Re: 「三跪九叩頭の礼」のビックリ解釈
投稿者: asianrobo 投稿日時: 2010/08/25 08:20 投稿番号: [174301 / 230347]
よう、暗愚。
>龍も英も、朝鮮語で読むと「ヨン」だからな。相手から聞いた名前を、朝鮮語漢文に書いただけの話だろうよ。
やれやれ、日本語能力も不自由なんだな。
読みの問題ではなく、龍将や龍胡など英俄爾岱を指す呼称が一定しないことを指摘しているんだが。
>「跪」と「拜」は、別物と、三跪三拜の礼の説明で、お前も認めた。
三跪三拜の礼の拜が拝礼を指すとは言ったが、三拜九叩頭の礼と三跪九叩頭の礼が別物だなどとは言っとらんつ〜の。
>ゆえに、引用するなら清史稿の「(イ宗)率其屬伏地請罪,宣詔赦之」を引用すべきと言っている。
必要があるとしたら併記でしかないわな。
仁祖が、ホンタイジに対して、最上位の礼をもって臣下の礼をとり、伏して許しを請うた事は事実なんだから、Wikiの記述が嘘であるわけではないしな。
>ウィキは、「戦争」という項目を第一次世界大戦や第二次世界大戦という風に、細分してるから、同じように、「清朝の礼儀作法」という項目から、「三跪九叩礼」と「三拜九叩礼」etcを細分すれば良いという事だな。秀吉でも五拜三叩頭禮をするんだからさ。(猛爆)
朝鮮王朝実録が一次資料であるとはいっても、記述が無条件に正しいと言うことにはならんぞ暗愚。
慶長の役が起こった経緯を見れば、朝鮮王朝実録の不実記載であることは明らだ。
ほんと、このあたりは、鮮人は今も昔もかわんね〜な〜と思うわ(苦笑)。
>1595年明から秀吉の家臣たちに官職が授けられ、豊臣行長、豊臣秀家、豊臣長盛、豊臣三成、豊臣吉継、豊臣家康、豊臣輝元、豊臣秀保の名前で都督同知や都督僉事(センジ)をさずけられた。この文書は東大や毛利博物館などに残っていると大庭氏の「親魏倭王」(学生社)に出ている。都督同知や都督僉事は明の都督府における職責であり、秀吉の家臣から一挙に明の家臣へと躍進した歓喜が、明皇帝から下賜された品物を神社に奉納して永久保存し、大切に扱った行動で分かるね。(猛爆)
やれやれ。
流れと関係のない物をいきなり出してきて、それも突っ込みどころ満載の個人のページのコピペだってんだから程度がしれるわな。
コピペ元
http://www.geocities.jp/longwindinghistory/toyotomiseikenn.htmあと、大庭氏の「親魏倭王」は、魏志倭人伝をベースとして、古代アジアについて考察したものなんだがな。
苦し紛れとはいえ、行動が痛すぎるぞ暗愚。
これは メッセージ 174255 (topics_jk さん)への返信です.
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