ついでに
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2002/10/02 11:47 投稿番号: [1647 / 230347]
このあたりの問題については、ついでに東学についても、念頭においておく必要がないでしょうか。東学の農民軍の提示していた改革案には「倭と姦通するものは厳罰に付すること」のほか、奴婢文書の焼却や寡婦の救済ほか、いろいろと興味深いものがあります。
>私としては、それがどのくらい全土に、そして下層の人々の間にまで定着していけたかという点で、かなり評価を割り引く立場
とありましたが、反日・反政府の姿勢は東学運動の強い指針でもありましたし、またそれも国民意識のある意味での部分的な発露であり(それはある意味では民族主義の原点がフランス革命にあることも参考になるかもしれません)それが下層民につよく影響を与えたのは確かではないでしょうか。
私は、図式的に理解するのは好きではありませんが、簡単にいうとこういうことです。
①下層民を中心とした東学の動きにはそれなりの国民意識が部分的には作用したとも言えるし、東学の「輔国安民(独立と民生の安定)」思想も無視できそうにないこと。
②愛国啓蒙運動や、各種新聞の動きなど、開化思想は着実に進みつつあり、そこには強い民族意識がうかがえること。これについてはすでに前回書きました。
③抗日義兵闘争は基本的には性理学を中心とした闘争だったが、その思想は国家意識の一つの形ではあり、国権回復を中心とした民族意識を有したことは否定できないこと。
細かくあげていくときりがないですが、大きな流れで言うと、こうした三つの柱が当時の国民意識・民族意識の象徴であり、その統合がいずれ三一運動に結びついていったといえるのではないでしょうか。近代的な民族主義と国民国家という点から一番重要に思われるのは、前に書いたように私は②だと思われます。
指導部も国民も今の私たちの目からは未成熟な形にしか見えませんが、そこに日本の国民主義・国家主義を反映したり、現在のナショナリズムの思想を反映することにはどうかと疑問が残ります。朝鮮はあまりに無力であり、また一般大衆はその力のなさをも自覚しており、国家体制もほぼ破綻に近い状態にありました。
日本における国民国家の意識、そのともすれば「自我」が埋没しかねないような国民主義が国家主義へと進み、超国家主義へと進んだことは、帝国主義の一言ではすまない民族意識の危険性をはらんでいたのも確かであると思われます。そして、その一方で外部へと向かう、或いは自らを保身するだけの国民意識を「力のなさ」ゆえに、朝鮮は必ずしも発露することができなかったということ。
一般大衆の感情も、民族意識の不在ではなく、無力感というのがより近いのではないかという気がします。それでも上のような歴史的な動きをもちえたということは、それはそれで評価すべきものであり、これは近代化や国民意識の問題であるよりはむしろ自尊心というところに本質的に近い性質の問題でもありそうです。
>私としては、それがどのくらい全土に、そして下層の人々の間にまで定着していけたかという点で、かなり評価を割り引く立場
とありましたが、反日・反政府の姿勢は東学運動の強い指針でもありましたし、またそれも国民意識のある意味での部分的な発露であり(それはある意味では民族主義の原点がフランス革命にあることも参考になるかもしれません)それが下層民につよく影響を与えたのは確かではないでしょうか。
私は、図式的に理解するのは好きではありませんが、簡単にいうとこういうことです。
①下層民を中心とした東学の動きにはそれなりの国民意識が部分的には作用したとも言えるし、東学の「輔国安民(独立と民生の安定)」思想も無視できそうにないこと。
②愛国啓蒙運動や、各種新聞の動きなど、開化思想は着実に進みつつあり、そこには強い民族意識がうかがえること。これについてはすでに前回書きました。
③抗日義兵闘争は基本的には性理学を中心とした闘争だったが、その思想は国家意識の一つの形ではあり、国権回復を中心とした民族意識を有したことは否定できないこと。
細かくあげていくときりがないですが、大きな流れで言うと、こうした三つの柱が当時の国民意識・民族意識の象徴であり、その統合がいずれ三一運動に結びついていったといえるのではないでしょうか。近代的な民族主義と国民国家という点から一番重要に思われるのは、前に書いたように私は②だと思われます。
指導部も国民も今の私たちの目からは未成熟な形にしか見えませんが、そこに日本の国民主義・国家主義を反映したり、現在のナショナリズムの思想を反映することにはどうかと疑問が残ります。朝鮮はあまりに無力であり、また一般大衆はその力のなさをも自覚しており、国家体制もほぼ破綻に近い状態にありました。
日本における国民国家の意識、そのともすれば「自我」が埋没しかねないような国民主義が国家主義へと進み、超国家主義へと進んだことは、帝国主義の一言ではすまない民族意識の危険性をはらんでいたのも確かであると思われます。そして、その一方で外部へと向かう、或いは自らを保身するだけの国民意識を「力のなさ」ゆえに、朝鮮は必ずしも発露することができなかったということ。
一般大衆の感情も、民族意識の不在ではなく、無力感というのがより近いのではないかという気がします。それでも上のような歴史的な動きをもちえたということは、それはそれで評価すべきものであり、これは近代化や国民意識の問題であるよりはむしろ自尊心というところに本質的に近い性質の問題でもありそうです。
これは メッセージ 1643 (uumin3 さん)への返信です.
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