今朝も臭いキムチは食ったのか?猛爆馬鹿
投稿者: haru2101n 投稿日時: 2011/03/10 11:21 投稿番号: [187104 / 230347]
よぉ〜今日も密室のホームレスの臭いよりマシなキムチは食ったのか?キムチは朝鮮人にとっては欠かせない食い物だろ?宇宙にもって行ったという流動キムチを証明できず大恥さらした猛爆馬鹿!(爆)
>日省録は、1760年〜1910年の記録な。
で、作図1780-1830年代、または1880-1890年代の三陟博物館所蔵 鬱陵島圖形では、
竹嶼=大于島、観音島=小于島となっている
それは一時時期、そう呼ばれていただけだろ?(失笑)ところが、多くの地図では竹嶼は于山島として描かれている事実があるから、お前の主張は無意味。それに対し、日省録の記述に竹が自生している事を裏付けるように「鬱陵島圖形」(1711年)に「海長竹田 所謂 于山島」と具体的に記述されている。よって、于山島が竹嶼である何よりの証拠。その地図には韓国の学者が自爆するようにローマ字で独島と勝手に書いてあるが、その独島は今も昔も竹が自生する環境じゃないぜ?(大笑)その事実は、お前がいくら口先で言い張っても変わらないよ。下の地図を目をかっぽじって良く見ろアホ!(爆)
●「鬱陵島圖形」(1711年)
http://farm3.static.flickr.com/2015/2086931934_162b4c628a.jpg
●于山島の拡大部分
http://farm3.static.flickr.com/2293/2086932130_decbaa0b76_m.jpg
●引用先
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/1711.html
>と言う事で、島名は何の根拠にもならない。(猛爆)
〜という事でお前の自説に都合のよい主張は簡単に俺に論破されたね。(爆)
>>はいはい、では以下のように訂正しますね。「鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼」〜これだったら理解できるか?(失笑)
>訂正しても同じ意味だから理解できないね。(猛爆)
訂正しているから同じ意味じゃないね。鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼で間違いないんだよアホ!反論があるなら口だけ証明でなく、資料を提示しな!(笑)
>馬鹿だねぇ〜、馬鹿民族の朝鮮人と聡明な日本人を一緒にするなアホ!下記の検証リンク通り、日本人が描いた江戸時代の竹島(当時は松嶋と呼ぶ)は、ちゃんと二つの島として描かれているぜ?同じ時代に描かれた于山島が朝鮮に一枚もないのはどういう事だ?(爆)俺の主張を否定するなら、少なくても、同じぐらいの資料で反論しないとな?(大笑)
>鬱陵島から見える独島は一つにしか見えないからさ。(猛爆)
引用先を提示せず、しかも写真かよ?どんだけマヌケなんだお前は?(爆)リンクの貼り方も知らんマヌケ鮮人!(大笑)お前の言い分なら、当時の朝鮮の馬鹿役人は、竹島を現地踏査せず、見たままで地図にしたんだ?(爆)という事は、当時からすでに自国領土の意識自体が無かった何よりの証拠だね。(大笑)
>>韓国には竹島を描いた古地図が一枚もない
>古地図に描かれている于山島が独島なのさ。(猛爆)
はいはい、証拠がないから必死にそう言い切るしかないのだろ?(失笑)
で、下の検証ビデオには沈黙かね?具体的に反論してみろよ?また恥を掻かせてやるからさ!(大笑)
●韓国には竹島を描いた古地図が一枚もない
http://www.youtube.com/watch?v =- 7Vqn1biHRo&feature=related
>『新増東国輿地勝覧』巻之四十五 蔚珍縣
于山島、鬱陵島
一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空 南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見 風便則二日可到
于山島、鬱陵島
時に武陵、或いは羽陵とも呼ばれ、二島は県の真東の海中に在る。三つの峰が及業として空を支え、南の峰はやや低い。 天候が清明であれば山頂の樹木及び山麓の海岸を歴々見ることができる。風が良ければ二日で到達できる。
↑
>「風が良ければ二日で到達できる。」くらい離れているのさ。(猛爆)
お前がどれだけその地理書の読み方を理解してるか、テストしてやるよ。(笑)
質問①、二日で到達できるというのは、どこから出発した話だ?
質問②、その記述は、どこから見たものなんだ?
質問③、その記述のどこに于山島が竹島と特定できる部分があるんだ?
