Re: 日本人は漢字を捨てませんよ
投稿者: n_o_i_s_e_m_a_n 投稿日時: 2007/03/21 13:59 投稿番号: [50325 / 230347]
>漢字の発生した、漢という場所を地図で調べたことがあります。確かに揚子江の支流ともごく近いのですが、黄河の支流と言った方がよい場所です。
黄河文明では、夏時代の二里頭文化になっても1点の土器に1つの記号がある程度ですしト骨にも文字は見当たりませんが、殷時代になって「甲骨文字」が突然登場し爆発的に拡大します。
長江および長江ー黄河流域では、
・最古の原始文字(記号)は「河南省買湖遺跡(BC7000年)の亀甲に刻まれた印」や「甘粛省安大地湾の土器の印」があり、すでに「甲骨文字や周の金文文字の片鱗がある」そうです。
・さらに亀卜(きぼく)も始まっていますが、卜に使う駒のようなものは亀の甲羅の器にしまわれていました。
(この亀の甲羅の器はメソポタミアで発見されたトークンという判子を収める土器と役割や形がかなり似ています。)
・やがて仰詔文化(BC4800年)馬家窯文化などやや複雑な記号の羅列が登場します。
・大文口文化(BC4300年)や石家河文化(BC2500年)で、図象のある甲骨文字ができあがり文を構成しています。
・大文口文化を継ぐ山東龍山文化(BC2500)や良渚文化(BC5200年)では甲骨文字がほぼ出来上がっています。
ちなみに、東夷や三苗族などは、もともとは「長江ー黄河流域に分布していた」ものが、「北部からの新興勢力の侵入」にあって「南下」し、「長江流域に集中」してさらに分断され「西山と東海沿岸に分かれた」ものです。
特に倭人にとっては「山東半島の付け根から南岸部」が故地ですから、まさに大文口文化、山東龍山文化、良渚文化そのものかその影響を強く受けています。
ところでメソポタミアでは、BC9000年頃から農業が始まっていますが、「シュメール人が文明を築いたのはBC3000年頃」とかなり後のことで、「それ以前は先シュメール人がいた」といわれています。
クサビ形文字も、その原型は甲骨文字とほとんど同じです。
(クサビ型文字は粘土板に押し付けるトークン(判子)では種類に限界がきて三角断面の葦のペンを様々に押し付けることで文字を表すことを考えたものです。)
日本語は、英語や中国語とは異なる膠着語ですがこれはエベンキ族やアルタイ族、ウラル族からハンガリー、フィンランドの語族ともつながっており、おそらくはトナカイや犬(狼)とシベリア、バイカル湖に旅し、バイカル湖で漁労や操船技術を身に着けてアムール河(黒竜江)を下って北海道に渡ってきた狩猟・漁労民族の話し言葉の骨格だと思います。
そこに南方系や漢字系の語彙が結びついたのでしょう。
朝鮮人も日本人もバイカル湖畔のモンゴロイドをルーツのひとつにもち遺伝子的にはあまり替わらないかもしれませんが、「漁労を行い後に稲作するようになった水生民族」と、「狩猟・畑作の陸上民族」ではやがて「文化が根本的に違ってきた」と思います。
黄河文明では、夏時代の二里頭文化になっても1点の土器に1つの記号がある程度ですしト骨にも文字は見当たりませんが、殷時代になって「甲骨文字」が突然登場し爆発的に拡大します。
長江および長江ー黄河流域では、
・最古の原始文字(記号)は「河南省買湖遺跡(BC7000年)の亀甲に刻まれた印」や「甘粛省安大地湾の土器の印」があり、すでに「甲骨文字や周の金文文字の片鱗がある」そうです。
・さらに亀卜(きぼく)も始まっていますが、卜に使う駒のようなものは亀の甲羅の器にしまわれていました。
(この亀の甲羅の器はメソポタミアで発見されたトークンという判子を収める土器と役割や形がかなり似ています。)
・やがて仰詔文化(BC4800年)馬家窯文化などやや複雑な記号の羅列が登場します。
・大文口文化(BC4300年)や石家河文化(BC2500年)で、図象のある甲骨文字ができあがり文を構成しています。
・大文口文化を継ぐ山東龍山文化(BC2500)や良渚文化(BC5200年)では甲骨文字がほぼ出来上がっています。
ちなみに、東夷や三苗族などは、もともとは「長江ー黄河流域に分布していた」ものが、「北部からの新興勢力の侵入」にあって「南下」し、「長江流域に集中」してさらに分断され「西山と東海沿岸に分かれた」ものです。
特に倭人にとっては「山東半島の付け根から南岸部」が故地ですから、まさに大文口文化、山東龍山文化、良渚文化そのものかその影響を強く受けています。
ところでメソポタミアでは、BC9000年頃から農業が始まっていますが、「シュメール人が文明を築いたのはBC3000年頃」とかなり後のことで、「それ以前は先シュメール人がいた」といわれています。
クサビ形文字も、その原型は甲骨文字とほとんど同じです。
(クサビ型文字は粘土板に押し付けるトークン(判子)では種類に限界がきて三角断面の葦のペンを様々に押し付けることで文字を表すことを考えたものです。)
日本語は、英語や中国語とは異なる膠着語ですがこれはエベンキ族やアルタイ族、ウラル族からハンガリー、フィンランドの語族ともつながっており、おそらくはトナカイや犬(狼)とシベリア、バイカル湖に旅し、バイカル湖で漁労や操船技術を身に着けてアムール河(黒竜江)を下って北海道に渡ってきた狩猟・漁労民族の話し言葉の骨格だと思います。
そこに南方系や漢字系の語彙が結びついたのでしょう。
朝鮮人も日本人もバイカル湖畔のモンゴロイドをルーツのひとつにもち遺伝子的にはあまり替わらないかもしれませんが、「漁労を行い後に稲作するようになった水生民族」と、「狩猟・畑作の陸上民族」ではやがて「文化が根本的に違ってきた」と思います。
これは メッセージ 50322 (fumittiposupemomo さん)への返信です.
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