>少し勘違いでは
投稿者: gasusen_simeta 投稿日時: 2002/10/12 23:49 投稿番号: [1801 / 230347]
戦前戦後を通して、朝鮮半島からの密航者はかなりの人数になります。以下の転載は戦前における新聞に掲載された集団密航者の摘発記事です。日本に強制連行され、強制的に使役されるという風評が朝鮮人にあったとしたら、玄界灘の荒波を越える危険を冒してまで彼らは日本に来るでしょうか。私は福岡で戦後に産まれた世代ですから、朝鮮半島からの密航者については常に身近な話題でした。戦後それほど豊かではない時代でも朝鮮半島からの集団密航が相次いでいたので、戦前はより多くの朝鮮人が密航していたのではないかと推測していましたが、やはりそうだったようです。下の転載の中に摘発後釜山に送還との記述がありますが、強制送還・強制労働を是としていたのであれば、送還することはなかったでしょう。
『在日韓国人の方々が日本に住むことになった原因を作ったのは、日本人であることをお忘れなく』との仰せですが、日本人が作った原因をあえて言うならば、日本は朝鮮半島より豊かで朝鮮人の密航者達にとって、金を稼げる魅力的な国であったということです。私は密航者を歓迎はしませんが、食うに困って日本へ決死の覚悟で渡航してきた彼らを許容したい気持ちは持っています。ただし、それは彼らが「反日的活動」や「犯罪」を行わないと言う場合に限ってのことです。
戦前の日本の新聞の記事
・『鮮人内地密航/発見されて説諭』 大阪朝日 (1921/7/15)
・『又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 (1922/5/20)
・『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』 福岡日日 (1922/5/21)
・『鮮人十名密航』 大阪朝日 (1922/7/2 夕)
・『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 (1922/7/4)
・『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 (1926/4/20)
・『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 (1926/4/21)
・『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』大阪朝日 (1926/4/24)
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』 大阪朝日(1926/4/29)
・『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 (1926/4/29)
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名 京都日出 (1926/4/30)
・『大密航バレる』 大阪朝日 (1926/5/1)
・『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』(福岡日日 1938/1/30)
・『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 (福岡日日 1938/3/3)
・『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』(福岡日日 1938/3/3)
・『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』(福岡日日 1938/3/29)
・『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 (福岡日日 1938/5/2)
・『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 (神戸新聞 1938/5/21)
・『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』(福岡日日 1938/7/24)
・『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』(福岡日日 1938/8/26)
・『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 (中国 1938/9/1)
・『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』(福岡日日 1938/12/17)
・『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』(福岡日日 1938/12/20)
・『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』(福岡日日 1938/12/21)
・『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』(福岡日日 1939/2/3)
・『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』(呉日日 1939/2/12)
・『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』(中国日報 1939/2/13)
・『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』(福岡日日 1939/5/18)
・『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』(福岡日日 1939/6/5)
・『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』(神戸又新日報 1939/6/20 夕)
・『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』(大阪毎日 1939/6/20 神版)
・『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』(中国 1939/11/30)
・『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』(大阪毎日 1940/1/14 夕)
『在日韓国人の方々が日本に住むことになった原因を作ったのは、日本人であることをお忘れなく』との仰せですが、日本人が作った原因をあえて言うならば、日本は朝鮮半島より豊かで朝鮮人の密航者達にとって、金を稼げる魅力的な国であったということです。私は密航者を歓迎はしませんが、食うに困って日本へ決死の覚悟で渡航してきた彼らを許容したい気持ちは持っています。ただし、それは彼らが「反日的活動」や「犯罪」を行わないと言う場合に限ってのことです。
戦前の日本の新聞の記事
・『鮮人内地密航/発見されて説諭』 大阪朝日 (1921/7/15)
・『又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 (1922/5/20)
・『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』 福岡日日 (1922/5/21)
・『鮮人十名密航』 大阪朝日 (1922/7/2 夕)
・『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 (1922/7/4)
・『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 (1926/4/20)
・『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 (1926/4/21)
・『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』大阪朝日 (1926/4/24)
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』 大阪朝日(1926/4/29)
・『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 (1926/4/29)
・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名 京都日出 (1926/4/30)
・『大密航バレる』 大阪朝日 (1926/5/1)
・『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』(福岡日日 1938/1/30)
・『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 (福岡日日 1938/3/3)
・『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』(福岡日日 1938/3/3)
・『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』(福岡日日 1938/3/29)
・『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 (福岡日日 1938/5/2)
・『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 (神戸新聞 1938/5/21)
・『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』(福岡日日 1938/7/24)
・『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』(福岡日日 1938/8/26)
・『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 (中国 1938/9/1)
・『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』(福岡日日 1938/12/17)
・『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』(福岡日日 1938/12/20)
・『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』(福岡日日 1938/12/21)
・『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』(福岡日日 1939/2/3)
・『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』(呉日日 1939/2/12)
・『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』(中国日報 1939/2/13)
・『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』(福岡日日 1939/5/18)
・『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』(福岡日日 1939/6/5)
・『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』(神戸又新日報 1939/6/20 夕)
・『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』(大阪毎日 1939/6/20 神版)
・『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』(中国 1939/11/30)
・『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』(大阪毎日 1940/1/14 夕)
これは メッセージ 1791 (nijinijufun さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/1801.html