■日本列島に到達した集団 長江系
投稿者: okidokinoa 投稿日時: 2012/06/09 14:34 投稿番号: [215435 / 230347]
④縄文晩期(紀元前13世紀頃)
縄文中期以降寒冷化が進んだなか晩期にいきなり青森に亀ヶ岡文化が登場。
津軽を中心に西日本から北海道道南まで拡散。
縄文晩期の土偶の模様は刺繍入りではないのか。
コスチュームが中国雲南省などの少数民族のものに似ていないか。
土面の模様は文身だろう。
縄文土器の渦巻き模様は波に近いぞ 海洋民族じゃないか。
長江系稲作民(=モン族・チワン族・呉人などの一部)が
本州北部に到達していたのではないか。
津軽の先住民の阿蘇辺は九州の阿蘇と関連だろう。
全国に拡散した阿多隼人はこのグループだろう。
縄文晩期の青銅刀子〔中国古代の殷時代〕が
山形県三崎山で見つかっているが
近くには同時期の土偶の杉沢遺跡もある。
対馬海流にのり本州北部まで移動してきた民がいたと考えられる。
論衡には紀元前11世紀頃 倭が周に贈り物をしたとある。
最新の検査では日本で水稲稲作が紀元前10世紀頃からとも
ある。
ところで津軽地方は水生生物関連の地名が異常に多い。
*亀
津軽市木造亀ヶ岡(遮光土偶出土地)、
田舎館村川部亀岡、平川市上亀岡、中泊町中里亀山、
青森市小館亀山、弘前市亀の甲・坂市亀田、
藤崎町亀岡・榊亀田・林崎亀田・・・・・・・
*鰐、蟹
大鰐町、外が浜町蟹田
★遮光土偶の風貌は亀の影響か。
*開くと大きい目 *短い頭
*平面的なボディー *胴体に比べ小さい手・足
⑤弥生前期(紀元前5世紀頃)
中国長江域の動乱による呉や越などの長江系稲作民≒弥生人。
西日本から本州北部まで。
*水稲稲作の伝来ルート
(雲南)−長江−(沖縄)−九州−畿内−中部−東北−道南
(雲南)−長江−(沖縄)−九州−出雲−北陸−東北−道南
〔九州から道南は環日本海交易ルート〕
(雲南)−長江−沖縄−北部九州−朝鮮半島
(雲南)−長江−山東省−朝鮮半島−北部九州−出雲・畿内
天皇家は越系農耕族の一派だろう。
熊本あたりに渡来した松野連家の姫氏は呉の末裔といっている。
このグループは
九州・山陰・朝鮮南岸を比較的自由に行き来きできたはずだ。
三国誌魏書弁辰伝の裸族で刺青の馬韓(百済)人と弁辰(任那)人は
長江人の末裔≒倭人のことだろう。
新羅神話には王が倭人だったとある。
風張遺跡(青森県)紀元前8世紀−紀元前5世紀頃の炭化米
菜畑遺跡(佐賀県)紀元前5世紀頃の水稲稲作跡。
吉野が里遺跡(佐賀県)紀元前4世紀。
中西遺跡(奈良県)の日本最大級の水田跡は紀元前4世紀。
中国江南産の青銅の伝来が紀元前4世紀の説も。
魏略に邪馬台国の民は呉の太祖の末裔であると名乗ったとある。
春秋時代の呉は
紀元前6世紀−紀元前5世紀 越は紀元前6世紀−紀元前4世紀。
日本の皇紀2600年の始まりは紀元前7世紀頃。
日本神話で日本を建国をしたイザナギとイザナミが出てくるが
沖縄の伊是名島と関連だろう。
日本神話の神武の東征の出発点が日向とあるが
黒潮に乗って 長江−沖縄(イザナ島)−南九州(日向)
と移動したのだろう。
神道(締め縄=縄文=出雲)と結びついた天皇家の伝統は
新嘗祭(収穫祭)などの祭祀が主だ。
皇居には水田もあり天皇陛下が毎年稲を刈られている。
また天皇家の多くが自然科学系の学問に習熟されている。
これらは定住型稲作民の気質だろう。
天皇家は狩猟(ツングース系)の儀式をもっていない。
低身長が多い天皇家は
半島を経由したかもしれないが華中の稲作民の末裔だろう。
高身長の皇族が1人いるが
彼は古墳時代に入り込んだ半島系の遺伝がでているのではないか。
徳川幕府最後の将軍 慶喜も150cmだったそうだ。
天皇家はかなり古い本流〔A長江系弥生人+縄文人〕が
新興勢力〔B満州系弥生人〕と合体し
出雲系〔C沿海州・半島と交易していた縄文人〕に国を譲らせ
古墳時代に急速に拡大した。
