涙目ウルウルで悔しいか?
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2010/09/21 13:05 投稿番号: [176242 / 230347]
>で、キミの主張、
鐘路街に朝鮮人が使用する共同便所が複数あったという証拠は?
願望だけじゃいかんよ。
1913年「市街地建築取締規則3条9項」
「厠ハ各住居ニ之ヲ設クベキコト但シ長屋建家屋ニシテ戸数ニ応シ適当ナル共同厠ヲ設クルモノヲ除ク」
↑
の通達で、証明されている。(猛爆)
No.175614 run_run72
明治9年(1876)6月、宮本小一外務大丞
途中の宿には敷地の一隅に便所が設けられていたが、頗る不潔で堪え難かった。また、部屋に銅製の蓋付きの缶があり、通常はこれで用足しをするという。
↑
から、ヨガンを使うから便所が無いとは言い切れないない。(猛爆)
>>冊封は同盟関係だな。形式上臣下の礼をとるが、朝貢の見返りの方が多いから、貿易で儲けているのと同じ。
>>しかも、清から受領した国(領地)でも無いから、何もかも束縛されるものではない。(猛爆)
>王子を人質に出して柵暦受けて、王の代替わりには、清の皇帝の承認受けて同盟?(笑)
形式上、臣下の礼?
王子を人質に出したのは戦争に負けた時だけで、何年かして朝鮮に帰ってるから形式上のものだな。しかも治世に口は挟まない。王位継承時の承認儀式があるだけだな。
>No.174146
正祖実録18巻 正祖8年10月8日
No.174184 訳文 (いずれもasianroboさんによる)
受封の際、清の勅使に叩頭しているようではね。
形式上臣下の礼をとっているわけではなく、文字どおり、君臣関係。
ソレも相当従属の度合いは強いね。
仁祖と関係ない話だな。
で、正祖実録18巻 正祖8年10月8日に書かれているのは、義州府尹啓から、礼部宛のお伺い書なのよ。清の使臣が鴨緑江渡って最初に接待するのが義州府尹だから、失礼の無いように礼部に問い合わせたわけだな。(猛爆)
↓
正祖実録18巻 正祖8年10月8日
○ 關西道臣, 以義州府尹啓, 上禮部咨二度。
咨文曰:恭錄壅正十三年, 欽奉上諭: “朝鮮感戴我朝之恩, 虔修職貢, 甚爲恭敬, 凡大臣官員差往彼國者, 向有餽送儀物舊例。 朕以厚往薄來爲念。 若令使臣, 照例收受, 恐該國不免繁費。 若槪不收受, 又恐該國王, 以使臣遠涉, 缺餽遺之禮, 有歉於心著。 從此次詔使始, 凡餽送白金、儀物等項, 悉照舊裁減一半, 永著爲例。 該部卽行文該國王。” 遵此欽此。
>>総てを描写しているわけではないから、構文上そうなるという事だ。
>>仁祖一行が謝罪した言葉も書かれていないから意味の無い論法で、世間一般で言うこじ付けに過ぎない。(猛爆)
>こじ付け?おまえがな(大笑)
龍胡入報出傳汗言曰
龍胡が出てきて伝えたのはハーンの言葉だろ?
『龍胡入報, 出傳』で切っちまったら、ナニを伝えたかの目的語部分がなくなるんだが?
伝えたのは何?
構文上、どうしても、『汗言曰』を伝えたことになるんだが(笑)<
皇帝の言葉は、龍胡が仁祖を迎えに行った時に伝言済み。(猛爆)
従って、
「汗言曰」: “前日之事, 欲言則長矣。 今能勇決而來, 深用喜幸。”
ホンタイジが仁祖に「今までの事を話せば長くなるが、今こうして勇断して来てくれた事に朕は嬉しく思うぞ。」と言ったから、
仁祖が、
「上答曰」: “天恩罔極。”
↑
「皇恩の極みでございます。」と、言ったのよ。
龍胡辺りの格下に、「天恩罔極。」なる言葉は使わないからな。(猛爆)
それを証拠に、
↓
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
↓
ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。
朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。
↑
仁祖と王子は、ホンタイジや清の王子と同じ壇上に座るから、臣下(檀下席)とは扱いが違うのよ。(猛爆)
鐘路街に朝鮮人が使用する共同便所が複数あったという証拠は?
