Re: 『拉致』問題ほか南北朝鮮の人々の〜1
投稿者: asianrobo 投稿日時: 2007/01/21 21:24 投稿番号: [46299 / 230347]
>おいおい
余り掲示板で何を言っても良いのか知らないが、無茶苦茶なデタラメを言ってはバカにされるぞ。
金玉均は単なるク−デタ−を起こしただけだ。
1884年12月4日
金玉均ら蜂起開始
金玉均ら独立派、高宗と閔妃を確保。
高宗から、日本領事館に対し救援要請。
日本領事館、陸軍歩兵部隊と派遣。
12月4日〜5日
事大党の主要人物(閔台鎬、趙寧夏、韓圭稷、李祖淵、尹泰駿、閔泳穆等)が暗殺される。
12月5日
独立党主体の新政権が組閣。
陣容が欧米側外交官らにも発表され、概ね支持を受ける。
組閣された役職の一部
右議政 李載元
前後両営監督 兼 捕盗大将 朴泳孝
左右両営監督 兼 捕盗大将軍国事務衙門協弁 洪英植
戸曹参判 兼 恵商局堂上 金玉均
外衙門協弁署理督弁 徐光範
閔妃、京畿道観察使の沈相蟬と会談。清側に介入を依頼すべく行動を開始。
閔妃、昌徳宮への移動を要請。金玉均の提案で桂洞宮へと移動。その際の隙をついて清側及び事大党残存勢力と連携。
米公使 ルシアス・H・フート、英公使 ウィリアム・G・アストン、政情が安定したと判断し桂洞宮から退去。
閔妃の要請で、高宗ら昌徳宮に移動。
日本側、金玉均らに対し、派遣した歩兵部隊の公使館へ撤収を主張するが、逆に派遣延長を要請され、そのまま警護を続ける。
閔妃の意を受けた金弘集等により、清国軍に対し出兵要請。
12月6日
清国軍、昌徳宮周辺に展開。
昌徳宮を守備する日本軍と交戦開始。
日本側、高宗らの守備を断念し撤退。独立党、高宗の警護の為に残留を主張した洪英植ら一部を残し昌徳宮を退去。
洪英植ら、清国軍に寝返った朝鮮兵により惨殺。
というのが甲申事変の大体の流れだがね。
どの辺りが無茶苦茶な出鱈目なのか説明してもらいましょうかね。
ご高説を期待しているよw。
>お前が自慢する金玉均はク−デタ−失敗の後、日本を頼って来たが日本政府は冷たかった。
自慢なんてしとらんがねw。
金玉均を中心とする独立党が、清からの独立を望み、日本に支援を要請したという事実を提示はしてるがね。
>それが朝鮮の問題とどうリンクするのだ?
議論に詰まったからと云って余り突飛なことを云うなよ。
やれやれ、朝鮮と同じような事例として日本を挙げただけなんだが、理解できないようだなw。
>お前は元々朝鮮の方から日本に独立を頼んで来たと言ったではないか。
だから日本が先に朝鮮に関わったことを云ってるのだ。
へ、これ本気で言ってるわけ?
日本が朝鮮を開国させたことが、金玉均らが日本側に独立の支援を頼んだことを否定する理由にならないことも理解できないようでは処置なしなんだが(苦笑)。
>上の私の答えになっていないが、誰がその文化人なのだ?
