「三跪九叩頭の礼」のビックリ解釈
投稿者: run_run72 投稿日時: 2010/08/09 22:20 投稿番号: [172836 / 230347]
>朝鮮語の漢文は、日本語と同じように左から右に読むのよ。(猛爆)
はあ?朝鮮語の漢文は、明や清の漢文とは別物なのか?(笑)
何がいいたいのかしらんが、
語順や語法は中国のそれと同じだろ。
朝鮮は地理的に近く、ずーっと事実上服属関係であったし、
独自の漢文を生んだとも思えんがな。
ところで、
ワタシが、ここで白文を読み下しているのは冷や汗ものだが(苦笑)
しかし、
トピ屑くんの解釈は恣意的にすぎるな(笑)
大体、三田渡で、仁祖が三拝九叩頭したのは
朝鮮の史学会でも常識だし、朝鮮の人間は広く知ってんだろ(笑)
ふれたくないだけで(笑)
それをトピ屑君のトンでも解釈でなかったことにする(大笑)
日にちが違うから、
前日に打ち合わせをした際?
打ち合わせに王が出向くのか?
王子を連れて(大笑)
藍染の服なんか着ちゃって???
仁祖が清の使者に叩頭させたって・・・キミは言ってるようだが、
んな、バカな。
仮に(荒唐無稽なトピ屑説だが)キミのいうとおりだとして、
近々、投降する清の皇帝の使者に三拜九叩頭禮なんかさせようものなら、
和睦はオジャン、仁祖の命も危ういだろう(笑)
そもそも、ホンタイジの意を受けた使者である以上
その使者に対して、仁祖が南面して座ることも、上座に位置することも
不可能。
願望だけでバカいっちゃいかん。
仁祖実録 仁祖15(1637)年1月30日(庚午)
龍馬両胡来城外趣上出城。上着藍染衣乗白馬尽去儀仗率侍従五十余人由西門出城王世子従焉。百官落後者立於西門内搥胸哭踊。上下山班荊而坐。俄而清兵被甲者数百騎馳来。上曰此何為者耶。都承旨李景稷対曰此似我国之所謂迎逢者也。良久龍胡等至。上離坐迎之行再揖礼分東西而坐。龍胡等致慰上答曰今日之事専恃皇帝之言与両大人之宣力矣。龍胡曰今而後両国為一家有何憂哉。日已晩矣請速去。遂馳馬前導。上只率三公及判書承旨各五人翰注各一人世子率侍講院翊衛司諸官隨詣三田渡。望見汗張黄屋而坐甲冑而帯弓剣者為方陣而擁立左右張楽鼓吹略倣華制。上歩至陣前龍胡等留上於陣門東。龍胡入報出伝汗言曰前日之事欲言則長矣。今能勇決而来深用喜幸。上答曰天恩罔極。龍胡等引入設席於壇下北面請上就席使清人臚唱。上行三拜九叩頭礼。
>どう読んでも、
>仁祖は壇の上に座っているのよ。(猛爆)
>清の使臣は檀下の上席に座ったと書いてるな。
>>清の使臣が上(仁祖)に名前を述べて三拜九叩頭禮を行った、と書いてある。(No.172801トピ屑)
どう読んでも、そうは読めん(大笑)
藍染の服・・つうのは王としての服ではなく、
粗末な服ってことだろう。
罪を謝すんだからな。
そして、その姿で・・
設席於壇下北面, 請上就席, 使芿人臚唱,上行三拜九叩頭禮
席設けて檀下に北面す(席を壇下に設けて北面す、でもいいか)
請いて上席に就く(上席につくわけじゃない。上は仁祖を指す)。
清人をして臚唱せしむ。
上行きて三拝九叩頭禮す。(上は仁祖な。行って叩頭するんだよ)
ホンタイジが壇上。
はるか下、檀の下に、北面して座るのが、臣下としての仁祖の
定位置。
清の人(ホンタイジの家臣)に、壇上から臚唱させる。
居並ぶホンタイジの家臣が伝えくる壇上からの声に応じて、仁祖は、進み出て、三拝九叩頭禮を
ホンタイジにしたのさ。
だから、大変な屈辱だったんだろ。
また、ホンタイジもそのように演出した。
降る儀式だからな。
レリーフは最近のものだというが、
この記述をそのまま視覚化しただけ。
日付が違う、前日だから打ち合わせにちがいない、
というのがお前の屁理屈のばかげた根拠だが、
オランケの清(笑)と朝鮮は同じ暦を採用していたのか?(笑)
単なる間違いとかもありうるよな。
仁祖にとっては生涯忘れられない屈辱かもしれんが、
ホンタイジや清にとっては、従わせた事実が必要で、
日にちなどどうでもよい(笑)
>無理なこじ付けばかりで、笑うしかないね。正月30日は、降伏条件の打ち合わせに清の使臣が来た時の話で、まだ降伏してない。(猛爆)
>前投稿で、清史稿で説明したろうが?(猛爆)
↓
>仁祖が三田渡の降伏式に行ったのは、2月庚午(1日)。
「伏地請罪」と書かれているだけで、三拜九叩頭禮の記述など何処にも存在しない。
伏して罪を請うたのなら、
一々書かずとも、三拜九叩頭禮したにきまっとろうが。
はあ?朝鮮語の漢文は、明や清の漢文とは別物なのか?(笑)
何がいいたいのかしらんが、
語順や語法は中国のそれと同じだろ。
朝鮮は地理的に近く、ずーっと事実上服属関係であったし、
独自の漢文を生んだとも思えんがな。
ところで、
ワタシが、ここで白文を読み下しているのは冷や汗ものだが(苦笑)
しかし、
トピ屑くんの解釈は恣意的にすぎるな(笑)
大体、三田渡で、仁祖が三拝九叩頭したのは
朝鮮の史学会でも常識だし、朝鮮の人間は広く知ってんだろ(笑)
ふれたくないだけで(笑)
それをトピ屑君のトンでも解釈でなかったことにする(大笑)
日にちが違うから、
前日に打ち合わせをした際?
