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Re: kim taek jooのお勉強部屋

投稿者: natto_sandwich 投稿日時: 2007/07/21 14:33 投稿番号: [61067 / 230347]
西洋列強は   アヘン戦争の頃より   極東に対し   本格的な帝国主義活動を   展開する

アヘン戦争は   清朝のアヘン密貿易禁止をめぐる   英国と清朝間の戦争(1840〜1842)  

雍正帝以来の   アヘン禁止政策にも関わらず    18世紀以降   インド産アヘンの  

密貿易が   盛んになり   吸煙の害が   政治問題化した   また茶、絹などの輸出による  

外国銀流入はアヘン貿易によって   国外流出し   財政問題化した



18世紀後半から   イギリス東インド会社が   インド産アヘンを   中国に輸出し

中国からの   茶の輸入の代金として   英国がインドに作らせた   アヘンを中国に売り  

インド人の受け取る代金で   英国の作った   工業製品の消費を   可能にさせる   三角貿易であった

(本当の   植民地支配とは   このような   エゲツナイものなんやな〜〜)



また植民地インドにおける   英国の歳入の17%は   アヘン専売収入が占め

中国への輸出は   清朝の禁令のため   中国商人を介した   密貿易で行われた。

1839年道光帝は   林則徐を欽差大臣として   広東に派遣   林は広東で   アヘンを没収、棄却など  

強硬策をとり、英国との交易禁止という挙にでた   1840年英国は   遠征軍を派遣し   

清朝は林則徐を罷免して   和を策したが   成功しなかった。



1842年6月   総攻撃を再開した   英国軍に大敗し   8月南京条約が   締結され  

清の鎖国はくずれた。

条約では   清は英国に対して   香港の割譲   広州   福州   アモイ   ニンポー   上海の開港  

広東十三公行(清朝による特許商人制度)の廃止    賠償金の支払いを約した  

その後の   不平等条約の端緒となった   その後の   歴史は下記のよう




1863   日本   薩英戦争 (島津藩   対   イギリス)       痛み分け

1864   日本 馬関戦争 (長州藩   対   英 米 仏 オランダ) 砲台壊滅一時占領される

1866   李朝   丙寅洋擾 (ぴょんいんやんよ) フランス艦隊を撃退

1871   李朝   辛未洋擾 (しんみやんよ) アメリカ東洋艦隊撃退

1875   江華島事件   日本の軍艦   雲揚号が   李朝により   砲撃されたので   砲台を撃破した


不思議だね!!!    1863年頃   尊皇攘夷で   ヤッサモッサしていた    日本が

1875年には    軍艦で   半島を砲撃した・・・・・変わり身の   早さというか

薩摩長州が   近代兵器に   手こずった   そして   開国の必要   近代化の必要を   痛感した



朝鮮は   外国艦隊を   追い払った   そして自信を持って   鎖国政策を   続けた・・・・  

負けるが勝ちとは   よく言った    ものやね
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