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皇室からのお嫁さんを大事にしなかった韓国

投稿者: yokokaratatehe 投稿日時: 2007/04/13 16:51 投稿番号: [51772 / 230347]
>天皇家にも『在日』の血を入れるべきだ。
皇紀2千6百数十年とか言うけど、韓民族には『半万年の歴史および文化』が有ることを素直に認めるべきだ。
ヨーロッパの王室は大体、オランダとかデンマークにフランスとかの血が混じってるのが普通だ。
次は是非とも『在日』から「お妃」を選んで日本の皇室を「国際化」しよう。<


そういう無知蒙昧で、愚かな発言をするから、朝鮮人は馬鹿だと軽蔑されるんでしょう?

とっくの昔にお嫁さんを上げたでしょう。都合の悪いことは教えないという朝鮮人ならではの愚かしい伝統があるから、自分の民族の事すら、大事な事すら、何も知らない人間に育ったのだろうと同情はしてやってもいいが。

お嫁さんも極貧状態にして休みなしで働くような境遇において、死においやり、その折角の息子さんも、なんだかんだ、韓国はいじめて、結局、精神的におかしくなって、日本に逃げてきて、死んだでしょう?

そうやって、李朝は、滅亡してしまった。
馬鹿な民族だとつくづく思うよ。
もう、こりごり、朝鮮人にお嫁さんはだしません。お婿さんもいりません。

だって、大事にしないから。


>朝鮮最後の皇太子が寂しい死   東京のホテルで心臓麻痺で

東京・赤坂プリンスホテルの一室で、一人の男がこの世を去った。後継ぎもなく、夫人とも離婚した彼の最後を看取った者は誰もいなかった。
死亡時刻(16日)も、死亡要因(心臓麻痺)も今となっては推定に過ぎない。“変死”に当たるため、彼の遺体は19日午前、日本の警察で司法解剖された。

彼の名は李玖(イ・ク/1931~2005)氏。朝鮮最後の皇太子、英親(ヨンチン)王(1897~1970)と日本の皇族、李方子(イ・パンジャ/りまさこ) 女史の息子だ。
  朝鮮王室の最後の皇世孫(王族の子孫)だった彼の死は、18日午後遅くに全州(チョンジュ)李氏・大同宗約院に伝えられた。

  1931年、東京で李玖氏が生まれた時、父は亡国の名前だけの王だった。生まれてすぐに、日本の皇室から“世子(世継ぎ)”と冊封(公式に認知すること)され、宗親会も李玖氏を「皇世孫(=皇太子)と認めた。しかし、これは李玖氏の人生に永遠に足かせとなる称号となった。
  日本で近代教育を受けた李玖氏は14歳で光復(韓国の独立)を迎えたが、帰国することはできなかった。執権者たちは、皇世孫の帰国を喜ばなかったからだ。

李氏は、5年年上のジュリア女史と出会い、1958年10月、ニューヨークの教会で結婚した。

  李承晩(イ・スンマン)政権が崩壊した後、1963年に朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の助けで帰国した李玖氏は、母の李方子女史と住んだ。

  1979年に、李玖氏は「金を工面しに行く」と故国を離れ、日本に留まった。その渦中でジュリア女史との離婚(1982年)や、母の李方子女史の死(1989年)を経験し、その後は日本の女占い師と暮らしたこともある。

李玖氏は1996年11月、「永久帰国」した。
だが、李玖氏の「永久帰国」は長く続かなかった。神経衰弱も患っていた李玖氏は、故国の地に完全に適応することができず、日本と韓国を行き来して、日本の地で最期を迎えた。
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