願望だけじゃいかんよ。
1913年「市街地建築取締規則3条9項」
「厠ハ各住居ニ之ヲ設クベキコト但シ長屋建家屋ニシテ戸数ニ応シ適当ナル共同厠ヲ設クルモノヲ除ク」
↑
の通達で、証明されている。(猛爆)
No.175614 run_run72
明治9年(1876)6月、宮本小一外務大丞
途中の宿には敷地の一隅に便所が設けられていたが、頗る不潔で堪え難かった。また、部屋に銅製の蓋付きの缶があり、通常はこれで用足しをするという。
↑
から、ヨガンを使うから便所が無いとは言い切れないない。(猛爆)
>>冊封は同盟関係だな。形式上臣下の礼をとるが、朝貢の見返りの方が多いから、貿易で儲けているのと同じ。
>>しかも、清から受領した国(領地)でも無いから、何もかも束縛されるものではない。(猛爆)
>王子を人質に出して柵暦受けて、王の代替わりには、清の皇帝の承認受けて同盟?(笑)
形式上、臣下の礼?
王子を人質に出したのは戦争に負けた時だけで、何年かして朝鮮に帰ってるから形式上のものだな。しかも治世に口は挟まない。王位継承時の承認儀式があるだけだな。
>No.174146
正祖実録18巻 正祖8年10月8日
No.174184 訳文 (いずれもasianroboさんによる)
受封の際、清の勅使に叩頭しているようではね。
形式上臣下の礼をとっているわけではなく、文字どおり、君臣関係。
ソレも相当従属の度合いは強いね。
仁祖と関係ない話だな。
で、正祖実録18巻 正祖8年10月8日に書かれているのは、義州府尹啓から、礼部宛のお伺い書なのよ。清の使臣が鴨緑江渡って最初に接待するのが義州府尹だから、失礼の無いように礼部に問い合わせたわけだな。(猛爆)
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正祖実録18巻 正祖8年10月8日
○ 關西道臣, 以義州府尹啓, 上禮部咨二度。
咨文曰:恭錄壅正十三年, 欽奉上諭: “朝鮮感戴我朝之恩, 虔修職貢, 甚爲恭敬, 凡大臣官員差往彼國者, 向有餽送儀物舊例。 朕以厚往薄來爲念。 若令使臣, 照例收受, 恐該國不免繁費。 若槪不收受, 又恐該國王, 以使臣遠涉, 缺餽遺之禮, 有歉於心著。 從此次詔使始, 凡餽送白金、儀物等項, 悉照舊裁減一半, 永著爲例。 該部卽行文該國王。” 遵此欽此。
>>総てを描写しているわけではないから、構文上そうなるという事だ。
>>仁祖一行が謝罪した言葉も書かれていないから意味の無い論法で、世間一般で言うこじ付けに過ぎない。(猛爆)
>こじ付け?おまえがな(大笑)
龍胡入報出傳汗言曰
龍胡が出てきて伝えたのはハーンの言葉だろ?
『龍胡入報, 出傳』で切っちまったら、ナニを伝えたかの目的語部分がなくなるんだが?
伝えたのは何?
構文上、どうしても、『汗言曰』を伝えたことになるんだが(笑)<
皇帝の言葉は、龍胡が仁祖を迎えに行った時に伝言済み。(猛爆)
従って、
「汗言曰」: “前日之事, 欲言則長矣。 今能勇決而來, 深用喜幸。”
ホンタイジが仁祖に「今までの事を話せば長くなるが、今こうして勇断して来てくれた事に朕は嬉しく思うぞ。」と言ったから、
仁祖が、
「上答曰」: “天恩罔極。”
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「皇恩の極みでございます。」と、言ったのよ。
龍胡辺りの格下に、「天恩罔極。」なる言葉は使わないからな。(猛爆)
それを証拠に、
↓
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
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ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。
朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。
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仁祖と王子は、ホンタイジや清の王子と同じ壇上に座るから、臣下(檀下席)とは扱いが違うのよ。(猛爆)
これは メッセージ 176228 (run_run72 さん)への返信です.
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