江戸時代と李朝時代は雲泥の差
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2010/10/25 12:10 投稿番号: [178638 / 230347]
>>日本の江戸時代も同じだよ。(猛爆)
一緒にするな。江戸時代は庶民は意外に自由。李氏朝鮮の停滞とは比較にならぬほど文化も経済も発達してた。
朝鮮の商圏を掌握していた開城商人(松商)、漢陽商人(京商)、義州商人(湾商)、東来商人(来商)や(市廛)、(乱廛)、(客主)、(褓負商)等、結構商売上手だよ。松都四介治簿という複式簿記も完成してるしね。
>また、李氏朝鮮のころのように、両班が盗む(笑)、という習慣がなかったので(笑)
商人は安心して商売に励めたし、支配階級の武士といえども、商人から金を借りたら小さくなっていたんだよ(笑)
約束は基本、守られた社会だったんだよね。
日本は返済に困れば「徳政令」で踏み倒すからな。(猛爆)
さらに、
◆武家相手の金融業
江戸時代当初は商人にとって、年貢収入という定期的に決まった収入が入る武家は社会的信用も高くリスクが少ない取引相手であった。しかし、江戸中期以降は財政難の家からの踏み倒しが増えて倒産するなど苦しんだ。
明治維新により政府は藩の借金を肩代わりしたがその記録が『江戸時代』(大石慎三郎著、岩波新書)に掲載されている。天保14年(1843年)以前ならびに年号不明のものを旧債約1200万両とし破棄、天保15年(1844年)から慶応三年(1867年)までの中債約1100万両と明治元年(1868年)から明治五年(1872年)までの新債約1300万両を明治政府が引き受けた。
計算上は約三十年で3600万両の借金があるが、幕府からの借金は肩代わりしないなど厳しい条件をつけているため、実際はさらにあるだろう。
↑
下女の1年間の給金が2.5両(1日50文)の時代の「両」だから、破棄された1200万両は、下女480万人分の年収になるな。現在なら7〜8兆円の話だぜ。(猛爆)
>>無償分は、日本で買って日本でお金を支払って物品だけ送ったのね。利益分が乗っかってるから、実質半分以下だろうな。(猛爆)
>願望と。日本からの恩義はできるだけ過少評価したいと。
戦後賠償利権
かつての賠償や現在のODAビジネスは注文さえとれれば請求先は日本政府だから商社にとってとりっぱぐれがなく、 これほど「うまみのある商売」ないのである。
口を開けば「国家への貢献」という瀬島氏は、デビ夫人を献上した東日貿易をとおしてインドネシア関連ビジネスをとるのにどうしたか。最初の取引で国家警察に日本製ジープなど八○○万ドル相当を納めることになった伊藤忠は「相手側賠償使節団長バスキ氏に一パーセントの手数料(ワイロ)を出せといわれて、そそくさと社内決済をし、部下である小林氏に皇居お堀端の住友銀行からボストンバッグいっぱいに詰めた千円札を受け取らせ、相手の待つホテル・ニュージャパンに向かわせた」(同書十三ページ)のである。
共同通信社社会部編『沈黙のファイル』
戦後長らく、韓国では軍人政権がつづき、最初は日本の陸士卒業あるいは参謀本部で瀬島氏の部下であった韓国人たち、その後は韓国の陸士を卒業したそのまた「後輩たち」によって政権がつくられた。「瀬島氏は日本の陸士で後輩にあたる朴大統領と直接親交を深めていたので、朴大統領の崇拝者で韓国陸士出身のチョンドウファンやノテウからも軍人の先輩として尊敬された」にあったのである(元浦項製鉄会長の朴泰俊氏の証言、『沈黙のファイル』五一ページ)。
瀬島氏の韓国権力層ならびに児玉誉志夫氏や読売新聞の渡辺恒雄社長らにつながる人脈と利権の構造には想像以上の奥行があったわけである(同書、三○一ページの証言)。
戦後賠償には美味しい利権があるのさ。(猛爆)
>>日本もアメリカから、ただで貰ったろうが?(猛爆)
>韓国が日本から莫大な金をもらったことと何に関係がある?
