Re: 避難民保護のために最後まで戦った日本
投稿者: bis0258 投稿日時: 2007/01/10 12:27 投稿番号: [45495 / 230347]
最近の議論を見て、何を論じているのかが分かりにくくなっているけど、
自分も含め、ここに投稿している多くの方は、終戦直後の朝鮮人の暴動について、日本より遠くなれば遠くなるほど、暴動が多かったと考えていて、
治安の良い(と言っても平時から見ればすごく悪いけど)地域の順序として、
現在の日本の地域 > 朝鮮南部 > 朝鮮北部 だと考えています。(案A)
ところでスーパードレッドノートさんは、
朝鮮南部 > 現在の日本の地域 > 朝鮮北部 と主張しているのかな?(案B)
まずこの点をはっきりさせないと、議論が成り立たないので、お願いします。
もし(案A)であるとしたら、過去の議論は、非常に枝葉の話なので、これ以上続けるのは無意味ですね。暴動の頻度の差を論じても意味無いですね。終了しましょう。
結論は、「朝鮮人は暴動を起こした。」ですから。
もし(案B)であれば、議論を続ける価値はあると思います。新説ですから。
もし、このスーパードレッドノートさんが(案B)を主張していて、かつその主張が正しいものであれば、従来、終戦直後の朝鮮人の暴動は、実は「朝鮮北部」が正しくて、多くの方が「朝鮮全土」と勘違いしていたという事になるよね。
かなり重要な内容のため、徹底的に確認した方がいいと思うよ。
そして、事実確認ができれば、スーパードレッドノートさんは英雄ですよ。やってみる価値はありますね。
でも自分は、いくら何でも(案A)が正しいと思いますけど。確証は無いけどね。
以下は自分の想像で、間違っていたら悪いけど、
終戦時、満州に在住していた日本人の体験談として、勝手に文章を作りました。
「当初現地人から襲撃を受け、日本に向けて逃げる過程の通行する地域で再度襲撃を受け、命からがら逃げまどい、日本に近づくにつれ治安が安定し、特に38度線を越えたら暴動はなかった。」と証言する方はいるかと思います。
まず、自分の感想として一言、「よく無事で帰ってこれて・・・、良かったです。」ですね。
次に、この証言をドライに分析すると、これだけでは、終戦直後の朝鮮南部の治安は良かった(暴動は少なかった)ということの証明にはならないです。
理由は、以下のとおりです。
終戦時の朝鮮人の暴動は、延々と続くものでなく、以下の事由で自然に消滅します。
・日本人がいなくなった。逃げちゃった。
・進駐軍(アメリカ・ソビエト)がやってきた。
で、先ほどの体験談が、8月中に満州地方、9月初旬に朝鮮北部、9月中旬に朝鮮南部と逃避行した方の証言だとすると、終戦直後8月の朝鮮南部の状況を知らないことになります。
また、9月に暴動が鎮静化した頃、38度線を越えた避難者が多かったと考えられます。
逆に言えば、9月の時点であれば、仮に満州地方にいたとしても、襲撃を受けなかったとも考えられます。(この場合・・・、シベリア抑留かな?怖い!)
結論ですが、終戦直後の朝鮮人の暴動について、
「朝鮮南部は比較的治安が安定していて、現在の日本の地域よりも暴動が少なかった。」と主張したい場合は、終戦の8月に朝鮮南部に在住していた方の証言を、数多く集める必要が有ると思います。
そして、朝鮮北部と現在の日本の地域との暴動の頻度を検証し、明らかに朝鮮南部が、現在の日本の地域より少ないことを立証すれば、多くの方の賛同が得られると思います。
大変な道のりでが、スーパードレッドノートさんの努力を期待します。
長文失礼しました。
よろしくお願いします。
自分も含め、ここに投稿している多くの方は、終戦直後の朝鮮人の暴動について、日本より遠くなれば遠くなるほど、暴動が多かったと考えていて、
治安の良い(と言っても平時から見ればすごく悪いけど)地域の順序として、
現在の日本の地域 > 朝鮮南部 > 朝鮮北部 だと考えています。(案A)
ところでスーパードレッドノートさんは、
朝鮮南部 > 現在の日本の地域 > 朝鮮北部 と主張しているのかな?(案B)
まずこの点をはっきりさせないと、議論が成り立たないので、お願いします。
もし(案A)であるとしたら、過去の議論は、非常に枝葉の話なので、これ以上続けるのは無意味ですね。暴動の頻度の差を論じても意味無いですね。終了しましょう。
結論は、「朝鮮人は暴動を起こした。」ですから。
もし(案B)であれば、議論を続ける価値はあると思います。新説ですから。
もし、このスーパードレッドノートさんが(案B)を主張していて、かつその主張が正しいものであれば、従来、終戦直後の朝鮮人の暴動は、実は「朝鮮北部」が正しくて、多くの方が「朝鮮全土」と勘違いしていたという事になるよね。
かなり重要な内容のため、徹底的に確認した方がいいと思うよ。
そして、事実確認ができれば、スーパードレッドノートさんは英雄ですよ。やってみる価値はありますね。
でも自分は、いくら何でも(案A)が正しいと思いますけど。確証は無いけどね。
以下は自分の想像で、間違っていたら悪いけど、
終戦時、満州に在住していた日本人の体験談として、勝手に文章を作りました。
「当初現地人から襲撃を受け、日本に向けて逃げる過程の通行する地域で再度襲撃を受け、命からがら逃げまどい、日本に近づくにつれ治安が安定し、特に38度線を越えたら暴動はなかった。」と証言する方はいるかと思います。
まず、自分の感想として一言、「よく無事で帰ってこれて・・・、良かったです。」ですね。
次に、この証言をドライに分析すると、これだけでは、終戦直後の朝鮮南部の治安は良かった(暴動は少なかった)ということの証明にはならないです。
理由は、以下のとおりです。
終戦時の朝鮮人の暴動は、延々と続くものでなく、以下の事由で自然に消滅します。
・日本人がいなくなった。逃げちゃった。
・進駐軍(アメリカ・ソビエト)がやってきた。
で、先ほどの体験談が、8月中に満州地方、9月初旬に朝鮮北部、9月中旬に朝鮮南部と逃避行した方の証言だとすると、終戦直後8月の朝鮮南部の状況を知らないことになります。
また、9月に暴動が鎮静化した頃、38度線を越えた避難者が多かったと考えられます。
逆に言えば、9月の時点であれば、仮に満州地方にいたとしても、襲撃を受けなかったとも考えられます。(この場合・・・、シベリア抑留かな?怖い!)
結論ですが、終戦直後の朝鮮人の暴動について、
「朝鮮南部は比較的治安が安定していて、現在の日本の地域よりも暴動が少なかった。」と主張したい場合は、終戦の8月に朝鮮南部に在住していた方の証言を、数多く集める必要が有ると思います。
そして、朝鮮北部と現在の日本の地域との暴動の頻度を検証し、明らかに朝鮮南部が、現在の日本の地域より少ないことを立証すれば、多くの方の賛同が得られると思います。
大変な道のりでが、スーパードレッドノートさんの努力を期待します。
長文失礼しました。
よろしくお願いします。
これは メッセージ 45479 (superdreadnote さん)への返信です.
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