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happyskay200さんへ(1)

投稿者: khani_kms2000 投稿日時: 2002/08/17 15:09 投稿番号: [791 / 230347]
こんにちは。
今日も暑いんですね。

さて、「光州民主化運動」のことですか?
これは私が大学1年生のときに発生したことで今でも同時のことは鮮明に
覚えていますが、評価、判断は非常に難しい難題になりますが、
私も同時の一人として過去を振り返ってみる機会にしながら書かせて頂きたいと
思います。

1.「光州民主化運動」の背景
1979年、朴大統領の暗殺から、韓国では大きく3つの勢力が誕生しました。
  ①.同年12月軍事クーデターにより実権を掌握した軍エリート集団の新軍部(全、ノが中心)勢力。
  ②.同時与党のリーダーとなった金鐘必氏を中心とした勢力。
  ③.長い間、朴大統領の独裁に抵抗してきた金泳三、金大中を中心とした勢力。
    (後ほど、金泳三派、金大中派に2分割される)
世間に「ソウルの春」といわれた1980年になってからは上記の2、3の勢力により
独裁後の新政治構造のための改憲に向け、様々な思想や意見が出され、ある意味の論争が
起きました。議員内閣制なの大統領中心制なの中中決められない内に、
遂に学生らのデモ発生、治安部隊の戒厳軍(同時は国家非常事態の戒厳状態だったため)との
衝突で明け暮れとなり、
社会の不安が日々に広まり、経済は滅茶苦茶となり(マイナス10%くらい)、一部から流れ込んだ
北朝鮮の戦争脅威に状況は悪化しずつ。(楽観派もいましたが)
その間、新軍部は着々、政権への基盤作りに入り、全権を掌握(アメリカの暗黙の支持が大きな力となる)、
したところで、1980年5月17日、新軍部による3金氏を逮捕、軟禁する事件が発生しました。
金鐘必氏には不正腐敗、金大中氏には内乱陰謀の嫌疑で逮捕、金泳三氏は民心混乱の責任に問われ
自宅軟禁となり、戒厳令の全国拡大発表をしたところで
翌日5月18日、比較的に戒厳軍が少なく、金大中氏の支持基盤である光州で学生らが中心となったデモが発生しました。

2.「光州民主化運動」の展開
同時、光州には全南大学校、朝鮮大学校(日本の朝鮮大学とは関係ない)らが学生デモの中心的な役割を
担って来ましたが、金大中氏逮捕のニュースが伝わると同時に全南道庁前で戒厳令の全国拡大後、初めて
学生デモが起き、次代に金大中氏の支持勢力も加担し、次代に一般市民も加担するようとなり、対応に手を
焼いてきた警察は戒厳に援軍の要請を出し、戒厳軍の出動となり一方的に押されかけたデモ隊の一部が
予備軍の武器庫から(予備軍:軍服務を終えたものが10年間予備軍となり、大規模の職場には訓練用の武器庫も
備えている)武器を奪取し、武力対峙するようになりました。
新軍部は事態の深刻性を(放置しておけば全国規模になる恐れ)拡大解析し、大規模の戒厳軍と空挺団を送り込み
無差別の銃撃戦の末、鎮圧。
その結果、戒厳軍側にも死傷者はいましたが、それをはるかに超える一般市民の死傷者をだしながら
「光州民主化運動」(同時は光州事態と呼ばわれる)は終わりました。
細かい数字は覚えてないんですが軍側が30人あまり、一般市民側が1000人あまりとも言われています。

「光州民主化運動」を鎮圧した新軍部の責任者の全(チョンドファン)が大統領に、全の後はノテウを大統領に
なりました。
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