日本と韓国の議論の広場

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

はて

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2002/10/08 01:57 投稿番号: [1714 / 230347]
>日韓併合は「李氏から国を奪ったのは易姓革命だ」と理解するのが、その他の解釈よりも、より近似の精度が高いのではないか?

はて、ちょっと分かりにくいですね。

ちなみに私はすでに何度も書いてきたように基本的には民族意識の芽生えを東学に見ており、さらに愛国啓蒙運動においてとりわけ1905−1910年ころには国家意識の定着の過程を確認できる(それがすでに全国民の国民意識として浸透したとはいいにくいでしょうがその志向が決定的に根づきはじめた)という立場をとってきました。

その前提としてあるのが民族というものですが、それはたぶんに外部との接触と関係があるものであって、それは西欧の列強の中国侵略やいわゆる衛正斥邪と開化思想に同時に触発されながら育っていったものと考えています。そして、それが「近代」の形で「国民意識」の可能性を見せるものとしてもっとも可能性を見出しやすいものに愛国啓蒙運動をあげました。

儒教と朝鮮にこだわることはないのではないでしょうか。東学が打倒しようとしたのも腐敗した朝鮮であったし、開化思想のめざしたものも伝統的な朝鮮の思想とはあい反するものでした。義兵運動の1905年ころの状況を見てもそこにあるのが朝鮮そのものの維持といえるのかどうか検討が必要です。

>1.この時点での愛「国」啓蒙運動の「国」は、義兵運動の「国」と同様に、東洋的王朝国家をさしており、まだ国民国家になっていない(「君」が分離していないため)。

君が存在したら「国民国家」とはなりえないのかどうか、立憲君主制は国民国家に含まれないのかなど、検討の必要があるでしょうね。私は「国民国家」を述べるのであればむしろ「近代」意識にその意識との関連を見ています。それは王朝そのものよりは、自主独立であり、朝鮮語の自覚であり、新教育であり、新文学であり、銀行であり、船であり、汽車であり、キリスト教の輸入であり、平等意識であり、民権思想であり、改革の思想なのではないでしょうか。

私にはどうしても愛国啓蒙運動の「国」が東洋的王朝国家を指しているようには見えませんが。東洋的王朝国家というものが腐敗した保守的・排他的な朝鮮王朝の延長であるようなもの、というのであれば、私はそれは違うと思います。それを改革・開化させる王朝思想かと思われます。

義兵運動の思想については愛国啓蒙運動と共通するところがあるのは時代的な側面からたしかですが、といって、両方とも東洋的王朝国家では、把握しにくいものではないでしょうか。

>2.義兵運動は生死を賭けた闘争であって、その檄文には彼らの国家観が切実に表れる。愛国啓蒙運動にはその切実さはない。

そうでしょうか。義兵運動は独立運動の身を持ってしての闘争としての実現であり、愛国啓蒙運動は開化思想を含めた自主独立の思想的活動であって、その実現の仕方が違うからといって、切り捨てるのはずいぶんと乱暴です。国家観の検討としてはむしろ愛国啓蒙運動にその本質をみたほうがいいくらいです。

例をあげましょうか。李相ソルや李ジュンはハーグに行った密使ですが、それぞれ愛国啓蒙運動にまい進した新教育の教育家でもあり独立運動家でもありました。彼らは王朝のために死にましたが、保守的・伝統的な儒教思想の王朝を守ろうとしたのではありません。そして、彼らは基督教徒でもありました。間島地方に民族学校として知られる新教育の基督系列の学校も設立しています。彼らが守ろうとしたのは国家と王室であって、伝統的な保守秩序ではありません。いわゆる新民会の活動は「東洋的な」王朝国家秩序とは一線を画した啓蒙運動だったといえるのではないでしょうか。

いずれにせよ、大韓帝国の見方として必要なのは「東洋的な王朝国家」ではなく、すでに限界に来ていたその保守的・儒教的世界観の打破の必要性、開化による改革思想などが王朝への視角の前提におかれるべきでしょう。

そのために、愛国啓蒙運動もあり、ひいては義兵運動の国家観もあり、そして、国民たちの積極的な新教育への参与があったといえるものと思われます。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)