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樋口季一郎氏も

投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/04/12 18:09 投稿番号: [6788 / 230347]
現在、エルサレムのとある丘に、黄金の碑があります。その名もゴールデンブック。
高さ3m、厚さ1mの本を広げた形の黄金のこの碑は
ユダヤ民族の幸福のために尽力した人を永久に讃えることを目的として
世界中のユダヤ人が金の類を送って建立したものです。
モーゼやアインシュタインといったユダヤ人の偉人に並んで名前の残る日本人がいます。
杉原千畝と並び、イスラエルが親日である要因とも言えるこの人物。
その名は樋口季一郎といいます。
樋口は1889年兵庫県南淡町(淡路島)に生まれ
1907年に18歳で岐阜県大垣市の樋口家に養子に入ります。
陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業し陸軍に入隊するとエリートとして順調に昇進。
37年満州のハルピンの関東軍に特務機関長として赴任すると
赴任前にロシア語を学んでいた事を生かして
シベリア謀略戦に参加したりポーランドに武官として駐在したりしました。
わりと頭の硬い、正義感の強い人だったようで
理不尽な力の行使に対して嫌悪感を抱いていた形跡もあります。
ハルピン赴任すぐの8月早々、満州で利権を貪る悪徳日本人の一斉取締りを行い
満州を独立した国として扱おうとしたところにもその一端を見て取る事が出来ます。
例え、日本にとってはそれが形式的な事であり
実質は満州を属国として統治する事が狙いであったとしても
樋口にとっては理念として掲げられた満洲民族、蒙古民族、漢民族、朝鮮民族
日本民族による「五族共和」「王道楽土」というのが全てだったのかもしれません。
ところで当時東欧を中心に迫害されていたユダヤ人が
ビザ無し渡航者唯一の希望である上海に向かう逃走ルートは
大きく分けて2つありました。
一つは陸路、シベリア鉄道で満州のハルピン経由で向かう方法。
そして、もう一つは日本の通過ビザを取得して
シベリア鉄道で極東のウラジオストックに行き
船で敦賀、神戸を経由し海路向かう方法です。
杉原千畝が送り出したのはこのうちウラジオストックから海路により
日本経由で向かわせる方法でしたが、
もう一方の方法のためハルピンにも大勢のユダヤ人がいました。
ちょうど樋口がハルピンに赴任したのはそういう状況下でした。
そんな中、38年に樋口はユダヤ人大会をハルピンで開く事を許可したばかりか自ら演説までしています。
ハルピンにもロシア人は存在しており、当時ユダヤ難民との間に深刻な対立があったのですが
ロシア不穏分子による身の危険も顧みず、それどころかユダヤ人を激励するような内容だったようです。

当然大会終了後、日独伊三国の友好関係に悪影響がでるのではないか、との声も上がりますが
これに対し、樋口は国の連合と人種問題は無関係であるとし
逆にドイツのユダヤ純血運動について批判的な内容の返答を行います。
これが各国の通信網で世界に発進されたため、関東軍司令部などで問題となったようですが
結果的には国家方針と離れたものではないとして懲罰などはありませんでした。

http://homepage3.nifty.com/nam-oto/tsubuyaki6.html
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