縄文中期以降寒冷化が進んだなか晩期にいきなり青森に亀ヶ岡文化が登場。
津軽を中心に西日本から北海道道南まで拡散。
縄文晩期の土偶の模様は刺繍入りではないのか。
コスチュームが中国雲南省などの少数民族のものに似ていないか。
土面の模様は文身だろう。
縄文土器の渦巻き模様は波に近いぞ 海洋民族じゃないか。
長江系稲作民(=モン族・チワン族・呉人などの一部)が
本州北部に到達していたのではないか。
津軽の先住民の阿蘇辺は九州の阿蘇と関連だろう。
全国に拡散した阿多隼人はこのグループだろう。
縄文晩期の青銅刀子〔中国古代の殷時代〕が
山形県三崎山で見つかっているが
近くには同時期の土偶の杉沢遺跡もある。
対馬海流にのり本州北部まで移動してきた民がいたと考えられる。
論衡には紀元前11世紀頃 倭が周に贈り物をしたとある。
最新の検査では日本で水稲稲作が紀元前10世紀頃からとも
ある。
ところで津軽地方は水生生物関連の地名が異常に多い。
*亀
津軽市木造亀ヶ岡(遮光土偶出土地)、
田舎館村川部亀岡、平川市上亀岡、中泊町中里亀山、
青森市小館亀山、弘前市亀の甲・坂市亀田、
藤崎町亀岡・榊亀田・林崎亀田・・・・・・・
*鰐、蟹
大鰐町、外が浜町蟹田
★遮光土偶の風貌は亀の影響か。
*開くと大きい目 *短い頭
*平面的なボディー *胴体に比べ小さい手・足
⑤弥生前期(紀元前5世紀頃)
中国長江域の動乱による呉や越などの長江系稲作民≒弥生人。
西日本から本州北部まで。
*水稲稲作の伝来ルート
(雲南)−長江−(沖縄)−九州−畿内−中部−東北−道南
(雲南)−長江−(沖縄)−九州−出雲−北陸−東北−道南
〔九州から道南は環日本海交易ルート〕
(雲南)−長江−沖縄−北部九州−朝鮮半島
(雲南)−長江−山東省−朝鮮半島−北部九州−出雲・畿内
天皇家は越系農耕族の一派だろう。
熊本あたりに渡来した松野連家の姫氏は呉の末裔といっている。
このグループは
九州・山陰・朝鮮南岸を比較的自由に行き来きできたはずだ。
三国誌魏書弁辰伝の裸族で刺青の馬韓(百済)人と弁辰(任那)人は
長江人の末裔≒倭人のことだろう。
新羅神話には王が倭人だったとある。
風張遺跡(青森県)紀元前8世紀−紀元前5世紀頃の炭化米
菜畑遺跡(佐賀県)紀元前5世紀頃の水稲稲作跡。
吉野が里遺跡(佐賀県)紀元前4世紀。
中西遺跡(奈良県)の日本最大級の水田跡は紀元前4世紀。
中国江南産の青銅の伝来が紀元前4世紀の説も。
魏略に邪馬台国の民は呉の太祖の末裔であると名乗ったとある。
春秋時代の呉は
紀元前6世紀−紀元前5世紀 越は紀元前6世紀−紀元前4世紀。
日本の皇紀2600年の始まりは紀元前7世紀頃。
日本神話で日本を建国をしたイザナギとイザナミが出てくるが
沖縄の伊是名島と関連だろう。
日本神話の神武の東征の出発点が日向とあるが
黒潮に乗って 長江−沖縄(イザナ島)−南九州(日向)
と移動したのだろう。
神道(締め縄=縄文=出雲)と結びついた天皇家の伝統は
新嘗祭(収穫祭)などの祭祀が主だ。
皇居には水田もあり天皇陛下が毎年稲を刈られている。
また天皇家の多くが自然科学系の学問に習熟されている。
これらは定住型稲作民の気質だろう。
天皇家は狩猟(ツングース系)の儀式をもっていない。
低身長が多い天皇家は
半島を経由したかもしれないが華中の稲作民の末裔だろう。
高身長の皇族が1人いるが
彼は古墳時代に入り込んだ半島系の遺伝がでているのではないか。
徳川幕府最後の将軍 慶喜も150cmだったそうだ。
天皇家はかなり古い本流〔A長江系弥生人+縄文人〕が
新興勢力〔B満州系弥生人〕と合体し
出雲系〔C沿海州・半島と交易していた縄文人〕に国を譲らせ
古墳時代に急速に拡大した。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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