朝鮮の陶磁器の真実(プッ その3
投稿者: hikariyusk 投稿日時: 2007/09/02 00:35 投稿番号: [66375 / 230347]
>李朝陶磁器は劣化儒教思想から白く作ることを義務付けられたのですが、焼きにはムラがあるため、欠け易く、ゆがみ、色付けもムラが多い。
日本の愛好家が多いのですが、純粋に「焼き物」としてみた場合には、あまり評価が無い陶磁器です。
もし、このことが疑問に思ったら、「焼き物」に詳しい人に聞いてみてください。李朝陶磁器は「骨董」として、古い物だとする価値を除くと、どういう評価か。
おそらく、「子どもの焼き物」レベルだとされるでしょう。
「当時は日本は陶磁器で朝鮮半島に遅れていたので、優秀な陶工を連れ帰ったのだろうな」
「朝鮮半島の陶工のおかげで、日本の陶磁器は発展したのだろう」
など、たわげた事を思い込んでしまう。また、思い込まされてしまう。
こんな簡単なことから騙されて、「昔は朝鮮半島が日本より文化が進んでいたのだ。」という、騙しにあってしまう。
復習です。
日本が、古来より文化文明で朝鮮半島に後れを取ったことは無い。
ゆめゆめ騙されること無かれ。
では、真実はどうだったのでしょうか。
実際は、既にその当時、日本では、文字通り世界でも有数な磁器の生産地「瀬戸」を始め、いくつもの優秀な生産地を抱え、有数の磁器生産国家であったのです。
瀬戸の磁器は「瀬戸物」の名前の通り、日本の陶磁器の代名詞でした。
それなのに、なぜ、朝鮮に出兵した武将は、わざわざ朝鮮の、それも下等とされて扱われていた、陶工を連れ帰ったのでしょう。
すでに、日本には陶磁器の素晴らしい物があったにもかかわらず。
朝鮮に兵を出すと、あまりに朝鮮兵は弱く、あっという間に、今の北朝鮮まで兵を進めてしまいます。
なおかつ、朝鮮民衆は支配者層へ恨みを爆発させ、朝鮮の奴隷の名前を記載した書庫などに火を放ち、日本軍に味方しました。
この出兵は秀吉の死により、「こんな貧しく、寒く、米も育たぬ荒地はいやだ。内地に帰りたい」という武将により撤収することになります。
せっかく出兵したのに、何にも得ることが無い、食料も無く、宝物も無く、文化財などほとんど無い。 武器、兵器などもひどいのばかり。
実は、当時瀬戸物は戦略物資として、領土外に製造方法は出ない様厳しく取り締まられていたのです。
優秀なあまり、他で作ることが出来ず、また、作らせないように瀬戸だけで生産しておりました。
優秀な陶磁器を買うには、瀬戸から購入しなければならない。しかし、購入ばかりしていると、自分の領国の富がなくなる。
自国の領土で陶磁器を製造したいと願う武将、とくに九州・中国の武将が多くの陶工に「日本で焼き物作らない?」と連れ帰ってきたのです。
朝鮮半島に在っては、労働者、技術者は差別され、苦しい生活を送らなければならない朝鮮陶工ですが、日本では、貴重な技術を持つ匠と尊敬され、喜んで日本に来ます。
有田焼は最初、瀬戸物にとてもかなわない水準でしたが、朝鮮陶工が日本化したか、弟子の日本人が改良したか、赤い色の焼き物が有名になり、高い評価を得るまでになったのです。
朝鮮半島では、青色中心の高麗陶磁器が絶え、白磁の李朝陶磁器になります。
劣化儒教に基づき、陶器は白く在るべしとして、自ら青色の陶器、粉青沙器などを省みることなく、滅亡させたのでした。
これを知らず、日本は優れた陶磁器を朝鮮から導入したと勘違いしている人が多く、そのため李朝陶磁器などを珍重するおかしなことになっているのです。
いつの時代も、朝鮮半島では、技術者が差別され、出来た製品は二束三文に評価されていたのですが、日本により、日の目を見ることが出来たのでした。
もう一つ、李朝陶磁器がもてはやされるわけは、価値の無い、古い李朝陶磁器を売ることで、骨董屋が儲けるためです。<
