Re: 本当の悲劇 日赤従軍看護婦(2)
投稿者: run_run72 投稿日時: 2007/03/04 11:19 投稿番号: [48597 / 230347]
聞いている私をはじめ、居残っていた病院の人たちも、その話にただ暗澹と息をのみ、激しい憤りに身内が震えてくるのを禁じ得ません。脱走した時、うしろから撃たれたのでしょう、十一発の銃創の外に、背中に鉄条網をくぐって来たかすり傷が十数本、血をふいて、みみずばれに腫れています。どんな気持ちで鉄条網をくぐって脱走してきたのか、どんな危険を冒して来たのか、その傷は何よりも雄弁に物語っているではありませんか。
身を挺して次の犠牲者を出したくないと決死の覚悟で逃れて来たこの看護婦の話に、私の涙は噴水のように後から後から噴き出し釆ました。
国が敗れたとしても個人の尊厳は冒すこと出来ないのではないのでしょうか。
それをわずか七日間の参戦で勝ったというだけで、清純な女性を犯すとは何事ぞと、血の出るような叫びを、可憐な二十二歳の命が消えて行こうとする臨終の床に、魂をさく思いで叫んだのでした。
「婦長さん!もう後から人を送ってはいけません。お願いします」という言葉を最後に、その夜十時十五分、がっくりと息をひきとりました。泣いても泣いても涙が止まりませんでした。》
〇死をもって守る乙女の純操
よく二十日日曜日満州の慣習に従い、土葬の野辺送りをすませ、髪の毛と爪をお骨代わりに箱に納め、大島さんには懐かしい三階の看護室に安置し、その夜は一同遅くまで思い出話に花を咲かせた。
明くる月曜日朝、別にあてがわれている合宿所から出勤して来た婦長に、待ちかまえていた人事課長の張宇孝が「もう九時を過ぎているのに一人も出勤して来ない。患者がもうあんなに来ているのにどうするつもりだ」と怒鳴りつける。
婦長は、ハッとして夢中で三階の看護婦室に駆け上がった。そして見たものは・・・。婦長はこう語っている。
《入口には一同の靴がきちんと揃えてありました。障子を開けると大きな屏風が逆さまに立ててあります。中からプンと線香の匂いがしました。変だなと考えるひまもなく部屋に駆け上がってみました。胸がドキドキしました。二十二人の看護婦がズラリと二列に並んで眠っています。しかも満州赤十字看護婦の制服に制帽姿で、めいめい胸のあたりで両手を合わせて合掌しているではありませんか。
脚は紐できちん縛ってあります。直感的な不安を感じ私はあわてて一人に触ってみました。もう冷たくなっているのでした。(中略)
し−んとした死の部屋で、どの顔もどの顔も、極めて平和な、しかも美しい顔をして、制服制帽こそ長い間の従軍につぎが当たり色は褪せてていますが、折り目正しく、きちんと着ています。二列になった床の中央には机を持ち出し、その上に昨日各自の手でお弔いをした大島はなえさんの遺髪を飾り、お線香と水が供えられてあります。》
その遺書にはこう書かれていた。
『二十二名の私たちが自分の手で命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑と深くお詫び申し上げます。
私たちは敗れたりとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死をえらぴます。
たとい命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の土に止り、日本が再びこの地に還って来る日、御案内致します。その意味からも、私どものなきがらは土葬にして、この満州の土にしてください。』
この後に全員の名前がそれぞれの手で記されてあった。
現場検証に来たゲー・ペー・ウーにその遺書を見せ、婦長は溢れ落つる涙を拭きもあえず、投獄されようと厭う所でなく、嗚咽とともに、最初からの経緯をことごとくぶちまけてソ連の非道をなじった。さすがのゲー・ペー・ウーも顔色を変えて感動したようである。翌日直ちに「ソ連の命令として伝えられるもので納得行かぬものがあれば二十四時間以内にゲー・ペー・ウーに必ず問い合わせること」 「日本の女とソ連兵がジープその他の車に同乗してはならない」というような布令が出た。どうせソ連のことであるが、これで当面いくらかの効果はあったであろう。
二十二名の自決の模様は、一番年長で監督をしていた二十六歳の井上鶴美さんが、皆に青酸カリを与えて一同の死を見届けた上、最後に自分も服毒して息絶えたものらしく、二十一名はきちんと膝を紐でくくり、静かに眼をつぶって合掌していたが、一番端でこと切れている井上さんだけは断末魔の苦悶の表情があった。
彼女たちは死の当日、ボイラー室に大きな包みを二つ持ち込んで来て目の前で燃やしてもらい、汚れ物一枚残さず、日本女性の身だしなみのよさと覚悟のほどが偲ばれた。
