Re: なぜ朝鮮人は強制連行されたのか?2
投稿者: monjujz 投稿日時: 2007/08/18 19:27 投稿番号: [64497 / 230347]
igutikeigi771 さん、自分もあなたと考えはそう違いません。
というかあなたの示したこのサイトと同じ事をいっているつもりです。
その前の私の投稿を読んでいただければ、お分かりになれると思います。
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/isyutumai.html
>>そしてそのときに朝鮮人自作農が減ったのも事実です。
>こういう話しは何処を探しても出てこないぞ、まさか日本に渡航したのは両班貴族とでも言いたそうだな。
昭和に入ってからの数年間は世界的に恐慌と呼ばれる不幸な時代でした。また日本にとっても、ましてや朝鮮にとってはなおさらでした。
しかしこの時代を過ぎた昭和8年ころからは、あなたがおっしゃるように宇垣総督や斉藤総督の農村振興運動によりすこしずつ朝鮮は豊かになっていきました。
で、昭和恐慌時に朝鮮人自作農が減ったソースをだします。
http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1355134.html
日本人と朝鮮人の土地所有割合の変化
友邦シリーズ22号
朝鮮の産業金融事情について
元朝鮮殖産銀行公共金融課長
金谷要作
p67〜68
第三章についての質疑
問
殖銀から、あるいは金融組合を通じて、零細な個人の農業者に貸し付けているものが多いわけですね。それは、産米増殖計画が上り坂になったときに借り入れる人が多いと思うのですが、そのあと1929(昭和四年)か三十年(昭和五年)ごろ米の値段が下がるので、返せない人がでてくると思うんです。その未回収の貸出金の対策は、どうしたのですか。
答
それは、その人が怠けて返さないのではなくて、不景気で米が安いために返せないわけですね。そういうときには、大蔵省預金部資金などの金利の安い資金が入ったときに、新しいものと借り換えさせて金利を下げてやるんです。さらに、ちょうど旱害救済事業の時の三島頭取の建白書にあったように、支払猶予を認めて、年限を延長してやるんです。そういうことで大体解決できました。
問
昭和恐慌期などに、朝鮮人の土地所有者が減っていって、多くの者が土地を売り、ごく少数の者が大土地所有者になるという傾向が見られます。それに対して、日本人の場合は、中小所有者でも案外堅実に伸びているわけです。その、朝鮮人と日本人の差が出来た原因について、貸出との関係で何かあるのでしょうか。
答
それは、元はやはり資力のちがいじゃないですか。要するに、零細な農民や小地主が朝鮮人の方に多かったので不況を切り抜けるだけの力が無かった。それに対して、日本人農業者は東拓が移民の時に入れた人間で、すでに相当金を蓄積しておったので、土地を売らなくても苦境を切り抜けられたということでしょうか。
もっとも、それではいけないというので、既に述べた朝鮮不動産及損失補償令に基づく融資を行ったわけです。しかし、金融組合で貸すような小口のものは、殖銀としては直接取り扱わなかったので、これは零細な農民にまで回らなかったと思います。
けれども、金融組合としてもできるだけ貸し出しをする方針であったと思いますし、特に作為的に朝鮮人を無視して日本人に金を貸したという話も聞いておりません。また、我々殖銀の幹部としても、そんな考えは毛頭もちませんでした
というかあなたの示したこのサイトと同じ事をいっているつもりです。
その前の私の投稿を読んでいただければ、お分かりになれると思います。
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/agri/isyutumai.html
>>そしてそのときに朝鮮人自作農が減ったのも事実です。
>こういう話しは何処を探しても出てこないぞ、まさか日本に渡航したのは両班貴族とでも言いたそうだな。
昭和に入ってからの数年間は世界的に恐慌と呼ばれる不幸な時代でした。また日本にとっても、ましてや朝鮮にとってはなおさらでした。
しかしこの時代を過ぎた昭和8年ころからは、あなたがおっしゃるように宇垣総督や斉藤総督の農村振興運動によりすこしずつ朝鮮は豊かになっていきました。
で、昭和恐慌時に朝鮮人自作農が減ったソースをだします。
http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/cat_1355134.html
日本人と朝鮮人の土地所有割合の変化
友邦シリーズ22号
朝鮮の産業金融事情について
元朝鮮殖産銀行公共金融課長
金谷要作
p67〜68
第三章についての質疑
問
殖銀から、あるいは金融組合を通じて、零細な個人の農業者に貸し付けているものが多いわけですね。それは、産米増殖計画が上り坂になったときに借り入れる人が多いと思うのですが、そのあと1929(昭和四年)か三十年(昭和五年)ごろ米の値段が下がるので、返せない人がでてくると思うんです。その未回収の貸出金の対策は、どうしたのですか。
答
それは、その人が怠けて返さないのではなくて、不景気で米が安いために返せないわけですね。そういうときには、大蔵省預金部資金などの金利の安い資金が入ったときに、新しいものと借り換えさせて金利を下げてやるんです。さらに、ちょうど旱害救済事業の時の三島頭取の建白書にあったように、支払猶予を認めて、年限を延長してやるんです。そういうことで大体解決できました。
問
昭和恐慌期などに、朝鮮人の土地所有者が減っていって、多くの者が土地を売り、ごく少数の者が大土地所有者になるという傾向が見られます。それに対して、日本人の場合は、中小所有者でも案外堅実に伸びているわけです。その、朝鮮人と日本人の差が出来た原因について、貸出との関係で何かあるのでしょうか。
答
それは、元はやはり資力のちがいじゃないですか。要するに、零細な農民や小地主が朝鮮人の方に多かったので不況を切り抜けるだけの力が無かった。それに対して、日本人農業者は東拓が移民の時に入れた人間で、すでに相当金を蓄積しておったので、土地を売らなくても苦境を切り抜けられたということでしょうか。
もっとも、それではいけないというので、既に述べた朝鮮不動産及損失補償令に基づく融資を行ったわけです。しかし、金融組合で貸すような小口のものは、殖銀としては直接取り扱わなかったので、これは零細な農民にまで回らなかったと思います。
けれども、金融組合としてもできるだけ貸し出しをする方針であったと思いますし、特に作為的に朝鮮人を無視して日本人に金を貸したという話も聞いておりません。また、我々殖銀の幹部としても、そんな考えは毛頭もちませんでした
これは メッセージ 64492 (igutikeigi771 さん)への返信です.
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