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Re: 百済と韓国は無関係?その1

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/11/03 10:15 投稿番号: [157497 / 230347]
カプラさん、お久し振りです

天皇賞は取られましたか
私は見事外れでした

白熱した論争が続いていますね
興味深く拝見しています

所で話にも出てくる、古代中国初の
統一王朝、秦について少しだけ


  秦の始皇帝

秦の若き国王、政(せい)は野望に
燃えていた

何時の日か、必ず我が手で
天下統一を成し遂げる!

七ヶ国が群雄割拠する、紀元前
二百三十年頃の中国

北西部に位置する秦は、政の積極的な
人材登用、大規模な土木事業
律令の整備などで、次第に力を付け
隣国の趙   (ちょう)   韓(かん)を
滅ぼしていった

更に勢いに乗り、魏(ぎ)
斉(さい)を打ち破る

やがて矛先は東方の大国、燕(えん)に
向けられた これを危惧した燕は
一人の刺客を放つ

刺客の名は、荊軻(けいか)

荊軻は燕の領土を差し出すと偽り
政の住む宮殿へ入り込む

大王陛下、我が国土を謹んで
献上致します

大儀である、燕は如何なる所か
地図を広げよ

ははっ!

荊軻が地図を広げ、政が身を乗り出した
その時、荊軻は懐に忍ばせた小刀を
取り出し、政に襲い掛かる

数度に渡る攻撃を切り抜け、政は
傍(かたわ)らにあった
太刀で、荊軻を切り捨てる

燕の刺客、討ち捨てたり、直ちに兵を集め
燕に進軍せよ!

政の怒りは凄まじかった、電光石火の
速さで燕に進軍すると、刺客を放った
王族一門、女、子供に至るまで
斬首の刑に処したのである

燕はもろくも滅び去り、残るは南方の
楚だけとなった

当時楚は最大の軍事強国であり、容易に
攻略はならなかった、政は最も信頼する
王煎(おうせん)将軍に六十万の兵を与え
楚の討伐を命じる

この時王煎は、意外な言葉を口にする

陛下、万一勝利の暁には、瀟洒な邸宅を
賜りたく、何卒御聞き届けを

居並ぶ諸将は耳を疑った、あの豪勇無双で
知られる、王煎将軍の言葉とも思えなかった

これには訳があった、六十万と言えば
秦の持つ兵力の殆どであり、王煎が
その気になれば反乱を起こし自ら
王の座に着く事も可能であった

王煎にその意思はなく、ただ小さき
望みのみ   それを政に知らせたのである
勿論政にもその忠誠心は分かっていた

案ずるに及ばず、将軍の望みのままに
成すであろう

この主従の信頼感が、秦を支えていたの
かも知れない、王煎は六十万の大軍を
擁して楚攻略へ向かって行った

紀元前二百二十一年、流石の楚も
秦の大軍の前に敗れここに秦による
統一王朝が実現する

政は、厳かに宣言する

秦が全土を支配する、我は始皇帝なり!

皇帝の名が始めて使われた、皇帝とは
永久にしてこの世を治める者
その始めたる政は、始皇帝と称した
のである

その強大な力は、三十年ほど前発見された
兵馬傭で明らかになっている
一万体を越える実物大の兵士と、騎馬の像が
地下に埋蔵されていたのである

これは黄泉の国に旅立つ、始皇帝を
守る為であった

秦の始皇帝、残虐な行為もあり
後世評価は高くない、しかし中国に
初めて、統一王朝をもたらした
人物として近い将来、再評価の時が
やって来るかも知れない

秦、発祥の地では今でも尊敬を込めて
始皇帝を大王、政(せい)と呼んでいる
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