re:差別意識はなくならないと思う
投稿者: mui_jpn 投稿日時: 2004/03/09 10:12 投稿番号: [4811 / 230347]
b598056さん
差別(意識)という観点だけで外国(人)に対する自らの態度を決定するのは疑問です。
どのような対外問題にもいろいろな側面があります。差別問題はその一側面に過ぎません。
あたかもそれが全ての問題を包摂する根幹であるかのように語るのには、賛成できません。
あなたがそうだというのではないですが、お考えはそれに近い隘路に入りかけてはいませんか?
国益という言葉も軽々に使っては「誰のための国益なんだ」という議論になってしまうで
しょうが、対外問題ということであれば必ずそれは存在しますし、重要な判断材料です。
(「外」と区別した瞬間に「内」が生まれますよね。ここで外と内の間の利害関係が生じます)
>自分と他者、敵と味方、自国と他国というように様々なカテゴリーで線引きが行われると、
>自分の側が少しでも優位でありたいと無意識の内に願ってしまうのは当然だと思います。
この考えに反対するのではありませんが、私はこれを深刻なものだとは考えません。その分
若くはないのでしょう。一言、お互い様だよ、って感じですか? 自分(たち)が逃れ得ない
ものを、どこかの誰かが理想的に回避しているとは、あまり思わないのです。
>それでも、自分たちの民族が相手の民族に対して優位であることを認識したくなります。
>国際大会で自国の選手が勝つと喜ぶのが、これにあたると思います。
>自分をその選手に重ね合わせるのです。
まず「民族」なる観念が、国民国家を形成するものとしては非常に新しい近代的な概念で
あることを考えてみてください。これは「外と内」の大枠の問題の中では、むしろ枝葉の部分
ではないかと私には思われます。
次に、あなたがその感情を卑下するには及びません。その行為が悲しいものなら、とても
プリミティブに「民族優位」に一喜一憂するどこかの国は立つ瀬がなくなってしまうでしょう(笑
そしてそれは、
>もっと簡単な方法は、相手側が自分たちよりも劣っていると思い込むことです。
とかいうところへ直結する問題ではありません。そういう方もいるでしょうし、そういう国民
(自分たちの優位な部分と相手側の劣っている部分しか見えなくなってしまうような人たち)も
いるかもしれませんが(笑)
私は自分の喜び(興奮)を誰かに対する優越感に常に結びつけるような「はしたない」まねは
しませんし、私と同じような人たちが多くいることも知っています。
あなたが真摯に自分を見つめて「負の感情」を見つけ、それに悲しくなるならば、あなたは
正直な人ですねという感想を持ちますが、それによってあなたを断罪する者はいません。いるな
らば、そういう連中をこそ私は軽蔑します。
「差別はいけない」というのは現代日本人にとってはほぼ当たり前のことです。それは我々に
とってある種の「祝福」であり誇るべきことだとも思います。しかしそれは複雑な世の中を生きる
われわれの判断材料としては、一つの部分に過ぎないことも考えてみてください。
(私は「反差別」で食ってるわけじゃないので、このようなことも言えます)
よろしいですか、国際関係という問題は、差別か否かということだけで語れるような単純なもの
では決してないのですよ。差別がなければよろしい。それは当たり前のことであって、他にもいく
らでも考えるべきファクターがあるでしょう。
>多分、私は民族と言うカテゴリーで朝鮮民族を差別していると思います。
>北朝鮮や韓国の良い点が見つからなくなってしまっていますから・・・。
このようにあなたがお悩みになる必要はないと、老婆心ながら申します。ま、ちょっと長くなり
ましたので、ひとまずレスはここまでにします。
差別(意識)という観点だけで外国(人)に対する自らの態度を決定するのは疑問です。
どのような対外問題にもいろいろな側面があります。差別問題はその一側面に過ぎません。
あたかもそれが全ての問題を包摂する根幹であるかのように語るのには、賛成できません。
あなたがそうだというのではないですが、お考えはそれに近い隘路に入りかけてはいませんか?
国益という言葉も軽々に使っては「誰のための国益なんだ」という議論になってしまうで
しょうが、対外問題ということであれば必ずそれは存在しますし、重要な判断材料です。
(「外」と区別した瞬間に「内」が生まれますよね。ここで外と内の間の利害関係が生じます)
>自分と他者、敵と味方、自国と他国というように様々なカテゴリーで線引きが行われると、
>自分の側が少しでも優位でありたいと無意識の内に願ってしまうのは当然だと思います。
この考えに反対するのではありませんが、私はこれを深刻なものだとは考えません。その分
若くはないのでしょう。一言、お互い様だよ、って感じですか? 自分(たち)が逃れ得ない
ものを、どこかの誰かが理想的に回避しているとは、あまり思わないのです。
>それでも、自分たちの民族が相手の民族に対して優位であることを認識したくなります。
>国際大会で自国の選手が勝つと喜ぶのが、これにあたると思います。
>自分をその選手に重ね合わせるのです。
まず「民族」なる観念が、国民国家を形成するものとしては非常に新しい近代的な概念で
あることを考えてみてください。これは「外と内」の大枠の問題の中では、むしろ枝葉の部分
ではないかと私には思われます。
次に、あなたがその感情を卑下するには及びません。その行為が悲しいものなら、とても
プリミティブに「民族優位」に一喜一憂するどこかの国は立つ瀬がなくなってしまうでしょう(笑
そしてそれは、
>もっと簡単な方法は、相手側が自分たちよりも劣っていると思い込むことです。
とかいうところへ直結する問題ではありません。そういう方もいるでしょうし、そういう国民
(自分たちの優位な部分と相手側の劣っている部分しか見えなくなってしまうような人たち)も
いるかもしれませんが(笑)
私は自分の喜び(興奮)を誰かに対する優越感に常に結びつけるような「はしたない」まねは
しませんし、私と同じような人たちが多くいることも知っています。
あなたが真摯に自分を見つめて「負の感情」を見つけ、それに悲しくなるならば、あなたは
正直な人ですねという感想を持ちますが、それによってあなたを断罪する者はいません。いるな
らば、そういう連中をこそ私は軽蔑します。
「差別はいけない」というのは現代日本人にとってはほぼ当たり前のことです。それは我々に
とってある種の「祝福」であり誇るべきことだとも思います。しかしそれは複雑な世の中を生きる
われわれの判断材料としては、一つの部分に過ぎないことも考えてみてください。
(私は「反差別」で食ってるわけじゃないので、このようなことも言えます)
よろしいですか、国際関係という問題は、差別か否かということだけで語れるような単純なもの
では決してないのですよ。差別がなければよろしい。それは当たり前のことであって、他にもいく
らでも考えるべきファクターがあるでしょう。
>多分、私は民族と言うカテゴリーで朝鮮民族を差別していると思います。
>北朝鮮や韓国の良い点が見つからなくなってしまっていますから・・・。
このようにあなたがお悩みになる必要はないと、老婆心ながら申します。ま、ちょっと長くなり
ましたので、ひとまずレスはここまでにします。
これは メッセージ 4810 (b598056 さん)への返信です.
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