Re: …誰か呼んだ(笑)?
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/11/29 20:22 投稿番号: [158663 / 230347]
>そうそう、ワタクシ、それに関連する発見を、幾つかしましたよ。
>1.馬韓で五十数カ国、それに弁韓と辰韓諸国が加わり、更にトピック
脳はここに倭まで押し込むから、耕作面積と食糧需給的に各国の
実態は“国”ではなく“村”(猛爆)
う〜ん、数千人程度(笑)?
面積は現在の市町村程度、人口各国数千人〜大国で数万人程度だろうよ。
>2.もはや「帯方郡が朝鮮半島中西部にあった」で異存がない、と
あるわけが無い。万里の長城が境界だからね。(猛爆)
>3.方位の問題がグチャグチャ。トピック説に従い魏志倭人伝の記述を
逆行し、邪馬台国の帯方郡訪問旅程を辿ろうとすれば、素直に読めば
後の伽耶の事と思われる弁韓の拘邪(韓)国を通る為には、史料に
ない経路を逆行する事に(猛爆)
>陳寿が思いを巡らして書いた空想の話だから(№157687)<
↑
と書いたがね。魏志倭人伝の行程では日本に辿り着かない。(猛爆)
>4.仮にトピック説が正しいとした場合、当時の航海術では背が届く程度の
浅瀬で船を牽引して進む事を「水行」と言い、足の届かない(笑)
場所を、意を決して航行する事を「渡海」と称するらしい(大爆笑)
未だに妄想が生じるようだな?(猛爆)
遣唐使が使った百済大船でも、沿岸航法で難波から九州まで一ヶ月もかかっているからね。古代の丸木舟に毛の生えた程度の船での沿岸航法では、更に時間がかかったろうな。
随書には、遼東百済の本都熊岳城前の渤海湾から沿岸航法で、遼東半島を回りこんで朝鮮半島を南下して済州島まで3ヶ月かかったと記載がある。(猛爆)
>いずれにしろ、
>倭人在帶方東南大海之中依山島
→倭人は帯方(郡)の東南海上の“山島”に集まって暮らす
>從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里
→帯方(郡)から倭に到るには、海岸線沿いに南、その後“東へ”と
進み、(馬・弁)韓各国を歴訪し、“その北岸に”位置する狗邪韓国に
到る。ここまで距離にして七千余里
史料のしょっぱなを無視しないと、そんな寝言は言えませんな。<
脳に隙間が生じると、資料の最初と後では書いてある事に変化が起きる、と妄想できるらしい。
脳の状態が、かなり危険レベルに達してますな。お大事にしてくださいネ。(猛爆)
これは メッセージ 158660 (qapla_jup さん)への返信です.
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