韓国朝鮮人の思考形態(引用)
投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2006/02/26 15:12 投稿番号: [17360 / 230347]
>日本は「歴史認識と総長選は別問題だ」と毅然と言い放ち、韓国に投票してみたらどうだろうか?
>韓国人は自国と日本を比較論で考えるからその後、どう対応するのかが見物である。
これには大反対です。
この提案の前提は、彼らが私達と同様の思考形態をする、と言うものですが、彼等は「ウリの外交力が優れていたから」と言う認識で終わるでしょう。
以下はあるブログからの引用です。
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(1) 朝鮮民族の思考の中にある伝統的意識には留意する必要がある。約50年の歴史の相違による韓国と北朝鮮との間の行動スタイルの相違は極めて大きいが、共通の文化的因子がその根底にはある。
「内と外」の区別・峻別の意識は最も特徴的だ。朝鮮語に「ウリ」(こちら)と「ナム」(あちら)という言葉があり、「ウリ」は普通「私」とか「私たち」と訳されるが、むしろ「こちら」とか「うち」とか訳されるのが妥当で、「ナム」には身内意識をはずれた全てのものということになる。いわば、血族が「ウリ」の原型であり、その示すところは時と場合に応じて伸縮する。同居家族から八親等の一族、五代同祖、同姓同本、同地方と広がり、その最大時には朝鮮民族となる。朝鮮・人の「私」意識はこの「ウリ」の中に埋もれている。それは近代国民国家とは本来なじまないものだから矛盾が生じ、「ウリ」を国家単位に高めようとするとき、「ウリ」を定立させるための「ナム」として日本が選ばれる。それが「反日」の根拠である。日本は根深く「ナム」である。また、南北関係が「ウリ」か「ナム」か、即ち2つの外国同士か国内問題か不明確になりがちで、そのことが北朝鮮の現政権後のイメージ及び統一のイメージを曖昧なものにしている。
そして、この意識の根底にあるものは、華夷秩序である。中華に替わって米国がその地位を占める形で、この伝統的意識も生き残っている。
◆ 韓国人が言うところの”良心的日本人”とは何か?
ウリのものは、たとえみすぼらしいものでもいいもので、ナムのものは、ただそれだけの理由で悪いものになる。
ウリの道徳は普遍的なもの、絶対正義で、他人が「ウリ」と違う主張でもすれば、それは結局すべて悪魔となる。
万事がこうした白黒論理で動くのが、韓国式思考様式である。
つまり「ウリ」のやることはいいことで、「ナム」のやることは悪いことですか。
なんでそんな極端な考え方になるのだろうと驚くばかりですが、そう言われてみれば、まさしくその通り。
ワールドカップで不快に感じたことのほとんどが納得できます。
「自分たちが(ソルトレーク五輪で)されたときは大騒ぎして相手を非難するが、
同じことを自分たちが(ポルトガル・イタリア・スペインに)やったときは勝ち誇った」
まさしくこういうことです。
「日本の教科書にはイチャモンをつけるが、自分のとこの教科書がどんなに民族万歳の捏造トンデモ話を書いてあっても平気」
「日本人が誇りを持つのは許せないが、韓国のナショナリズムは誇りである」
在日の学者・姜 尚中も、日本人のナショナリズムは問題にするが、自国のナショナリズムは気にならないらしい。
【結論:良心的とは、理論的でも、正しいことでも、善でもなく、ウリ(我々)なのである。】
【結論:韓国人には公正、平等という概念は無く、同じ反則をしでかしても、ウリが行なえば良い事で、ナムがやれば悪いことである】
【結論:ナムには、どのような卑怯な酷い仕打ちも許される。それを批判するウリは、ナムと見なされる】
【結論:むしろナムに酷い仕打ちをすることこそが、ウリの価値を高める手段である。】
なんと言ったらいいんでしょう。
これが人格を持った人間なら、「自分勝手な人」「信用できない人」と言われることでしょう。
・・・そう思うのは日本人だけの感覚なのでしょうか?
