Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/11/08 08:13 投稿番号: [157678 / 230347]
う〜ん、スゴイなぁ。もはや言い返す事がメインで、自分の主張をかなぐり
捨ててるぞ(笑)
>しかしね、魏志倭人伝を議論するにしても、帯方の位置が大まかでも
特定できないと、邪馬台国の位置が判明しない。
いや、このテーマの場合、日本国が過去に朝鮮半島になかった事だけ
証明し、そのベースにあるトピックさんのヘンな漢文解釈を笑いの
ネタにしてれば充分なんですが?
>倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯
所通三十國
倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で
成り立っていて、もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する
者もいたが、今は使者や通訳なしで通ってくるのは、30カ国である
あれ、「島」を原文から削除しやがったぞ(大笑) 原文は
倭人在帯方東南大海之中 依山“島”爲國邑(以下略)
でしょうが。でもって「島」を、現代日本語訳のコピペ元から編集する
のを忘れたか(笑) いや、歪曲を試みて諦めた跡かな?あなたの解釈
じゃ、「大海」を既に無視している時点でダメ。だからこの後に続く
>帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、
南に行ったり東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある
狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。それから初めて海を渡り、
一千里余りで対馬国に着く。
が意味をなしてない。「水行」して「南に東に」行ったりする間、陸上の
移動は一切出て来ない。従って、川を遡って、どこまでも東に行ける訳
ではない以上、朝鮮半島の南端を回って“狗邪韓国”に到る。しかも
トピック説では地続きの筈の“朝鮮半島上にあった倭国”に行くのに、
何故「初めて海を渡」る??朝鮮半島はいつから『列島』になったの
(大笑)?
あとね、無理をせんでも「対馬国」から南は倭に属する小国家という意味
だから。
>對馬國は南北に米の買出しに行くらしい。磁石など無い時代だから、
太陽の上る位置を東とした場合、季節によって太陽の上る位置が
変わる等と理由付けすれば、現在の対馬にでも無理に当て嵌める事が
出来る
上の意味がよく分からんが。下の方でもやっている距離へのこじつけと
同じか?オーバーに表現するのが好きな中国の文献の距離表記など当てに
ならない事は常識なんだけどな(笑) じゃあ『白髪三千丈』と書いた
李白は、9kmも髪が伸びた、と本気で思うのか(笑)?それと、だから
こそ古代の航海は、目印が頼りの沿岸航海が主だったんだけど?つまり、
「大海」を「始度一海千餘里」する事が特筆される所以です。勇ましい
口調とは裏腹に、私の言う通りの事しか返してないやん(笑)
あ、それと書かれたのは中原・帯方郡から倭・邪馬台国への行程でも、
実際に行なわれたのはその逆だから、日が昇る方角を右手に、海流で右に
流される事を頭に入れて一支国〜対馬とジャンプして行けば、目標は到達点
ならぬ「面」ですから。雨だったら?出航しないもん(笑) 夜中に出る
博多から対馬厳原行きの船に乗った事があるが、「外洋船っ!!」ってカンジ
でロープなんかに塩が氷柱(つらら)の様にくっつく航路でっせ?
怖いって。
>次も「又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。」から、この時点で、
通説は既に破綻している。(猛爆)
通説は、対馬〜壱岐〜松浦(佐賀県唐津〜長崎県平戸までの一帯、主に
地理的に佐賀県東松浦半島か?)と、朝鮮半島からどんどん離れて行って、
間違いなく“狗邪韓国”とは地続きではない、と断言してますが(大笑)?
私信:thirteen_satanさん、お元気ですか?トピックさんがしつこいので、
私はまだ相手してます(笑)
捨ててるぞ(笑)
>しかしね、魏志倭人伝を議論するにしても、帯方の位置が大まかでも
特定できないと、邪馬台国の位置が判明しない。
いや、このテーマの場合、日本国が過去に朝鮮半島になかった事だけ
証明し、そのベースにあるトピックさんのヘンな漢文解釈を笑いの
ネタにしてれば充分なんですが?
>倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯
所通三十國
倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で
成り立っていて、もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する
者もいたが、今は使者や通訳なしで通ってくるのは、30カ国である
あれ、「島」を原文から削除しやがったぞ(大笑) 原文は
倭人在帯方東南大海之中 依山“島”爲國邑(以下略)
でしょうが。でもって「島」を、現代日本語訳のコピペ元から編集する
のを忘れたか(笑) いや、歪曲を試みて諦めた跡かな?あなたの解釈
じゃ、「大海」を既に無視している時点でダメ。だからこの後に続く
>帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、
南に行ったり東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある
狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。それから初めて海を渡り、
一千里余りで対馬国に着く。
が意味をなしてない。「水行」して「南に東に」行ったりする間、陸上の
移動は一切出て来ない。従って、川を遡って、どこまでも東に行ける訳
ではない以上、朝鮮半島の南端を回って“狗邪韓国”に到る。しかも
トピック説では地続きの筈の“朝鮮半島上にあった倭国”に行くのに、
何故「初めて海を渡」る??朝鮮半島はいつから『列島』になったの
(大笑)?
あとね、無理をせんでも「対馬国」から南は倭に属する小国家という意味
だから。
>對馬國は南北に米の買出しに行くらしい。磁石など無い時代だから、
太陽の上る位置を東とした場合、季節によって太陽の上る位置が
変わる等と理由付けすれば、現在の対馬にでも無理に当て嵌める事が
出来る
上の意味がよく分からんが。下の方でもやっている距離へのこじつけと
同じか?オーバーに表現するのが好きな中国の文献の距離表記など当てに
ならない事は常識なんだけどな(笑) じゃあ『白髪三千丈』と書いた
李白は、9kmも髪が伸びた、と本気で思うのか(笑)?それと、だから
こそ古代の航海は、目印が頼りの沿岸航海が主だったんだけど?つまり、
「大海」を「始度一海千餘里」する事が特筆される所以です。勇ましい
口調とは裏腹に、私の言う通りの事しか返してないやん(笑)
あ、それと書かれたのは中原・帯方郡から倭・邪馬台国への行程でも、
実際に行なわれたのはその逆だから、日が昇る方角を右手に、海流で右に
流される事を頭に入れて一支国〜対馬とジャンプして行けば、目標は到達点
ならぬ「面」ですから。雨だったら?出航しないもん(笑) 夜中に出る
博多から対馬厳原行きの船に乗った事があるが、「外洋船っ!!」ってカンジ
でロープなんかに塩が氷柱(つらら)の様にくっつく航路でっせ?
怖いって。
>次も「又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。」から、この時点で、
通説は既に破綻している。(猛爆)
通説は、対馬〜壱岐〜松浦(佐賀県唐津〜長崎県平戸までの一帯、主に
地理的に佐賀県東松浦半島か?)と、朝鮮半島からどんどん離れて行って、
間違いなく“狗邪韓国”とは地続きではない、と断言してますが(大笑)?
私信:thirteen_satanさん、お元気ですか?トピックさんがしつこいので、
私はまだ相手してます(笑)
これは メッセージ 157632 (topics_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/157678.html