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仁祖は三跪九叩頭の礼をしたのか? ④

投稿者: i_am_not_ill 投稿日時: 2010/08/04 08:04 投稿番号: [172513 / 230347]
“今は両国が一家族になった。 弓撃つ手並みを見たいからそれぞれ才能をつくすようにしなさい。”

ハニ、従官らが答えることを、

“こちらにきた者らは全部文官だからよく撃てません。”

した。 竜骨対が無理に撃つようにするとすぐにいよいよ衛率チョン・イジュン(鄭以重)にとって出て行って撃つようにしたが、弓と矢が本国の制度と違うようだったので、五度撃ったが全部合わなかった。 清国王子および諸将が騒然と似合って撃ちながら遊んだ。 少しあとで進饌と行酒するようにした。 酒杯を三回回した後酒杯と器を片づけるように命じたが、片づける頃に従胡二人がそれぞれ犬を引っ張って漢方医の前に達するとすぐに一が直接肉を切って投げてくれた。 相異ハ職と出てくると、嬪宮以下官吏加速にとらえられた者らが全一ヶ所に集まっていた。 竜骨対が漢方医言葉で貧窮と大軍夫人に出てきてお辞儀をするように求めたので見る者らが涙を流したが、事実は内人が代ったという。 竜骨対などがあるイ・ジュン白馬に澄んでいたサドルを整えて引っ張って誤字相異親しく手綱をとらえて従臣が受けた。 竜骨対などがまた、初球を持ってきて漢方医話を伝えることを、

“この物は当初周慮は考えで持ってきたが、もう本国の衣服制度を見ると同じでない。 したがってあえて無理に着用させようとするのではなく単に情意を表わすだけだ。”

ハニ、相異受けて入庫庭に入って謝礼した。 都承旨イギョン職にとって国宝を敬ってあげるようにすると、竜骨対が受けて行った。 少しあとできて叱責することを、

“高名と玉冊はどうして捧げないですか?”

ハニ、相異達することを、

“玉冊はかつて甲子年変乱によってなくしたし、高名は江華島(カンファド)に送ったが戦争で不明瞭な時に完全になっただろうと保障しにくい。 しかしひょっとしてそのままいれば後ほど捧げることが何が難しいです。”

しよう、竜骨対が分かったといって行った。 また、初球3領を三公を呼んで着るようにして、5リョンを五卿を呼んで着るようにしたし、【刑曹板書心集(沈?)銀待罪とこなかった。】 5リョンを五承旨を呼んで着るようにして、【チュァ副承旨韓興一は江都に入ったので参加しなかった。】言うことを、

“奏上を迎えて酸性で苦労したのでこれを与えることだ。”

した。 下賜を受けた方らが皆庭にうつ伏せになって謝礼した。 洪瑞鳳と張維が庭に入ってうつ伏せになって老母を探してみるようにしてくれることを求めると、【彼らの母が強盗(強度)に入ったためだ。】金石乙屎が怒って叱った。 相異畑の中で座って進退を待ったが日が沈む頃になった後にはじめて都城に帰るようにした。 皇太子と貧窮および二つの大軍と夫人は全部留まっておくようにしたが、これは概して将来北に連れて行こうとする目的であった。 相異退いて幕次に入って貧窮を見て、チェ・ミョンキルを留まるようにしてまず陪従と護衛するようにした。 相異所波津を経由して船に乗って渡った。 当時津卒はほとんど全部死んで空の船2隻だけがあったが、百官らが争って渡ろうと御衣を引っ張ることさえしながら腹(船,梨)に上がったりもした。 相異渡った後に、汗が後に従って馬に乗って駆け付けて浅い早瀬で軍事らを渡るようにして、桑田に進んで陣を打つようにした。 そして竜骨のとおりとって軍兵を導いてお出ましを護衛するようにしたが、道の左右を挟まって上を引き渡していった。 捕われた子供らが眺めて泣き叫んで全部言うことを、

“私たちの賃金よ、私たちの賃金よ。 私たちを捨てて行きますか。”

したが、道を挟まって泣いて叫ぶ者が万人を推し量った。 人定時になってはじめてソウルに到達して昌慶宮養和堂に進んだ。

⑥結論。
確かに原文には三跪九叩頭の文字はあるが、どうもその主体は仁祖ではないようだ。それにホンタイジが三田渡もしくは朝鮮国内にいたとの記述もない。

一蹴?
なんぼでも反論しろよ。恥を掻くのを承知ならばな。

(大笑)
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