Re: …誰か呼んだ(笑)?
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/11/29 23:22 投稿番号: [158672 / 230347]
>倭人在帶方東南大海之中依山島
>從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
である以上、倭人の国は“島”国であって、「朝鮮半島を船で海岸伝いに
南下、その後東に転進して、倭の“北岸”(←猛爆)に当たる狗邪韓国に
到る」。いいですか、この後に
>始度一海千餘里
とある以上、狗邪韓国と倭は、あなたがどう妄想しようと、地続きでは
ないんだな(猛爆)
典型的な、自分が強弁を止めなければ負けてないと思い込む声闘モード。
いや〜往生際が悪い(呆) この指摘をするの、何回目だ?
日本書紀には九州は、神話からでさえ筑紫国、肥前国、日向国とあるからね。幾ら強弁張ったところで、魏志倭人伝記載の国名は、日本書紀の何処を捜しても無い。(猛爆)
http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/syoki/syoki.html
>>(帯方郡が朝鮮半島中西部に)あるわけが無い。万里の長城が境界だからね。(猛爆)
>んな、秦の始皇帝が作り始めた時代の事情を持ち出しても(笑)
では、百済の王達は、どんな所かも知らない地名を冠した称号を得る為に、
何百年も足繁く朝貢してたんだ(猛爆)
朝貢国の王は、中国領地内の郡名で「公」の称号と「正二品若しくは従二品」の官位を受ける。
>>陳寿が思いを巡らして書いた空想の話だから(№157687)と書いた
がね。魏志倭人伝の行程では日本に辿り着かない(猛爆)
>そ、だから実際に消化された、邪馬台国〜帯方郡という逆ルートを辿る
という、シンプルなアプローチをするだけで、あなたのトンデモ説は
ゴミ箱行きなんだ(笑)
前に
邪馬壹国発帯方行きだと、
始発が邪馬壹国→投馬国→不彌國(馬韓)で二国目に馬韓に到着する。
↑
と書いてるがね?(猛爆)
>>未だに妄想が生じるようだな?(猛爆)
>そうでも考えないと、トピック式の「水行」と「始度一海千餘里」との
区別がつかないじゃないですか(猛爆)
ゆえに、陳寿が思いを巡らして書いた空想話といっている。
>>遣唐使が使った百済大船でも、沿岸航法で難波から九州まで一ヶ月もかかっているからね。古代の丸木舟に毛の生えた程度の船での沿岸航法では、更に時間がかかったろうな
>“百済大船”なるものがどんな代物か知らないが、遣唐使の頃は百済滅びた
から現物ないやん(猛爆) で、いわゆる「韓船」なるものは、潮汐差の
激しい黄海向けに、平底で、後に西洋で発明される竜骨(キール)なんて
物もなく、タールもないから水密性の悪く、三角帆なんて物も知らない、
実用性を考えれば、主に櫂で漕ぐ板張りのガレー船タイプなんだけど
(だから私は帆船小説ファンなんだって)?早い訳がない。
しかもだ、気づいていない様だが、自分で三韓を矮小化してしまったから、
百済、ましてや三韓諸国に造船技術など、あろう筈がない(猛爆)
内海と違って外洋を渡る必要に迫られていた倭の船の方が、よほど頑丈
だったと思うけどね。
日本書紀には、
孝徳天皇
孝徳白雉元年に「倭漢直縣らを安芸国に遣わして、百済船二隻を造る」
推古天皇
推古二十六年に「この歳、河辺臣 [名を洩らせり] を安芸国に遣わし、舶(ツム)を作らしむ。・・遂に舶を作りつ。」
とある。倭船では外洋を渡れなかったということだな。(猛爆)
>從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
である以上、倭人の国は“島”国であって、「朝鮮半島を船で海岸伝いに
南下、その後東に転進して、倭の“北岸”(←猛爆)に当たる狗邪韓国に
到る」。いいですか、この後に
>始度一海千餘里
とある以上、狗邪韓国と倭は、あなたがどう妄想しようと、地続きでは
ないんだな(猛爆)
典型的な、自分が強弁を止めなければ負けてないと思い込む声闘モード。
いや〜往生際が悪い(呆) この指摘をするの、何回目だ?
日本書紀には九州は、神話からでさえ筑紫国、肥前国、日向国とあるからね。幾ら強弁張ったところで、魏志倭人伝記載の国名は、日本書紀の何処を捜しても無い。(猛爆)
http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/syoki/syoki.html
>>(帯方郡が朝鮮半島中西部に)あるわけが無い。万里の長城が境界だからね。(猛爆)
>んな、秦の始皇帝が作り始めた時代の事情を持ち出しても(笑)
では、百済の王達は、どんな所かも知らない地名を冠した称号を得る為に、
何百年も足繁く朝貢してたんだ(猛爆)
朝貢国の王は、中国領地内の郡名で「公」の称号と「正二品若しくは従二品」の官位を受ける。
>>陳寿が思いを巡らして書いた空想の話だから(№157687)と書いた
がね。魏志倭人伝の行程では日本に辿り着かない(猛爆)
>そ、だから実際に消化された、邪馬台国〜帯方郡という逆ルートを辿る
という、シンプルなアプローチをするだけで、あなたのトンデモ説は
ゴミ箱行きなんだ(笑)
前に
邪馬壹国発帯方行きだと、
始発が邪馬壹国→投馬国→不彌國(馬韓)で二国目に馬韓に到着する。
↑
と書いてるがね?(猛爆)
>>未だに妄想が生じるようだな?(猛爆)
>そうでも考えないと、トピック式の「水行」と「始度一海千餘里」との
区別がつかないじゃないですか(猛爆)
ゆえに、陳寿が思いを巡らして書いた空想話といっている。
>>遣唐使が使った百済大船でも、沿岸航法で難波から九州まで一ヶ月もかかっているからね。古代の丸木舟に毛の生えた程度の船での沿岸航法では、更に時間がかかったろうな
>“百済大船”なるものがどんな代物か知らないが、遣唐使の頃は百済滅びた
から現物ないやん(猛爆) で、いわゆる「韓船」なるものは、潮汐差の
激しい黄海向けに、平底で、後に西洋で発明される竜骨(キール)なんて
物もなく、タールもないから水密性の悪く、三角帆なんて物も知らない、
実用性を考えれば、主に櫂で漕ぐ板張りのガレー船タイプなんだけど
(だから私は帆船小説ファンなんだって)?早い訳がない。
しかもだ、気づいていない様だが、自分で三韓を矮小化してしまったから、
百済、ましてや三韓諸国に造船技術など、あろう筈がない(猛爆)
内海と違って外洋を渡る必要に迫られていた倭の船の方が、よほど頑丈
だったと思うけどね。
日本書紀には、
孝徳天皇
孝徳白雉元年に「倭漢直縣らを安芸国に遣わして、百済船二隻を造る」
推古天皇
推古二十六年に「この歳、河辺臣 [名を洩らせり] を安芸国に遣わし、舶(ツム)を作らしむ。・・遂に舶を作りつ。」
とある。倭船では外洋を渡れなかったということだな。(猛爆)
これは メッセージ 158667 (qapla_jup さん)への返信です.
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