民族意識1
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/11/08 10:55 投稿番号: [2330 / 230347]
参政権問題に絡んで、民族意識というものは重要なポイントかと愚考します。その意味で投稿します。
在日韓国学生同盟もその綱領に挙げている「民族的アイデンティティ確立」というものですが、私には
民族のアイデンティティーという考え方は、比較的新しいものだと思えます。またこれを考えるといろいろ
な疑問が湧いてきたりもします。いくつか考えたところを書かせていただきます。
一つの手がかりとして、民族の定義ですが、これはgooで大辞林第二版から検索してみますと、
みんぞく 【民族】
「われわれ…人」という帰属意識を共有する集団。従来、共通の出自・言語・宗教・生活様式・居住地などをもつ集団とされることが多かった。民族は政治的・歴史的に形成され、状況によりその範囲や捉え方などが変化する。国民の範囲と一致しないことが多く、複数の民族が共存する国家が多い。
と書かれています。「政治的・歴史的に形成され」たというのは、まさにこの概念が自然科学的なものと
離れた局面で作られたことを指すと思います。つまり「血筋」とか「遺伝」は、本質的には民族とは関係ない
ということです。
それでは何が本質に関わるかというと、「言語・宗教・生活様式…」これらはまあ「文化的側面」とまとめる
ことができそうです。居住地は、現住所という意味では関わらないでしょう、流浪の民という表現もありますし、
これは「共通の出自」という観念に取り込んで「歴史意識」という具合になりましょうか。これら文化的側面と
歴史意識が「〜人」という帰属意識を共有させて、そこに民族というものがあるということですよね。
文化的側面が意識されるのは、自分らが当たり前としていることに疑問が持たれた時、つまりは他の文化と
接触した時です。文化接触による葛藤があれば、不断に民族というものが意識されるというのはわかり易い構図
ではないかと思います。他の言語・他の宗教・他の生活様式…否が応でも「自分たち」という意識が生れるのだ
と考えられます。そういう意味では「在日」の方々が民族を強く意識し、本国の人がそれを意識するのはあまり
ない…はずなのですが、どうもそういうものではないらしいですね。(後述します)
歴史意識が民族を維持させる鍵となる感があります。これはもう正しい正しくないというレベルではなく、
神話レベルでの話ではないかと思います。例えば建国神話とか、宗教的な聖典の記述とか(cf.選民思想)、そしてここに民族的栄光の記憶とか民族的悲劇の伝承とかいったものが入ると考えられるでしょう。
非常に皮肉な話になってしまうのですが、文化接触において優位であった者は自らのアイデンティティーを
脅かされる部分が相対的に少ないため、劣位にあった者の方がよりその事態を意識することになる、ということ
は言えるでしょう。日本においては「明治維新」前後の西洋文明との接触、第二次大戦後のアメリカ文化との
接触がその例にあたると思います。優位な文化の接触を受けて、人は様々に反応します。圧倒されて無批判に
受容してしまう…いわゆる「西洋かぶれ」状態ですね、戦後、日本の文学者が「日本語を捨ててフランス語を
公用語に」などと口走ってしまったのも、一過性のこの状態だったのでは? また反発して闇雲に否定してし
まうのは「攘夷思想」につながった考え方でしょう。ただ全体として、現実問題としてはそのどちらの極端で
もなく、それらの間のどこかで影響が残るのでしょう。「和魂洋才」とかいうのは、その折衷的なあり方を、
肯定的に言おうとしているのだと思います。
さて、韓民族(朝鮮民族)が「恨」の文化であるというのはよく聞かれますが、韓民族共通の「歴史意識」
の中で、最大のキーコンセプトが「民族的悲劇」というものになっているのではないでしょうか? この仮説
を支持して少し話を続けさせていただきます。中国、日本からの度々の侵略を受け、日韓併合では亡国の民に
なってしまったという、その「悲劇」の記憶の共有が、最も重要な民族意識の柱になっているのではないか…
在日韓国学生同盟もその綱領に挙げている「民族的アイデンティティ確立」というものですが、私には
民族のアイデンティティーという考え方は、比較的新しいものだと思えます。またこれを考えるといろいろ
な疑問が湧いてきたりもします。いくつか考えたところを書かせていただきます。
一つの手がかりとして、民族の定義ですが、これはgooで大辞林第二版から検索してみますと、
みんぞく 【民族】
「われわれ…人」という帰属意識を共有する集団。従来、共通の出自・言語・宗教・生活様式・居住地などをもつ集団とされることが多かった。民族は政治的・歴史的に形成され、状況によりその範囲や捉え方などが変化する。国民の範囲と一致しないことが多く、複数の民族が共存する国家が多い。
と書かれています。「政治的・歴史的に形成され」たというのは、まさにこの概念が自然科学的なものと
離れた局面で作られたことを指すと思います。つまり「血筋」とか「遺伝」は、本質的には民族とは関係ない
ということです。
それでは何が本質に関わるかというと、「言語・宗教・生活様式…」これらはまあ「文化的側面」とまとめる
ことができそうです。居住地は、現住所という意味では関わらないでしょう、流浪の民という表現もありますし、
これは「共通の出自」という観念に取り込んで「歴史意識」という具合になりましょうか。これら文化的側面と
歴史意識が「〜人」という帰属意識を共有させて、そこに民族というものがあるということですよね。
文化的側面が意識されるのは、自分らが当たり前としていることに疑問が持たれた時、つまりは他の文化と
接触した時です。文化接触による葛藤があれば、不断に民族というものが意識されるというのはわかり易い構図
ではないかと思います。他の言語・他の宗教・他の生活様式…否が応でも「自分たち」という意識が生れるのだ
と考えられます。そういう意味では「在日」の方々が民族を強く意識し、本国の人がそれを意識するのはあまり
ない…はずなのですが、どうもそういうものではないらしいですね。(後述します)
歴史意識が民族を維持させる鍵となる感があります。これはもう正しい正しくないというレベルではなく、
神話レベルでの話ではないかと思います。例えば建国神話とか、宗教的な聖典の記述とか(cf.選民思想)、そしてここに民族的栄光の記憶とか民族的悲劇の伝承とかいったものが入ると考えられるでしょう。
非常に皮肉な話になってしまうのですが、文化接触において優位であった者は自らのアイデンティティーを
脅かされる部分が相対的に少ないため、劣位にあった者の方がよりその事態を意識することになる、ということ
は言えるでしょう。日本においては「明治維新」前後の西洋文明との接触、第二次大戦後のアメリカ文化との
接触がその例にあたると思います。優位な文化の接触を受けて、人は様々に反応します。圧倒されて無批判に
受容してしまう…いわゆる「西洋かぶれ」状態ですね、戦後、日本の文学者が「日本語を捨ててフランス語を
公用語に」などと口走ってしまったのも、一過性のこの状態だったのでは? また反発して闇雲に否定してし
まうのは「攘夷思想」につながった考え方でしょう。ただ全体として、現実問題としてはそのどちらの極端で
もなく、それらの間のどこかで影響が残るのでしょう。「和魂洋才」とかいうのは、その折衷的なあり方を、
肯定的に言おうとしているのだと思います。
さて、韓民族(朝鮮民族)が「恨」の文化であるというのはよく聞かれますが、韓民族共通の「歴史意識」
の中で、最大のキーコンセプトが「民族的悲劇」というものになっているのではないでしょうか? この仮説
を支持して少し話を続けさせていただきます。中国、日本からの度々の侵略を受け、日韓併合では亡国の民に
なってしまったという、その「悲劇」の記憶の共有が、最も重要な民族意識の柱になっているのではないか…
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/2330.html