朝鮮人のくせにキムチが怖い猛爆馬鹿!
投稿者: haru2101n 投稿日時: 2011/03/10 15:16 投稿番号: [187110 / 230347]
お前は自分の下着や靴下の臭いを嗅ぐ癖があると告白したらしいが、それだけ臭いキムチを常食しているから体臭がキツいのか?教えてくれよ、キムチネタで散々恥さらしたマヌケ鮮人!(爆)
>確かに、朝鮮時代には無かったローマ字で、usand(dokdo)と書かれているが、それより新しい1861年 金正浩「大東輿地図」では、鬱陵島の外洋に于山usand(dokdo)と描かれている。新しい方が正確だからね。(猛爆)
その新しい地図でも、于山島は一つの島でしか描かれず、1711年の地図と同様に「于山」と表記されているから竹嶼という事だね。(大笑)反論ではなく追認かよ?(爆)竹島が于山島と仮定すると、于山島に竹が自生している記述をどう解釈するんだ?現在の竹島は今も昔も竹が自生する環境じゃないぜ?答えろよ。
>既に示している。(猛爆)
はいはい、于山島が竹島という根拠は何もないという事だな?だから口先だけで逃げるしかない訳だ!(爆)
>現地踏査していないから、八道総図のように位置が逆になったりするのさ。それでも、二島の存在は確認できてるからいいのさ。(猛爆)
竹島に対し自国領という意識がないから、現地踏査する訳ないよな?(爆)それに比べ、竹嶼のような小さな島でも、領土意識があるから、現地踏査して「日省録」に記録したんだね。よって、それれの事実から于山島は竹嶼と断定できるんだよドアホ!
>1861年 金正浩「大東輿地図」で、于山島=独島が明白。(猛爆)
では、その地図のどこに独島の文字があるのかね?于山島は竹嶼と判明してるぜ?(大笑)
>>質問①、二日で到達できるというのは、どこから出発した話だ?
>半島→鬱陵島が130km、鬱陵島→于山島が87km、半島→于山島が217kmあるからな。半島、鬱陵島どちらを起点にしても2日かかる。(猛爆)
こらこら!全然回答になってないぞ?どこから出発したかと聞いているんだ?どちらもじゃなく、一箇所に絞って答えろアホ!
>>質問②、その記述は、どこから見たものなんだ?
>何処から見たとは書かれていないから断言できない。半島側から見れば鬱陵島は見えるが、于山島は見えない。両方見えるのは鬱陵島しかないがね。(猛爆)
では、鬱陵島から見た記述とだすると、矛盾が出てくるぞ?前文では二島は互いに遠くないと書きながら、後の方では、その二島内の一方からの見え方が天候に左右されるような遥か遠くに見える(望見)という矛盾する距離の感覚だからね。その矛盾をどう説明するんだ?お前の解釈が正しいなら、鬱陵島と于山島は互いに遠いのか近いのかどっちだよ?(爆)
>>質問③、その記述のどこに于山島が竹島と特定できる部分があるんだ?
>『世宗実録』地理志
于山武陵二島在県正東海中 二島相去不遠 風日清明則可望見 新羅時称于山国一云欝陵島 地方百里 于山・武陵の2島は県の正東の海中に在る。2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅時代には于山国と称していた。一説に鬱陵島と言う。100里四方ある。
>>二島相去不遠 風日清明則可望見
2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。
↑
>で、明白。それほど遠くなくても二日かかるがね。(猛爆)
基本は、半島側から二日かかるという表記だね。よって、鬱陵島から竹島までの距離じゃないぜ?なぜなら、その記述は「世宗実録」地理志の「江原道蔚珍縣」から見た記述だからね。
それらの事実から〜「二島相去不遠 風日清明則可望見」を和訳すると
二島は互いに遠くなく(二島の位置関係)天候が良ければ、(半島の江原道蔚珍縣から)遥か遠くに見える。(望見)〜という解釈が正しいのだよ。
実際、下記の写真の通り、半島から天候が良ければ鬱陵島が見える。その様は新筯東國輿地勝覽の〜「天候が清明であれば山頂の樹木及び山麓の海岸を歴々見ることができる。風が良ければ二日で到達できる。」〜という記述と一致する。(大笑)良いかね、俺はお前と違って、写真のみを貼るのではく、その引用先も示している。それが資料の提示の仕方だぜ?リンクの貼り方も知らない猛爆馬鹿!(爆)
●半島から見た鬱陵島
http://www16.tok2.com/home/otakeshimaoxdokdox/Kashimir/Donghae%20200mm.files/image006.jpg
●引用先
http://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/ulleungdo-can-be-seen-as-two-island-from -eastkorea