あたしは世界的にそうだと思うんですが。
差別に聞こえたらすいません。
韓国人には、そういう傾向があるということは一応注意しておくべきでしょう。
そういうことを知ってみると、
日韓の問題の韓国の申し立てすべてが、疑わしくなってしまいます。
従軍慰安婦の証言も、そんな中で生まれてきたということを心しておきましょう。
《「反日」という甘えを断て http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/k2.htm》
>韓国人は自国と日本を比較論で考えるからその後、どう対応するのかが見物である。
これには大反対です。
この提案の前提は、彼らが私達と同様の思考形態をする、と言うものですが、彼等は「ウリの外交力が優れていたから」と言う認識で終わるでしょう。
以下はあるブログからの引用です。
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(1) 朝鮮民族の思考の中にある伝統的意識には留意する必要がある。約50年の歴史の相違による韓国と北朝鮮との間の行動スタイルの相違は極めて大きいが、共通の文化的因子がその根底にはある。
「内と外」の区別・峻別の意識は最も特徴的だ。朝鮮語に「ウリ」(こちら)と「ナム」(あちら)という言葉があり、「ウリ」は普通「私」とか「私たち」と訳されるが、むしろ「こちら」とか「うち」とか訳されるのが妥当で、「ナム」には身内意識をはずれた全てのものということになる。いわば、血族が「ウリ」の原型であり、その示すところは時と場合に応じて伸縮する。同居家族から八親等の一族、五代同祖、同姓同本、同地方と広がり、その最大時には朝鮮民族となる。朝鮮・人の「私」意識はこの「ウリ」の中に埋もれている。それは近代国民国家とは本来なじまないものだから矛盾が生じ、「ウリ」を国家単位に高めようとするとき、「ウリ」を定立させるための「ナム」として日本が選ばれる。それが「反日」の根拠である。日本は根深く「ナム」である。また、南北関係が「ウリ」か「ナム」か、即ち2つの外国同士か国内問題か不明確になりがちで、そのことが北朝鮮の現政権後のイメージ及び統一のイメージを曖昧なものにしている。
そして、この意識の根底にあるものは、華夷秩序である。中華に替わって米国がその地位を占める形で、この伝統的意識も生き残っている。
◆ 韓国人が言うところの”良心的日本人”とは何か?
ウリのものは、たとえみすぼらしいものでもいいもので、ナムのものは、ただそれだけの理由で悪いものになる。
ウリの道徳は普遍的なもの、絶対正義で、他人が「ウリ」と違う主張でもすれば、それは結局すべて悪魔となる。
万事がこうした白黒論理で動くのが、韓国式思考様式である。
つまり「ウリ」のやることはいいことで、「ナム」のやることは悪いことですか。
なんでそんな極端な考え方になるのだろうと驚くばかりですが、そう言われてみれば、まさしくその通り。
ワールドカップで不快に感じたことのほとんどが納得できます。
「自分たちが(ソルトレーク五輪で)されたときは大騒ぎして相手を非難するが、
同じことを自分たちが(ポルトガル・イタリア・スペインに)やったときは勝ち誇った」
まさしくこういうことです。
「日本の教科書にはイチャモンをつけるが、自分のとこの教科書がどんなに民族万歳の捏造トンデモ話を書いてあっても平気」
「日本人が誇りを持つのは許せないが、韓国のナショナリズムは誇りである」
在日の学者・姜 尚中も、日本人のナショナリズムは問題にするが、自国のナショナリズムは気にならないらしい。
【結論:良心的とは、理論的でも、正しいことでも、善でもなく、ウリ(我々)なのである。】
【結論:韓国人には公正、平等という概念は無く、同じ反則をしでかしても、ウリが行なえば良い事で、ナムがやれば悪いことである】
【結論:ナムには、どのような卑怯な酷い仕打ちも許される。それを批判するウリは、ナムと見なされる】
【結論:むしろナムに酷い仕打ちをすることこそが、ウリの価値を高める手段である。】
なんと言ったらいいんでしょう。
これが人格を持った人間なら、「自分勝手な人」「信用できない人」と言われることでしょう。
・・・そう思うのは日本人だけの感覚なのでしょうか?
あたしは世界的にそうだと思うんですが。
差別に聞こえたらすいません。
韓国人には、そういう傾向があるということは一応注意しておくべきでしょう。
そういうことを知ってみると、
日韓の問題の韓国の申し立てすべてが、疑わしくなってしまいます。
従軍慰安婦の証言も、そんな中で生まれてきたということを心しておきましょう。
《「反日」という甘えを断て http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/k2.htm》
これは メッセージ 17357 (mandaragae さん)への返信です.
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