関係有るさ。アジア各国に戦後賠償が出来る様に、日本だけに巨額援助を集中的にして応援したのさ。その恩義があるから日本も他国をODAで応援するのさ。だから、韓国も少ないながらも対外援助額を行っている。(猛爆)
一緒にするな。江戸時代は庶民は意外に自由。李氏朝鮮の停滞とは比較にならぬほど文化も経済も発達してた。
朝鮮の商圏を掌握していた開城商人(松商)、漢陽商人(京商)、義州商人(湾商)、東来商人(来商)や(市廛)、(乱廛)、(客主)、(褓負商)等、結構商売上手だよ。松都四介治簿という複式簿記も完成してるしね。
>また、李氏朝鮮のころのように、両班が盗む(笑)、という習慣がなかったので(笑)
商人は安心して商売に励めたし、支配階級の武士といえども、商人から金を借りたら小さくなっていたんだよ(笑)
約束は基本、守られた社会だったんだよね。
日本は返済に困れば「徳政令」で踏み倒すからな。(猛爆)
さらに、
◆武家相手の金融業
江戸時代当初は商人にとって、年貢収入という定期的に決まった収入が入る武家は社会的信用も高くリスクが少ない取引相手であった。しかし、江戸中期以降は財政難の家からの踏み倒しが増えて倒産するなど苦しんだ。
明治維新により政府は藩の借金を肩代わりしたがその記録が『江戸時代』(大石慎三郎著、岩波新書)に掲載されている。天保14年(1843年)以前ならびに年号不明のものを旧債約1200万両とし破棄、天保15年(1844年)から慶応三年(1867年)までの中債約1100万両と明治元年(1868年)から明治五年(1872年)までの新債約1300万両を明治政府が引き受けた。
計算上は約三十年で3600万両の借金があるが、幕府からの借金は肩代わりしないなど厳しい条件をつけているため、実際はさらにあるだろう。
↑
下女の1年間の給金が2.5両(1日50文)の時代の「両」だから、破棄された1200万両は、下女480万人分の年収になるな。現在なら7〜8兆円の話だぜ。(猛爆)
>>無償分は、日本で買って日本でお金を支払って物品だけ送ったのね。利益分が乗っかってるから、実質半分以下だろうな。(猛爆)
>願望と。日本からの恩義はできるだけ過少評価したいと。
戦後賠償利権
かつての賠償や現在のODAビジネスは注文さえとれれば請求先は日本政府だから商社にとってとりっぱぐれがなく、 これほど「うまみのある商売」ないのである。
口を開けば「国家への貢献」という瀬島氏は、デビ夫人を献上した東日貿易をとおしてインドネシア関連ビジネスをとるのにどうしたか。最初の取引で国家警察に日本製ジープなど八○○万ドル相当を納めることになった伊藤忠は「相手側賠償使節団長バスキ氏に一パーセントの手数料(ワイロ)を出せといわれて、そそくさと社内決済をし、部下である小林氏に皇居お堀端の住友銀行からボストンバッグいっぱいに詰めた千円札を受け取らせ、相手の待つホテル・ニュージャパンに向かわせた」(同書十三ページ)のである。
共同通信社社会部編『沈黙のファイル』
戦後長らく、韓国では軍人政権がつづき、最初は日本の陸士卒業あるいは参謀本部で瀬島氏の部下であった韓国人たち、その後は韓国の陸士を卒業したそのまた「後輩たち」によって政権がつくられた。「瀬島氏は日本の陸士で後輩にあたる朴大統領と直接親交を深めていたので、朴大統領の崇拝者で韓国陸士出身のチョンドウファンやノテウからも軍人の先輩として尊敬された」にあったのである(元浦項製鉄会長の朴泰俊氏の証言、『沈黙のファイル』五一ページ)。
瀬島氏の韓国権力層ならびに児玉誉志夫氏や読売新聞の渡辺恒雄社長らにつながる人脈と利権の構造には想像以上の奥行があったわけである(同書、三○一ページの証言)。
戦後賠償には美味しい利権があるのさ。(猛爆)
>>日本もアメリカから、ただで貰ったろうが?(猛爆)
>韓国が日本から莫大な金をもらったことと何に関係がある?
関係有るさ。アジア各国に戦後賠償が出来る様に、日本だけに巨額援助を集中的にして応援したのさ。その恩義があるから日本も他国をODAで応援するのさ。だから、韓国も少ないながらも対外援助額を行っている。(猛爆)
これは メッセージ 178619 (run_run72 さん)への返信です.
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