大体予想はできるが、さぁ〜どんな珍回答が飛び出すか?楽しみにしてるぜ!しっかり笑わせてくれよ。(大爆)
>日省録は、1760年〜1910年の記録な。
で、作図1780-1830年代、または1880-1890年代の三陟博物館所蔵 鬱陵島圖形では、
竹嶼=大于島、観音島=小于島となっている
それは一時時期、そう呼ばれていただけだろ?(失笑)ところが、多くの地図では竹嶼は于山島として描かれている事実があるから、お前の主張は無意味。それに対し、日省録の記述に竹が自生している事を裏付けるように「鬱陵島圖形」(1711年)に「海長竹田 所謂 于山島」と具体的に記述されている。よって、于山島が竹嶼である何よりの証拠。その地図には韓国の学者が自爆するようにローマ字で独島と勝手に書いてあるが、その独島は今も昔も竹が自生する環境じゃないぜ?(大笑)その事実は、お前がいくら口先で言い張っても変わらないよ。下の地図を目をかっぽじって良く見ろアホ!(爆)
●「鬱陵島圖形」(1711年)
http://farm3.static.flickr.com/2015/2086931934_162b4c628a.jpg
●于山島の拡大部分
http://farm3.static.flickr.com/2293/2086932130_decbaa0b76_m.jpg
●引用先
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/12/1711.html
>と言う事で、島名は何の根拠にもならない。(猛爆)
〜という事でお前の自説に都合のよい主張は簡単に俺に論破されたね。(爆)
>>はいはい、では以下のように訂正しますね。「鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼」〜これだったら理解できるか?(失笑)
>訂正しても同じ意味だから理解できないね。(猛爆)
訂正しているから同じ意味じゃないね。鬱陵島の付属島は于山島という名の竹嶼で間違いないんだよアホ!反論があるなら口だけ証明でなく、資料を提示しな!(笑)
>馬鹿だねぇ〜、馬鹿民族の朝鮮人と聡明な日本人を一緒にするなアホ!下記の検証リンク通り、日本人が描いた江戸時代の竹島(当時は松嶋と呼ぶ)は、ちゃんと二つの島として描かれているぜ?同じ時代に描かれた于山島が朝鮮に一枚もないのはどういう事だ?(爆)俺の主張を否定するなら、少なくても、同じぐらいの資料で反論しないとな?(大笑)
>鬱陵島から見える独島は一つにしか見えないからさ。(猛爆)
引用先を提示せず、しかも写真かよ?どんだけマヌケなんだお前は?(爆)リンクの貼り方も知らんマヌケ鮮人!(大笑)お前の言い分なら、当時の朝鮮の馬鹿役人は、竹島を現地踏査せず、見たままで地図にしたんだ?(爆)という事は、当時からすでに自国領土の意識自体が無かった何よりの証拠だね。(大笑)
>>韓国には竹島を描いた古地図が一枚もない
>古地図に描かれている于山島が独島なのさ。(猛爆)
はいはい、証拠がないから必死にそう言い切るしかないのだろ?(失笑)
で、下の検証ビデオには沈黙かね?具体的に反論してみろよ?また恥を掻かせてやるからさ!(大笑)
●韓国には竹島を描いた古地図が一枚もない
http://www.youtube.com/watch?v =- 7Vqn1biHRo&feature=related
>『新増東国輿地勝覧』巻之四十五 蔚珍縣
于山島、鬱陵島
一云武陵 一云羽陵 二島在県正東海中 三峯及業掌空 南峯梢卑 風日清明則峯頭樹木 及山根沙渚 歴々可見 風便則二日可到
于山島、鬱陵島
時に武陵、或いは羽陵とも呼ばれ、二島は県の真東の海中に在る。三つの峰が及業として空を支え、南の峰はやや低い。 天候が清明であれば山頂の樹木及び山麓の海岸を歴々見ることができる。風が良ければ二日で到達できる。
↑
>「風が良ければ二日で到達できる。」くらい離れているのさ。(猛爆)
お前がどれだけその地理書の読み方を理解してるか、テストしてやるよ。(笑)
質問①、二日で到達できるというのは、どこから出発した話だ?
質問②、その記述は、どこから見たものなんだ?
質問③、その記述のどこに于山島が竹島と特定できる部分があるんだ?
大体予想はできるが、さぁ〜どんな珍回答が飛び出すか?楽しみにしてるぜ!しっかり笑わせてくれよ。(大爆)
これは メッセージ 187092 (haru2101n さん)への返信です.
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