日本の歴史教育の良さ
投稿者: goddagodo345 投稿日時: 2006/09/07 01:21 投稿番号: [37273 / 230347]
>戦争(いくさ)が少しでもからむ日本人は肯定的には教えられませんし、
日本人が立派だ、という教育は避けているように思います。
日本人が日本人に誇りを持つ教育はしない。<
僕が、今の日本の歴史教育のあり方で、一番、評価している部分は、「先入観」を持たせないということです。
日本の歴史教育を受けて、どこかの一国をとても好きになったり、嫌いになったりすることは無いと思います。日本も含めて。
人間が生きていく上で、一番重要なのは、バランス感覚だと思います。そのバランス感覚を確かなものにするために必要なのは、バランスの取れた情報で、そういう情報を確保するために必要なのは、特定の対象に対して先入観を持たないことだと思います。
例えば特定の人物を公的に持ち上げすぎると時代が進むに連れて一人歩きし、ひいてはおかしな部分があっても否定することが出来ないという状況が生まれることがあります。
そもそも、一国の歴史にも、一人の人間の歴史にも光と闇の部分があるのは自然なことですし、その光の当て方によって、評価も大きく変わって来ます。
そういう解釈の自由度を残しておくということは非常に重要なことだと思います。
ただ、今の日本の歴史の教科書は、説明が少なさ過ぎて、理解では無くて丸暗記になりがちです。それで、テストでも良い点数がとれてしまいます。
アメリカの歴史の教科書なんて、百科事典のように分厚かった記憶があります。日本もそういう風にするべきだとは思います。
>そういう教育が戦後60年以上も続いていて、
「自ら省みて直くんば、千万人といえども我行かん。」という気概をもった日本人が
現在、またはこれからの日本に出現するのでしょうか?<
これ今日読んだ、安倍晋三さんの「美しい国へ」に出てきた孟子の言葉です。
本当は、現代にもいっぱいいるのに私たちが気が付かないだけだと思いますよ。日本のマスコミも評論家減点主義の採点が好きですからね。
本当は評価をするリスクから逃げてるだけだと思いますが。
私も「自ら省みて直くんば、千万人といえども我行かん。」の気概で、今回の中国の歴史教育の変化を評価したつもりです。^^上手いこと騙されてたりして・・・。
>ただ、小村寿太郎に関しては、
日本も実はギリギリだった、と教科書に書いてあった気もするんですが。<
僕の記憶違いだったらごめんなさい。
>ただ、日本史をざっと見ると、私の知る限りでは、
一族皆殺し、とかそこに居る人皆殺しは織田信長しかやってない。<
これは、そんなこと無いですよ。あくまで教科書に書いて無いだけです。もっともっと残酷な歴史的事実は日本史にも沢山あります。信長に押し付けられてるだけです。信長の比叡山焼き討ちや宗教界に対する対決は、当時の宗教界の腐敗堕落振りを明らかにした上で論じられなければフェアじゃ無いと思います。
当時のお寺は、武装していたのになぜか、僧兵と戦国武将が戦うシーンってテレビドラマでも映画でも見たことがありません。明らかにしてしまうと宗教界のイメージダウンにつながるからタブーみたいになってるのかなと思っています。
それと、明治維新の志士たちは今のようなきちんとした歴史教育を受けてた訳じゃありません。気概とは、又別な所から生まれてくるのかもしれません。
余談ですが、僕は、仏教もキリスト教も神道も好きです。というかそれぞれためになることがあると思っています。イスラム教は読んだことが無いので分りません。
神道について個人的に思っているのは、この教えの根本は、先入観を払うということなんじゃないかということです。
神道について書かれた教義みたいなものは見たことが無い。ただ、ひたすらに清め、払う。
お払いしてもらうとなんだか安心しますよね。
自分の中の悪い先入観が払われた時に、人間が本来持っているバランス感覚を取り戻す瞬間かなと思います。
日本人が立派だ、という教育は避けているように思います。
日本人が日本人に誇りを持つ教育はしない。<
僕が、今の日本の歴史教育のあり方で、一番、評価している部分は、「先入観」を持たせないということです。
日本の歴史教育を受けて、どこかの一国をとても好きになったり、嫌いになったりすることは無いと思います。日本も含めて。
人間が生きていく上で、一番重要なのは、バランス感覚だと思います。そのバランス感覚を確かなものにするために必要なのは、バランスの取れた情報で、そういう情報を確保するために必要なのは、特定の対象に対して先入観を持たないことだと思います。
例えば特定の人物を公的に持ち上げすぎると時代が進むに連れて一人歩きし、ひいてはおかしな部分があっても否定することが出来ないという状況が生まれることがあります。
そもそも、一国の歴史にも、一人の人間の歴史にも光と闇の部分があるのは自然なことですし、その光の当て方によって、評価も大きく変わって来ます。
そういう解釈の自由度を残しておくということは非常に重要なことだと思います。
ただ、今の日本の歴史の教科書は、説明が少なさ過ぎて、理解では無くて丸暗記になりがちです。それで、テストでも良い点数がとれてしまいます。
アメリカの歴史の教科書なんて、百科事典のように分厚かった記憶があります。日本もそういう風にするべきだとは思います。
>そういう教育が戦後60年以上も続いていて、
「自ら省みて直くんば、千万人といえども我行かん。」という気概をもった日本人が
現在、またはこれからの日本に出現するのでしょうか?<
これ今日読んだ、安倍晋三さんの「美しい国へ」に出てきた孟子の言葉です。
本当は、現代にもいっぱいいるのに私たちが気が付かないだけだと思いますよ。日本のマスコミも評論家減点主義の採点が好きですからね。
本当は評価をするリスクから逃げてるだけだと思いますが。
私も「自ら省みて直くんば、千万人といえども我行かん。」の気概で、今回の中国の歴史教育の変化を評価したつもりです。^^上手いこと騙されてたりして・・・。
>ただ、小村寿太郎に関しては、
日本も実はギリギリだった、と教科書に書いてあった気もするんですが。<
僕の記憶違いだったらごめんなさい。
>ただ、日本史をざっと見ると、私の知る限りでは、
一族皆殺し、とかそこに居る人皆殺しは織田信長しかやってない。<
これは、そんなこと無いですよ。あくまで教科書に書いて無いだけです。もっともっと残酷な歴史的事実は日本史にも沢山あります。信長に押し付けられてるだけです。信長の比叡山焼き討ちや宗教界に対する対決は、当時の宗教界の腐敗堕落振りを明らかにした上で論じられなければフェアじゃ無いと思います。
当時のお寺は、武装していたのになぜか、僧兵と戦国武将が戦うシーンってテレビドラマでも映画でも見たことがありません。明らかにしてしまうと宗教界のイメージダウンにつながるからタブーみたいになってるのかなと思っています。
それと、明治維新の志士たちは今のようなきちんとした歴史教育を受けてた訳じゃありません。気概とは、又別な所から生まれてくるのかもしれません。
余談ですが、僕は、仏教もキリスト教も神道も好きです。というかそれぞれためになることがあると思っています。イスラム教は読んだことが無いので分りません。
神道について個人的に思っているのは、この教えの根本は、先入観を払うということなんじゃないかということです。
神道について書かれた教義みたいなものは見たことが無い。ただ、ひたすらに清め、払う。
お払いしてもらうとなんだか安心しますよね。
自分の中の悪い先入観が払われた時に、人間が本来持っているバランス感覚を取り戻す瞬間かなと思います。
これは メッセージ 37253 (run_run72 さん)への返信です.
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