggusandot 投稿日時: 2007/12/26 07:09 投稿番号: [80836 / 230347]
第二次世界大戦後の日本には、一時戦争は「もう御免だ」、「厭だ」ということで戦争に関する思考をいっさい停止した時期があった。戦後六十年を迎えた今日、冷静に事実直視の上、何故、何が、如何にして、如何なったかを分析解明することが必要であり、それが、新しい失敗を予防し今後日本の進路を考える知恵につながると思う。(北朝鮮の脅威・中国・台湾間の戦争の危機なども眼前に存在する今日、この戦記執筆も、そうした意味から意義あればと考える。)
一.今次大戦の全貌から見たビルマ戦は、どんな位置にあったか?戦争開始時にビルマを対象とした方面軍は無く、一年後の昭和十八年三月に創設されたことから言うと、追加された作戦と言えるのかも知れない。その理由が、援蒋ルートの切断強化、マレー作戦の結果印度兵の捕虜が沢山生まれ、印度独立軍の編成が可能になったこと、卓越した指導者ボースの出現などから、印度への政治的・心理的影響を強く意識したためと思われる。
二、ビルマ作戦の緒戦の勝利は目覚ましく、約六ヶ月でビルマ全土を制圧したことは素晴らしかった。しかしそれは奇襲とそれに続く急襲による成果にも拘わらず、現地十五軍首脳は、「自らの実力と過信」氏、又、「連合軍弱し」と断じた。これは、驕慢・油断を生み、インパール作戦のような無謀な作戦を実施し、自らの主戦力を壊滅させたばかりか、結果として北部担当の三十三軍団の二個師団の救援を遅らせ玉砕に追い込んだ。ともあれ、情報、兵器弾薬、食料の補給軽視は、致命的だった。
三、他方連合軍は、二年間の無策戦期間に装備を改善し、また、わが軍の攻撃(特に夜襲)にも新たな作戦(円筒陣地ほか)を考案していた。ために我が軍の攻撃に一歩も譲らず、逆に我方の損害は増える一方となった。
四、更に連合軍は、空挺部隊二波(四個旅団)をわが軍後方に着陸させ、我が軍の補給路切断、後方攪乱の方途を工夫した。
五、その上その上、方面軍司令部は、空軍の協力を欠くためか、情報収集を誤ったか、中部戦線の要衝メークテーラが急襲されるまで二千台に及ぶ機甲部隊の出現に気付かなかった。この強力な機甲部隊の中央突破作戦のため、ラングーン始め主要拠点を短時日に失った。
六、緒戦時の「ビルマ全土平定作戦」、泰緬線建設」、「方面軍配置」、インパール作戦に先立つ「ハ号陽動作戦」などに見られた積極性・計画性は、インパール作戦の失敗後は消滅し、連合軍の一方的作戦に翻弄された。
七、期待し、育成したビルマ独立軍が、最後の段階で反乱し、日本軍を襲撃したことは痛恨の極みである。その理由として、軍首脳部が独立を約束し、協力させながら、その後継者が約束の履行を渋り、或いは必要以上に内部事情に干渉したことなどが考えられる。また、軍首脳や一般将兵の占領地住民の風習・宗教に対する理解の不足(宮城遙拝)、また日本人の生活習慣(安易に公衆面前で殴る、立ち小便)にも問題があったと思われる。
八、初代ビルマ政府主席バーモは、アジア解放を唱えた大東亜会議をもっとも喜び歓迎した一人であるが、「日本ほどアジアの開放・独立に貢献支度にもないが、日本ほど誤解されている国もない」と述べている。しかし、誤解以前に日本軍首脳に、広い意味の政略の穴如、狭隘な視野、異文化に対する理解不足など、反省・研究すべき点が多いと思われる。
九、以上のビルマ作戦に関連した一連の事実は、日本人の良い特色を示すと共に、多くの弱点も示しており、軍事面ばかりでなく、現在・将来にわたる産業発展、国際関係、国際協力などの分野で大きな教訓になると思われる。
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