後略
言葉を失います…。
何が信じるに値するか、しないか、一読すれば一目瞭然です。
そして、その精神の高貴さも。
身を挺して次の犠牲者を出したくないと決死の覚悟で逃れて来たこの看護婦の話に、私の涙は噴水のように後から後から噴き出し釆ました。
国が敗れたとしても個人の尊厳は冒すこと出来ないのではないのでしょうか。
それをわずか七日間の参戦で勝ったというだけで、清純な女性を犯すとは何事ぞと、血の出るような叫びを、可憐な二十二歳の命が消えて行こうとする臨終の床に、魂をさく思いで叫んだのでした。
「婦長さん!もう後から人を送ってはいけません。お願いします」という言葉を最後に、その夜十時十五分、がっくりと息をひきとりました。泣いても泣いても涙が止まりませんでした。》
〇死をもって守る乙女の純操
よく二十日日曜日満州の慣習に従い、土葬の野辺送りをすませ、髪の毛と爪をお骨代わりに箱に納め、大島さんには懐かしい三階の看護室に安置し、その夜は一同遅くまで思い出話に花を咲かせた。
明くる月曜日朝、別にあてがわれている合宿所から出勤して来た婦長に、待ちかまえていた人事課長の張宇孝が「もう九時を過ぎているのに一人も出勤して来ない。患者がもうあんなに来ているのにどうするつもりだ」と怒鳴りつける。
婦長は、ハッとして夢中で三階の看護婦室に駆け上がった。そして見たものは・・・。婦長はこう語っている。
《入口には一同の靴がきちんと揃えてありました。障子を開けると大きな屏風が逆さまに立ててあります。中からプンと線香の匂いがしました。変だなと考えるひまもなく部屋に駆け上がってみました。胸がドキドキしました。二十二人の看護婦がズラリと二列に並んで眠っています。しかも満州赤十字看護婦の制服に制帽姿で、めいめい胸のあたりで両手を合わせて合掌しているではありませんか。
脚は紐できちん縛ってあります。直感的な不安を感じ私はあわてて一人に触ってみました。もう冷たくなっているのでした。(中略)
し−んとした死の部屋で、どの顔もどの顔も、極めて平和な、しかも美しい顔をして、制服制帽こそ長い間の従軍につぎが当たり色は褪せてていますが、折り目正しく、きちんと着ています。二列になった床の中央には机を持ち出し、その上に昨日各自の手でお弔いをした大島はなえさんの遺髪を飾り、お線香と水が供えられてあります。》
その遺書にはこう書かれていた。
『二十二名の私たちが自分の手で命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑と深くお詫び申し上げます。
私たちは敗れたりとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死をえらぴます。
たとい命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の土に止り、日本が再びこの地に還って来る日、御案内致します。その意味からも、私どものなきがらは土葬にして、この満州の土にしてください。』
この後に全員の名前がそれぞれの手で記されてあった。
現場検証に来たゲー・ペー・ウーにその遺書を見せ、婦長は溢れ落つる涙を拭きもあえず、投獄されようと厭う所でなく、嗚咽とともに、最初からの経緯をことごとくぶちまけてソ連の非道をなじった。さすがのゲー・ペー・ウーも顔色を変えて感動したようである。翌日直ちに「ソ連の命令として伝えられるもので納得行かぬものがあれば二十四時間以内にゲー・ペー・ウーに必ず問い合わせること」 「日本の女とソ連兵がジープその他の車に同乗してはならない」というような布令が出た。どうせソ連のことであるが、これで当面いくらかの効果はあったであろう。
二十二名の自決の模様は、一番年長で監督をしていた二十六歳の井上鶴美さんが、皆に青酸カリを与えて一同の死を見届けた上、最後に自分も服毒して息絶えたものらしく、二十一名はきちんと膝を紐でくくり、静かに眼をつぶって合掌していたが、一番端でこと切れている井上さんだけは断末魔の苦悶の表情があった。
彼女たちは死の当日、ボイラー室に大きな包みを二つ持ち込んで来て目の前で燃やしてもらい、汚れ物一枚残さず、日本女性の身だしなみのよさと覚悟のほどが偲ばれた。
後略
言葉を失います…。
何が信じるに値するか、しないか、一読すれば一目瞭然です。
そして、その精神の高貴さも。
これは メッセージ 48596 (run_run72 さん)への返信です.
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