>確かに、朝鮮時代には無かったローマ字で、usand(dokdo)と書かれているが、それより新しい1861年 金正浩「大東輿地図」では、鬱陵島の外洋に于山usand(dokdo)と描かれている。新しい方が正確だからね。(猛爆)
その新しい地図でも、于山島は一つの島でしか描かれず、1711年の地図と同様に「于山」と表記されているから竹嶼という事だね。(大笑)反論ではなく追認かよ?(爆)竹島が于山島と仮定すると、于山島に竹が自生している記述をどう解釈するんだ?現在の竹島は今も昔も竹が自生する環境じゃないぜ?答えろよ。
>既に示している。(猛爆)
はいはい、于山島が竹島という根拠は何もないという事だな?だから口先だけで逃げるしかない訳だ!(爆)
>現地踏査していないから、八道総図のように位置が逆になったりするのさ。それでも、二島の存在は確認できてるからいいのさ。(猛爆)
竹島に対し自国領という意識がないから、現地踏査する訳ないよな?(爆)それに比べ、竹嶼のような小さな島でも、領土意識があるから、現地踏査して「日省録」に記録したんだね。よって、それれの事実から于山島は竹嶼と断定できるんだよドアホ!
>1861年 金正浩「大東輿地図」で、于山島=独島が明白。(猛爆)
では、その地図のどこに独島の文字があるのかね?于山島は竹嶼と判明してるぜ?(大笑)
>>質問①、二日で到達できるというのは、どこから出発した話だ?
>半島→鬱陵島が130km、鬱陵島→于山島が87km、半島→于山島が217kmあるからな。半島、鬱陵島どちらを起点にしても2日かかる。(猛爆)
こらこら!全然回答になってないぞ?どこから出発したかと聞いているんだ?どちらもじゃなく、一箇所に絞って答えろアホ!
>>質問②、その記述は、どこから見たものなんだ?
>何処から見たとは書かれていないから断言できない。半島側から見れば鬱陵島は見えるが、于山島は見えない。両方見えるのは鬱陵島しかないがね。(猛爆)
では、鬱陵島から見た記述とだすると、矛盾が出てくるぞ?前文では二島は互いに遠くないと書きながら、後の方では、その二島内の一方からの見え方が天候に左右されるような遥か遠くに見える(望見)という矛盾する距離の感覚だからね。その矛盾をどう説明するんだ?お前の解釈が正しいなら、鬱陵島と于山島は互いに遠いのか近いのかどっちだよ?(爆)
>>質問③、その記述のどこに于山島が竹島と特定できる部分があるんだ?
>『世宗実録』地理志
于山武陵二島在県正東海中 二島相去不遠 風日清明則可望見 新羅時称于山国一云欝陵島 地方百里 于山・武陵の2島は県の正東の海中に在る。2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅時代には于山国と称していた。一説に鬱陵島と言う。100里四方ある。
>>二島相去不遠 風日清明則可望見
2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。
↑
>で、明白。それほど遠くなくても二日かかるがね。(猛爆)
基本は、半島側から二日かかるという表記だね。よって、鬱陵島から竹島までの距離じゃないぜ?なぜなら、その記述は「世宗実録」地理志の「江原道蔚珍縣」から見た記述だからね。
それらの事実から〜「二島相去不遠 風日清明則可望見」を和訳すると
二島は互いに遠くなく(二島の位置関係)天候が良ければ、(半島の江原道蔚珍縣から)遥か遠くに見える。(望見)〜という解釈が正しいのだよ。
実際、下記の写真の通り、半島から天候が良ければ鬱陵島が見える。その様は新筯東國輿地勝覽の〜「天候が清明であれば山頂の樹木及び山麓の海岸を歴々見ることができる。風が良ければ二日で到達できる。」〜という記述と一致する。(大笑)良いかね、俺はお前と違って、写真のみを貼るのではく、その引用先も示している。それが資料の提示の仕方だぜ?リンクの貼り方も知らない猛爆馬鹿!(爆)
●半島から見た鬱陵島
http://www16.tok2.com/home/otakeshimaoxdokdox/Kashimir/Donghae%20200mm.files/image006.jpg
●引用先
http://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/ulleungdo-can-be-seen-as-two-island-from -eastkorea
これは メッセージ 187106 (topics_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/187110.html