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喩えが適切ではないですね

投稿者: picsaintloup 投稿日時: 2005/04/13 10:39 投稿番号: [6811 / 230347]
>あなた表現とおりなら例えばあなた妹さんが拉致されてレイプされて相手の趣向に当たるように強制に成形手術されられて服も買ってくれてしたらそして詳らかには分からないがあなた妹さんもセックスをする時うなりを出すなど楽しんだようだったら罪にならないか?.またお互いに別れる時成形手術費と服値を回してくれと言うことも正当なのか?

喩えが全く不適切ですね。

(これが本当の歴史)
十九世紀末まで、李氏朝鮮は清国の属国でした。
1895年、「日清戦争」で日本勝利。この時、当時の国際常識からいえば、日清間の「下関条約」で日本が李氏朝鮮を属国にすることも可能だったのですが、日本はあえて朝鮮に独立を与えました。
しかし朝鮮半島に今度はロシアが野心を示し始めました。
1905年、「日露戦争」で日本勝利。この時、大韓帝国(1897年に李氏朝鮮が改名)皇帝高宗は、ロシアが勝つと思いロシアに阿っていたため、ロシア敗戦後は立場が悪くなり、国内外で権威失墜。大韓帝国内ではあくまで独立を維持しようとする「独立派」(両班階級など)と、もはや独立は無理なので日本との併合に活路を見出そうとする「日韓併合派」(李容九、尹始炳、宋秉蔲ら)の論戦が激しくなりました。これに平行し、日本でも大韓帝国の独立を認めた上で協力してロシアの「南下政策」に備えようという「日韓併合反対派」(伊藤博文ら)と、ロシアの「南下政策」に大韓帝国はあまりに無力なので日本の安全保障上からも大韓帝国を併合すべきと考える「日韓併合派」(寺内正毅ら)が論争を繰り広げていました。
しかし「ハーグ密使事件」「伊藤博文暗殺事件」などが次々に起こり、最終的には李完用首相と寺内正毅統監との間で「日韓併合条約」が調印されることになったのです。
「日韓併合」については、英米独仏など当時の世界各国も、「これで東アジアのバルカンといわれた朝鮮半島が安定する」と一様に歓迎の意を表明しました。
その後、1919年の「3.1独立運動」(死者553名、負傷者1409名)、1929年の「光州学生運動」(退学582名、無期停学2320名)などの事件は発生しましたが、経済が向上し民生も安定してきたことから徐々に落ち着いてきて、あくまで「抗日」や「独立」を唱える勢力は満州、中国など国外亡命グループだけになりました。その数も非常に限られており、国際的認知度もほとんどゼロでした。
それが「第二次大戦」での日本の敗戦と共に、にわかに「独立運動」の闘士として名乗り出てきて、脚色と捏造で飾り立てた経歴をひけらかし、独立後の韓国、北朝鮮の指導者となっていったのです。李承晩、金日成、金九、金圭植らは皆そうです。
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