タイトル勝負と馬鹿にされたハルなんじゃ
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2011/03/10 12:32 投稿番号: [187106 / 230347]
>>日省録は、1760年〜1910年の記録な。
で、作図1780-1830年代、または1880-1890年代の三陟博物館所蔵 鬱陵島圖形では、
竹嶼=大于島、観音島=小于島となっている
>それは一時時期、そう呼ばれていただけだろ?(失笑)ところが、多くの地図では竹嶼は于山島として描かれている事実があるから、お前の主張は無意味。それに対し、日省録の記述に竹が自生している事を裏付けるように「鬱陵島圖形」(1711年)に「海長竹田 所謂 于山島」と具体的に記述されている。よって、于山島が竹嶼である何よりの証拠。
●「鬱陵島圖形」(1711年)
ttp://farm3.static.flickr.com/2015/2086931934_162b4c628a.jpg
↑
確かに、朝鮮時代には無かったローマ字で、usand(dokdo)と書かれているが、
それより新しい1861年 金正浩「大東輿地図」では、鬱陵島の外洋に于山usand(dokdo)と描かれている。新しい方が正確だからね。(猛爆)
↓
http://farm3.static.flickr.com/2226/2147328493_3cb240f121.jpg
>はいはい、では以下のように訂正しますね。「鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼」〜これだったら理解できるか?(失笑)
>>訂正しても同じ意味だから理解できないね。(猛爆)
>訂正しているから同じ意味じゃないね。鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼で間違いないんだよアホ!反論があるなら口だけ証明でなく、資料を提示しな!(笑)
既に示している。(猛爆)
>>鬱陵島から見える独島は一つにしか見えないからさ。(猛爆)
>当時の朝鮮の馬鹿役人は、竹島を現地踏査せず、見たままで地図にしたんだ?(爆)
現地踏査していないから、八道総図のように位置が逆になったりするのさ。
それでも、二島の存在は確認できてるからいいのさ。(猛爆)
>韓国には竹島を描いた古地図が一枚もない
>>古地図に描かれている于山島が独島なのさ。(猛爆)
>はいはい、証拠がないから必死にそう言い切るしかないのだろ?(失笑)
1861年 金正浩「大東輿地図」で、于山島=独島が明白。(猛爆)
>>『新増東国輿地勝覧』巻之四十五 蔚珍縣
于山島、鬱陵島
一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空 南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見 風便則二日可到
于山島、鬱陵島
時に武陵、或いは羽陵とも呼ばれ、二島は県の真東の海中に在る。三つの峰が及業として空を支え、南の峰はやや低い。 天候が清明であれば山頂の樹木及び山麓の海岸を歴々見ることができる。風が良ければ二日で到達できる。
↑
>>「風が良ければ二日で到達できる。」くらい離れているのさ。(猛爆)
>お前がどれだけその地理書の読み方を理解してるか、テストしてやるよ。(笑)
質問①、二日で到達できるというのは、どこから出発した話だ?
半島→鬱陵島が130km、鬱陵島→于山島が87km、半島→于山島が217kmあるからな。半島、鬱陵島どちらを起点にしても2日かかる。(猛爆)
>質問②、その記述は、どこから見たものなんだ?
何処から見たとは書かれていないから断言できない。半島側から見れば鬱陵島は見えるが、于山島は見えない。両方見えるのは鬱陵島しかないがね。(猛爆)
>質問③、その記述のどこに于山島が竹島と特定できる部分があるんだ?