打ち合わせに王が出向くのか?
王子を連れて(大笑)
藍染の服なんか着ちゃって???
仁祖が清の使者に叩頭させたって・・・キミは言ってるようだが、
んな、バカな。
仮に(荒唐無稽なトピ屑説だが)キミのいうとおりだとして、
近々、投降する清の皇帝の使者に三拜九叩頭禮なんかさせようものなら、
和睦はオジャン、仁祖の命も危ういだろう(笑)
そもそも、ホンタイジの意を受けた使者である以上
その使者に対して、仁祖が南面して座ることも、上座に位置することも
不可能。
願望だけでバカいっちゃいかん。
仁祖実録 仁祖15(1637)年1月30日(庚午)
龍馬両胡来城外趣上出城。上着藍染衣乗白馬尽去儀仗率侍従五十余人由西門出城王世子従焉。百官落後者立於西門内搥胸哭踊。上下山班荊而坐。俄而清兵被甲者数百騎馳来。上曰此何為者耶。都承旨李景稷対曰此似我国之所謂迎逢者也。良久龍胡等至。上離坐迎之行再揖礼分東西而坐。龍胡等致慰上答曰今日之事専恃皇帝之言与両大人之宣力矣。龍胡曰今而後両国為一家有何憂哉。日已晩矣請速去。遂馳馬前導。上只率三公及判書承旨各五人翰注各一人世子率侍講院翊衛司諸官隨詣三田渡。望見汗張黄屋而坐甲冑而帯弓剣者為方陣而擁立左右張楽鼓吹略倣華制。上歩至陣前龍胡等留上於陣門東。龍胡入報出伝汗言曰前日之事欲言則長矣。今能勇決而来深用喜幸。上答曰天恩罔極。龍胡等引入設席於壇下北面請上就席使清人臚唱。上行三拜九叩頭礼。
>どう読んでも、
>仁祖は壇の上に座っているのよ。(猛爆)
>清の使臣は檀下の上席に座ったと書いてるな。
>>清の使臣が上(仁祖)に名前を述べて三拜九叩頭禮を行った、と書いてある。(No.172801トピ屑)
どう読んでも、そうは読めん(大笑)
藍染の服・・つうのは王としての服ではなく、
粗末な服ってことだろう。
罪を謝すんだからな。
そして、その姿で・・
設席於壇下北面, 請上就席, 使芿人臚唱,上行三拜九叩頭禮
席設けて檀下に北面す(席を壇下に設けて北面す、でもいいか)
請いて上席に就く(上席につくわけじゃない。上は仁祖を指す)。
清人をして臚唱せしむ。
上行きて三拝九叩頭禮す。(上は仁祖な。行って叩頭するんだよ)
ホンタイジが壇上。
はるか下、檀の下に、北面して座るのが、臣下としての仁祖の
定位置。
清の人(ホンタイジの家臣)に、壇上から臚唱させる。
居並ぶホンタイジの家臣が伝えくる壇上からの声に応じて、仁祖は、進み出て、三拝九叩頭禮を
ホンタイジにしたのさ。
だから、大変な屈辱だったんだろ。
また、ホンタイジもそのように演出した。
降る儀式だからな。
レリーフは最近のものだというが、
この記述をそのまま視覚化しただけ。
日付が違う、前日だから打ち合わせにちがいない、
というのがお前の屁理屈のばかげた根拠だが、
オランケの清(笑)と朝鮮は同じ暦を採用していたのか?(笑)
単なる間違いとかもありうるよな。
仁祖にとっては生涯忘れられない屈辱かもしれんが、
ホンタイジや清にとっては、従わせた事実が必要で、
日にちなどどうでもよい(笑)
>無理なこじ付けばかりで、笑うしかないね。正月30日は、降伏条件の打ち合わせに清の使臣が来た時の話で、まだ降伏してない。(猛爆)
>前投稿で、清史稿で説明したろうが?(猛爆)
↓
>仁祖が三田渡の降伏式に行ったのは、2月庚午(1日)。
「伏地請罪」と書かれているだけで、三拜九叩頭禮の記述など何処にも存在しない。
伏して罪を請うたのなら、
一々書かずとも、三拜九叩頭禮したにきまっとろうが。
これは メッセージ 172809 (topics_jk さん)への返信です.
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