私は失望の理由など聞いていないのだが。
人の発言をすり替え扱いする割には、自分がすり替えをするのはかまわないのなw。
朝鮮の対応に失望したと言う発言を、勝手に暗殺と言うありふれた手段に対して失望するなんておかしいとすり替えてるから指摘したんだがね。
>文の流れから急に福沢諭吉が出て来るのは理解出来ないが、金玉均なる人物を日本で世話したのは諭吉だよ。
政府に頼まれた訳ではない。
何故理解できないのか理解できないがねw。
>その金玉均のク−デタ−失敗などが脱亜論の一つの原因にも有るだろうが、結局諭吉は前にも述べたように勝手に朝鮮に期待して、それが裏切られたことが脱亜論の考え方として影響が有ることは否めない。
金玉均らの改革を望む勢力がいれば、朝鮮を列強や清に対するパートナーと出来ると期待した福沢諭吉らの知識人が、金玉均らが政変に失敗したことと、その親族に及んだ前近代的な刑罰に失望したというのが、君の論と矛盾すると何故言えるのか理解できないんだがね。
金玉均は単なるク−デタ−を起こしただけだ。
1884年12月4日
金玉均ら蜂起開始
金玉均ら独立派、高宗と閔妃を確保。
高宗から、日本領事館に対し救援要請。
日本領事館、陸軍歩兵部隊と派遣。
12月4日〜5日
事大党の主要人物(閔台鎬、趙寧夏、韓圭稷、李祖淵、尹泰駿、閔泳穆等)が暗殺される。
12月5日
独立党主体の新政権が組閣。
陣容が欧米側外交官らにも発表され、概ね支持を受ける。
組閣された役職の一部
右議政 李載元
前後両営監督 兼 捕盗大将 朴泳孝
左右両営監督 兼 捕盗大将軍国事務衙門協弁 洪英植
戸曹参判 兼 恵商局堂上 金玉均
外衙門協弁署理督弁 徐光範
閔妃、京畿道観察使の沈相蟬と会談。清側に介入を依頼すべく行動を開始。
閔妃、昌徳宮への移動を要請。金玉均の提案で桂洞宮へと移動。その際の隙をついて清側及び事大党残存勢力と連携。
米公使 ルシアス・H・フート、英公使 ウィリアム・G・アストン、政情が安定したと判断し桂洞宮から退去。
閔妃の要請で、高宗ら昌徳宮に移動。
日本側、金玉均らに対し、派遣した歩兵部隊の公使館へ撤収を主張するが、逆に派遣延長を要請され、そのまま警護を続ける。
閔妃の意を受けた金弘集等により、清国軍に対し出兵要請。
12月6日
清国軍、昌徳宮周辺に展開。
昌徳宮を守備する日本軍と交戦開始。
日本側、高宗らの守備を断念し撤退。独立党、高宗の警護の為に残留を主張した洪英植ら一部を残し昌徳宮を退去。
洪英植ら、清国軍に寝返った朝鮮兵により惨殺。
というのが甲申事変の大体の流れだがね。
どの辺りが無茶苦茶な出鱈目なのか説明してもらいましょうかね。
ご高説を期待しているよw。
>お前が自慢する金玉均はク−デタ−失敗の後、日本を頼って来たが日本政府は冷たかった。
自慢なんてしとらんがねw。
金玉均を中心とする独立党が、清からの独立を望み、日本に支援を要請したという事実を提示はしてるがね。
>それが朝鮮の問題とどうリンクするのだ?
議論に詰まったからと云って余り突飛なことを云うなよ。
やれやれ、朝鮮と同じような事例として日本を挙げただけなんだが、理解できないようだなw。
>お前は元々朝鮮の方から日本に独立を頼んで来たと言ったではないか。
だから日本が先に朝鮮に関わったことを云ってるのだ。
へ、これ本気で言ってるわけ?
日本が朝鮮を開国させたことが、金玉均らが日本側に独立の支援を頼んだことを否定する理由にならないことも理解できないようでは処置なしなんだが(苦笑)。
>上の私の答えになっていないが、誰がその文化人なのだ?
私は失望の理由など聞いていないのだが。
人の発言をすり替え扱いする割には、自分がすり替えをするのはかまわないのなw。
朝鮮の対応に失望したと言う発言を、勝手に暗殺と言うありふれた手段に対して失望するなんておかしいとすり替えてるから指摘したんだがね。
>文の流れから急に福沢諭吉が出て来るのは理解出来ないが、金玉均なる人物を日本で世話したのは諭吉だよ。
政府に頼まれた訳ではない。
何故理解できないのか理解できないがねw。
>その金玉均のク−デタ−失敗などが脱亜論の一つの原因にも有るだろうが、結局諭吉は前にも述べたように勝手に朝鮮に期待して、それが裏切られたことが脱亜論の考え方として影響が有ることは否めない。
金玉均らの改革を望む勢力がいれば、朝鮮を列強や清に対するパートナーと出来ると期待した福沢諭吉らの知識人が、金玉均らが政変に失敗したことと、その親族に及んだ前近代的な刑罰に失望したというのが、君の論と矛盾すると何故言えるのか理解できないんだがね。
これは メッセージ 46293 (zule_let さん)への返信です.
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