Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/11/07 09:23 投稿番号: [157632 / 230347]
>なんだ、まだやってたんですか、トピックさん?見苦しい(苦笑)
要するにトピック流『妄想』『精神的な症状』『暫く休めば』というのを
一般的な言葉に置き換えると、
もうギブアップだけど、あわよくば相手が先に下りてくれたら、「勝った」
つもりになれる
という事、ですな(笑)?
甘い。<
楽浪郡址で強弁を貼ってみたものの、一行レスで撃沈され、反駁できずに憎まれ口を叩いて遁走したと思っていたがね?
どうも妄想する事で、脳内に快楽ホルモンが分泌し、脳内がホルホルするらしい。
酒井法子に教えてあげたら?(猛爆)
で、今度は反駁出来ないから、魏志倭人伝に話題を変えて挑戦してみたいという事かね?
しかしね、魏志倭人伝を議論するにしても、帯方の位置が大まかでも特定できないと、邪馬台国の位置が判明しない。
で、一発ノックアウトは気の毒だから、軽くジャブを放っておくと、
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯所通三十國
倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で成り立っていて、
もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する者もいたが、今は使者や通訳なしで通ってくるのは、30カ国である。
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至對馬國其大官曰卑狗福曰卑奴母離所居絶方可四百餘里土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無良田食海物自活乗船南北糴
帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、南に行ったり東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。
それから初めて海を渡り、一千里余りで対馬国に着く。この国では、大官を卑拘といい、副官を卑奴母離という。この国は孤島で、面積は四方四百里余りある。険しい山や森林が多く、道路は禽や鹿の踏み分けた道のようである。千戸余りあるが、良田は無く、海産物を食べて自活しているが、船で南北の方へ米の買いだしに行く。
↑
對馬國は南北に米の買出しに行くらしい。磁石など無い時代だから、太陽の上る位置を東とした場合、季節によって太陽の上る位置が変わる等と理由付けすれば、現在の対馬にでも無理に当て嵌める事が出来る。
が、次で矛盾が出るというわけだ。
↓
又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢林有三千許家差有田地耗田猶不足食亦南北市糴
さらに瀚海という名の海を南の方に千里余り程渡って行くと、一大国(一支国)に着く。
ここでも官を卑狗、副官を卑奴母離という。四方三百里で、竹林や雑木林が多く、三千戸ばかりの家がある。田畑は少しはあるが、食べるのには不足しているので、この国もまた、南北へ米を買いだしに行く。
↑
一大國(一支国)でも、南北へ米を買いだしに行く。らしい。(猛爆)
で、對馬國が面積四方四百里余り、次の一大国(一支国)が面積四方三百里
諸橋轍次編『大漢和辭典』第七巻1135ページ【畿】の項によると、諸侯の冊封される五百里四方を「方千里」と言い、それを「都」と称す。方八百里(四方四百里)は「縣」と言われ、王の子に食封として与えられる面積とある。
また『大漢和辭典』【稍】の項には『正字通』を引用して「王畿六遂、三百里外為稍地、太夫之所食也」とあって、方六百里(四方300里)は稍といい、太夫に食封として与えられる面積とある。
という事で、對馬國を現在の日本の対馬を方八百里(四方四百里)の「県」に当て嵌めた場合、次の一大国(一支国)の方六百里(四方300里)の「稍」に当てはまる島が存在しない。対馬の五分の一しかない壱岐では小さすぎるし、壱岐の北はロシアしかない。(猛爆)
次も「又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。」から、この時点で、通説は既に破綻している。(猛爆)
要するにトピック流『妄想』『精神的な症状』『暫く休めば』というのを
一般的な言葉に置き換えると、
もうギブアップだけど、あわよくば相手が先に下りてくれたら、「勝った」
つもりになれる
という事、ですな(笑)?
甘い。<
楽浪郡址で強弁を貼ってみたものの、一行レスで撃沈され、反駁できずに憎まれ口を叩いて遁走したと思っていたがね?
どうも妄想する事で、脳内に快楽ホルモンが分泌し、脳内がホルホルするらしい。
酒井法子に教えてあげたら?(猛爆)
で、今度は反駁出来ないから、魏志倭人伝に話題を変えて挑戦してみたいという事かね?
しかしね、魏志倭人伝を議論するにしても、帯方の位置が大まかでも特定できないと、邪馬台国の位置が判明しない。
で、一発ノックアウトは気の毒だから、軽くジャブを放っておくと、
倭人在帯方東南大海之中依山爲國邑舊百餘國漢時有朝見者今使早譯所通三十國
倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいる。山の多い島で、国や村で成り立っていて、
もとは百余りの国があって漢の時代には朝貢する者もいたが、今は使者や通訳なしで通ってくるのは、30カ国である。
從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里始度一海千餘里至對馬國其大官曰卑狗福曰卑奴母離所居絶方可四百餘里土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無良田食海物自活乗船南北糴
帯方郡から倭に行くには、海岸に沿って水行しながら韓国を通り、南に行ったり東に行ったりするうちに、倭から見て北岸にある狗邪韓国に着く。ここまでで七千里余り。
それから初めて海を渡り、一千里余りで対馬国に着く。この国では、大官を卑拘といい、副官を卑奴母離という。この国は孤島で、面積は四方四百里余りある。険しい山や森林が多く、道路は禽や鹿の踏み分けた道のようである。千戸余りあるが、良田は無く、海産物を食べて自活しているが、船で南北の方へ米の買いだしに行く。
↑
對馬國は南北に米の買出しに行くらしい。磁石など無い時代だから、太陽の上る位置を東とした場合、季節によって太陽の上る位置が変わる等と理由付けすれば、現在の対馬にでも無理に当て嵌める事が出来る。
が、次で矛盾が出るというわけだ。
↓
又南渡一海千餘里名曰瀚海至一大國官亦曰卑狗副曰卑奴母離方可三百里多竹木叢林有三千許家差有田地耗田猶不足食亦南北市糴
さらに瀚海という名の海を南の方に千里余り程渡って行くと、一大国(一支国)に着く。
ここでも官を卑狗、副官を卑奴母離という。四方三百里で、竹林や雑木林が多く、三千戸ばかりの家がある。田畑は少しはあるが、食べるのには不足しているので、この国もまた、南北へ米を買いだしに行く。
↑
一大國(一支国)でも、南北へ米を買いだしに行く。らしい。(猛爆)
で、對馬國が面積四方四百里余り、次の一大国(一支国)が面積四方三百里
諸橋轍次編『大漢和辭典』第七巻1135ページ【畿】の項によると、諸侯の冊封される五百里四方を「方千里」と言い、それを「都」と称す。方八百里(四方四百里)は「縣」と言われ、王の子に食封として与えられる面積とある。
また『大漢和辭典』【稍】の項には『正字通』を引用して「王畿六遂、三百里外為稍地、太夫之所食也」とあって、方六百里(四方300里)は稍といい、太夫に食封として与えられる面積とある。
という事で、對馬國を現在の日本の対馬を方八百里(四方四百里)の「県」に当て嵌めた場合、次の一大国(一支国)の方六百里(四方300里)の「稍」に当てはまる島が存在しない。対馬の五分の一しかない壱岐では小さすぎるし、壱岐の北はロシアしかない。(猛爆)
次も「又一海を渡ること千余里、末盧國に至る。」から、この時点で、通説は既に破綻している。(猛爆)
これは メッセージ 157629 (qapla_jup さん)への返信です.
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