日本の愛好家が多いのですが、純粋に「焼き物」としてみた場合には、あまり評価が無い陶磁器です。
もし、このことが疑問に思ったら、「焼き物」に詳しい人に聞いてみてください。李朝陶磁器は「骨董」として、古い物だとする価値を除くと、どういう評価か。
おそらく、「子どもの焼き物」レベルだとされるでしょう。
「当時は日本は陶磁器で朝鮮半島に遅れていたので、優秀な陶工を連れ帰ったのだろうな」
「朝鮮半島の陶工のおかげで、日本の陶磁器は発展したのだろう」
など、たわげた事を思い込んでしまう。また、思い込まされてしまう。
こんな簡単なことから騙されて、「昔は朝鮮半島が日本より文化が進んでいたのだ。」という、騙しにあってしまう。
復習です。
日本が、古来より文化文明で朝鮮半島に後れを取ったことは無い。
ゆめゆめ騙されること無かれ。
では、真実はどうだったのでしょうか。
実際は、既にその当時、日本では、文字通り世界でも有数な磁器の生産地「瀬戸」を始め、いくつもの優秀な生産地を抱え、有数の磁器生産国家であったのです。
瀬戸の磁器は「瀬戸物」の名前の通り、日本の陶磁器の代名詞でした。
それなのに、なぜ、朝鮮に出兵した武将は、わざわざ朝鮮の、それも下等とされて扱われていた、陶工を連れ帰ったのでしょう。
すでに、日本には陶磁器の素晴らしい物があったにもかかわらず。
朝鮮に兵を出すと、あまりに朝鮮兵は弱く、あっという間に、今の北朝鮮まで兵を進めてしまいます。
なおかつ、朝鮮民衆は支配者層へ恨みを爆発させ、朝鮮の奴隷の名前を記載した書庫などに火を放ち、日本軍に味方しました。
この出兵は秀吉の死により、「こんな貧しく、寒く、米も育たぬ荒地はいやだ。内地に帰りたい」という武将により撤収することになります。
せっかく出兵したのに、何にも得ることが無い、食料も無く、宝物も無く、文化財などほとんど無い。 武器、兵器などもひどいのばかり。
実は、当時瀬戸物は戦略物資として、領土外に製造方法は出ない様厳しく取り締まられていたのです。
優秀なあまり、他で作ることが出来ず、また、作らせないように瀬戸だけで生産しておりました。
優秀な陶磁器を買うには、瀬戸から購入しなければならない。しかし、購入ばかりしていると、自分の領国の富がなくなる。
自国の領土で陶磁器を製造したいと願う武将、とくに九州・中国の武将が多くの陶工に「日本で焼き物作らない?」と連れ帰ってきたのです。
朝鮮半島に在っては、労働者、技術者は差別され、苦しい生活を送らなければならない朝鮮陶工ですが、日本では、貴重な技術を持つ匠と尊敬され、喜んで日本に来ます。
有田焼は最初、瀬戸物にとてもかなわない水準でしたが、朝鮮陶工が日本化したか、弟子の日本人が改良したか、赤い色の焼き物が有名になり、高い評価を得るまでになったのです。
朝鮮半島では、青色中心の高麗陶磁器が絶え、白磁の李朝陶磁器になります。
劣化儒教に基づき、陶器は白く在るべしとして、自ら青色の陶器、粉青沙器などを省みることなく、滅亡させたのでした。
これを知らず、日本は優れた陶磁器を朝鮮から導入したと勘違いしている人が多く、そのため李朝陶磁器などを珍重するおかしなことになっているのです。
いつの時代も、朝鮮半島では、技術者が差別され、出来た製品は二束三文に評価されていたのですが、日本により、日の目を見ることが出来たのでした。
もう一つ、李朝陶磁器がもてはやされるわけは、価値の無い、古い李朝陶磁器を売ることで、骨董屋が儲けるためです。<
これは メッセージ 66371 (hikariyusk さん)への返信です.
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