Re: 日本という呼び名の由来
投稿者: mankyoshjweek 投稿日時: 2010/01/25 21:58 投稿番号: [160404 / 230347]
中国人からみた日本国の由来だ。
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2009-04-21 09:53:11 来源: 中国新闻网(北京)
2004年、西安で遣唐使の井真成の墓誌が発見された。
墓誌には、井真成を、“国号は日本、生まれつき才能豊かで、国命を奉じ遠い国、中国を訪れ活躍した”とある。
墓誌銘にある“日本”の国号は、少なくとも734年以前に使われていたことを示している。
これは今まで、中国で発見された唯一の遣唐使の実物の資料であり、日本国の国号と日本を一番早く記述したものであり、日本を国家として承認した国宝級文化財であり、古代中日の文化交流の歴史研究にとって、重要な学術的価値を持つものである。
戦国時代、中国は、日本を“倭”と呼んだ。
古代中国は、よく“扶桑”という字で日本を表記していた。
この他、東夷、海東、東洋、東瀛、蓬莱、瀛洲、蓬瀛などの呼び方も中国の典籍の中に見られる。
これからも、日本の各種の呼び名と中国の深いつながりが見て取れる。
昔から、アジアで大国だった中国は自らを“世界の中心”、“天下第一”として、“中華”、“中国”、“上国”、“天朝大国”と自称し、“中国人と外国人の分別”思想から、他民族を禽獣とみなし、国名に“獣”や“虫”を使った。
例えば“狄”、“蛮”、“戎”などである。 ただ日本だけは“夷”、“倭”と呼び、“人”偏を使った。
当時、中国を仰ぎ見ていた日本人は、中国が自分を人扱いしたと喜んだ。
なぜ、最初に日本を“倭”と呼んだのか? “倭”という字は“人”、“禾”、“女”という字が組み合わされている。 なぜなら、倭人はイネを主食とし、女が多く男が少なかったからであると説明する人もいる。
またある学者は、日本を”倭“というのは音訳だという。 日本民族は、“大和”と称していた。 “和”と“倭”は同じ発音である。
日本、漢字の意味は“日出ずる国”、“太陽が昇るところ”である。
論理的にいうなら、日本から太陽は東方海上から昇るので、日本人は自分の土地を“日本”と呼ぶことは出来ない。
これは古代中国人が東方の島を見た時の感じと呼び方を、あまり自身のことを知らない日本人が、参考にしたのである。
608年、日本の摂政である聖徳太子が隋の煬帝に出した、“日出ずる所の天子、日没する所の天子に致す”という国書は、屈することなく、対等の付き合いを望む気持ちが溢れている。
隋の煬帝は、これを読んで無礼だと怒り、遣唐使を非難した。
660年頃、唐の高宗の時、張守節の《史記正義》に、“武后、日本を語る” 武后とは則天武后のことである。
“日本”という言葉が正式に現れた。
《旧唐書・東夷傳》の中に日本と改称したことについて説明がある。
“この国は、日のそばにあるので、日本と名付けた” 大化の改新を経て、日本は天皇を中心とする律令国家体制となり、国名を正式に日本とした。 この称号は、今に至るまですでに1300年余り使われている。
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>>論理的にいうなら、日本から太陽は東方海上から昇るので、日本人は自分の土地を“日本”と呼ぶことは出来ない。
そんなことはない、自ら「日の出る国」と形容している。
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2009-04-21 09:53:11 来源: 中国新闻网(北京)
2004年、西安で遣唐使の井真成の墓誌が発見された。
墓誌には、井真成を、“国号は日本、生まれつき才能豊かで、国命を奉じ遠い国、中国を訪れ活躍した”とある。
墓誌銘にある“日本”の国号は、少なくとも734年以前に使われていたことを示している。
これは今まで、中国で発見された唯一の遣唐使の実物の資料であり、日本国の国号と日本を一番早く記述したものであり、日本を国家として承認した国宝級文化財であり、古代中日の文化交流の歴史研究にとって、重要な学術的価値を持つものである。
戦国時代、中国は、日本を“倭”と呼んだ。
古代中国は、よく“扶桑”という字で日本を表記していた。
この他、東夷、海東、東洋、東瀛、蓬莱、瀛洲、蓬瀛などの呼び方も中国の典籍の中に見られる。
これからも、日本の各種の呼び名と中国の深いつながりが見て取れる。
昔から、アジアで大国だった中国は自らを“世界の中心”、“天下第一”として、“中華”、“中国”、“上国”、“天朝大国”と自称し、“中国人と外国人の分別”思想から、他民族を禽獣とみなし、国名に“獣”や“虫”を使った。
例えば“狄”、“蛮”、“戎”などである。 ただ日本だけは“夷”、“倭”と呼び、“人”偏を使った。
当時、中国を仰ぎ見ていた日本人は、中国が自分を人扱いしたと喜んだ。
なぜ、最初に日本を“倭”と呼んだのか? “倭”という字は“人”、“禾”、“女”という字が組み合わされている。 なぜなら、倭人はイネを主食とし、女が多く男が少なかったからであると説明する人もいる。
またある学者は、日本を”倭“というのは音訳だという。 日本民族は、“大和”と称していた。 “和”と“倭”は同じ発音である。
日本、漢字の意味は“日出ずる国”、“太陽が昇るところ”である。
論理的にいうなら、日本から太陽は東方海上から昇るので、日本人は自分の土地を“日本”と呼ぶことは出来ない。
これは古代中国人が東方の島を見た時の感じと呼び方を、あまり自身のことを知らない日本人が、参考にしたのである。
608年、日本の摂政である聖徳太子が隋の煬帝に出した、“日出ずる所の天子、日没する所の天子に致す”という国書は、屈することなく、対等の付き合いを望む気持ちが溢れている。
隋の煬帝は、これを読んで無礼だと怒り、遣唐使を非難した。
660年頃、唐の高宗の時、張守節の《史記正義》に、“武后、日本を語る” 武后とは則天武后のことである。
“日本”という言葉が正式に現れた。
《旧唐書・東夷傳》の中に日本と改称したことについて説明がある。
“この国は、日のそばにあるので、日本と名付けた” 大化の改新を経て、日本は天皇を中心とする律令国家体制となり、国名を正式に日本とした。 この称号は、今に至るまですでに1300年余り使われている。
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>>論理的にいうなら、日本から太陽は東方海上から昇るので、日本人は自分の土地を“日本”と呼ぶことは出来ない。
そんなことはない、自ら「日の出る国」と形容している。
これは メッセージ 160400 (anthony_749 さん)への返信です.
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