『世宗実録』地理志
于山武陵二島在県正東海中 二島相去不遠 風日清明則可望見 新羅時称于山国一云欝陵島 地方百里
于山・武陵の2島は県の正東の海中に在る。2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅時代には于山国と称していた。一説に鬱陵島と言う。100里四方ある。
↑
新増東国輿地勝覧は『世宗実録』地理志の丸写しだから、
↓
二島相去不遠 風日清明則可望見
2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。
↑
で、明白。それほど遠くなくても二日かかるがね。(猛爆)
で、作図1780-1830年代、または1880-1890年代の三陟博物館所蔵 鬱陵島圖形では、
竹嶼=大于島、観音島=小于島となっている
>それは一時時期、そう呼ばれていただけだろ?(失笑)ところが、多くの地図では竹嶼は于山島として描かれている事実があるから、お前の主張は無意味。それに対し、日省録の記述に竹が自生している事を裏付けるように「鬱陵島圖形」(1711年)に「海長竹田 所謂 于山島」と具体的に記述されている。よって、于山島が竹嶼である何よりの証拠。
●「鬱陵島圖形」(1711年)
ttp://farm3.static.flickr.com/2015/2086931934_162b4c628a.jpg
↑
確かに、朝鮮時代には無かったローマ字で、usand(dokdo)と書かれているが、
それより新しい1861年 金正浩「大東輿地図」では、鬱陵島の外洋に于山usand(dokdo)と描かれている。新しい方が正確だからね。(猛爆)
↓
http://farm3.static.flickr.com/2226/2147328493_3cb240f121.jpg
>はいはい、では以下のように訂正しますね。「鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼」〜これだったら理解できるか?(失笑)
>>訂正しても同じ意味だから理解できないね。(猛爆)
>訂正しているから同じ意味じゃないね。鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼で間違いないんだよアホ!反論があるなら口だけ証明でなく、資料を提示しな!(笑)
既に示している。(猛爆)
>>鬱陵島から見える独島は一つにしか見えないからさ。(猛爆)
>当時の朝鮮の馬鹿役人は、竹島を現地踏査せず、見たままで地図にしたんだ?(爆)
現地踏査していないから、八道総図のように位置が逆になったりするのさ。
それでも、二島の存在は確認できてるからいいのさ。(猛爆)
>韓国には竹島を描いた古地図が一枚もない
>>古地図に描かれている于山島が独島なのさ。(猛爆)
>はいはい、証拠がないから必死にそう言い切るしかないのだろ?(失笑)
1861年 金正浩「大東輿地図」で、于山島=独島が明白。(猛爆)
>>『新増東国輿地勝覧』巻之四十五 蔚珍縣
于山島、鬱陵島
一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空 南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見 風便則二日可到
于山島、鬱陵島
時に武陵、或いは羽陵とも呼ばれ、二島は県の真東の海中に在る。三つの峰が及業として空を支え、南の峰はやや低い。 天候が清明であれば山頂の樹木及び山麓の海岸を歴々見ることができる。風が良ければ二日で到達できる。
↑
>>「風が良ければ二日で到達できる。」くらい離れているのさ。(猛爆)
>お前がどれだけその地理書の読み方を理解してるか、テストしてやるよ。(笑)
質問①、二日で到達できるというのは、どこから出発した話だ?
半島→鬱陵島が130km、鬱陵島→于山島が87km、半島→于山島が217kmあるからな。半島、鬱陵島どちらを起点にしても2日かかる。(猛爆)
>質問②、その記述は、どこから見たものなんだ?
何処から見たとは書かれていないから断言できない。半島側から見れば鬱陵島は見えるが、于山島は見えない。両方見えるのは鬱陵島しかないがね。(猛爆)
>質問③、その記述のどこに于山島が竹島と特定できる部分があるんだ?
『世宗実録』地理志
于山武陵二島在県正東海中 二島相去不遠 風日清明則可望見 新羅時称于山国一云欝陵島 地方百里
于山・武陵の2島は県の正東の海中に在る。2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。新羅時代には于山国と称していた。一説に鬱陵島と言う。100里四方ある。
↑
新増東国輿地勝覧は『世宗実録』地理志の丸写しだから、
↓
二島相去不遠 風日清明則可望見
2島はお互いにそれほど遠くなく、天候が清明であれば望み見ることができる。
↑
で、明白。それほど遠くなくても二日かかるがね。(猛爆)
これは メッセージ 187104 (haru2101n さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/187106.html