Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/10/28 20:12 投稿番号: [157272 / 230347]
>>過去レスを要約するなら、素直に投稿Noを示すか、歪曲したと自白
すれば済むことだ
>『歪曲』と言えば、コレは(笑)?
ほんとに見苦しいね?(憐憫)
すり替え、歪曲、愚痴を言う暇があるなら、投稿Noを示すか、歪曲したと自白すれば済むことだ。
>『後漢書』東夷傳 韓条
弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接。凡七十八國、伯濟是
其一國焉。
↑
普通に読めば、馬韓の南と倭が接してるでしょうが?「馬韓と大海を
隔てて倭国がある」ともでも読めるのかね?(トピック№156484)
上の引用は、私が№157162でした
>韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰。馬韓在西、有五十四國、
其北與樂浪、南與倭接。辰韓在東、十有二國、其北與■貊接。
弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接。
(引用者注:■部は「さんずいへん」に「穢れ」の右側で“ワイ”)
と同じ箇所について言っているよね?しかし私は、同時に同書倭人伝から
>倭在韓東南大海中、依山島為居、凡百餘國。
という記述を拾って来て、併記しましたが?あなたと違い、日本語訳・
リンク付きで(笑)?この恣意的な、『倭人伝』の方に相手があわよくば
気づく事無く終わってくれというセコい了見が手に取る様に分かる魂胆は、
『昔朝鮮半島に倭国があった』という珍説で、何とか相手を丸め込もうと
した跡じゃなくて、何なの?<
引用が少ないと歪曲というのかね?(猛爆)
>>また、前投稿で示した「契丹古伝」も、奉天城外の黄寺に駐屯していた
浜名寛祐が古陵墓より発見された秘物で、巻物原本は日本に持ち帰った
が、写本が残るのみで、巻物原本は行方不明。
>あれ?トピックさんは戦前の日本の学者が発見に関わった調査は全て
信用しない、軍が関与していたら尚更、というスタンスかと思って
ましたが(大笑)?
極力古い写本で、内容もさる事ながら、写本自体のインク(墨)・紙の
組成、経年劣化も含めた鑑定に耐えられない書物に、史料価値はゼロ
です。私は西洋絵画ファンでもあるから。
文字が読めたから写本が出来たという事だ。平安期の巻物を考えれば分かる話。
>>倭の5王時代位まで、朝鮮半島に倭国が存在している
>文頭に挙げた様に『後漢書』倭人伝はそうは書いていませんが(大笑)
書いてあるが?
No.157165を読んでいないのかね?(猛爆)
倭在韓東南大海中、依山島為居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。樂浪郡徼去其國萬二千里、去其西北界拘邪韓國七千餘里。其地大較在會稽東冶之東、與朱崖、儋耳相近、故其法俗多同。
倭は韓の東南、大海中の山島に拠って暮らす。およそ百余国。前漢の武帝が朝鮮を滅ぼしてより、漢に使訳(使者と通訳)を通じてくるのは三十国ほど。国では皆が王を称することが代々の伝統である。そこの大倭王は邪馬臺国に居する。楽浪郡の境界から、その国までは一万二千里。その西北界の拘邪韓国から七千余里。その地は凡そ会稽郡東冶の東に在り、(海南島の)朱崖やタン耳と相似しており、その法俗も多くが同じである。
楽浪郡境界から邪馬台国まで一万二千里(後漢の1里は75mだから、900km)。
その(邪馬台国)の西北界にある拘邪韓国(此処までは朝鮮半島だから、邪馬台国は朝鮮半島にあったというわけだな。)
から7000里(525km程度)にある国は、会稽郡東冶(福建省福州付近)の東に在り、(海南島の)朱崖やタン耳と相似しており、その法俗も多くが同じである。
↑
という事で、これは台湾の事だな。(猛爆)
朝鮮半島に邪馬台国まであるんだから合ってるではないか?
すれば済むことだ
>『歪曲』と言えば、コレは(笑)?
ほんとに見苦しいね?(憐憫)
すり替え、歪曲、愚痴を言う暇があるなら、投稿Noを示すか、歪曲したと自白すれば済むことだ。
>『後漢書』東夷傳 韓条
弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接。凡七十八國、伯濟是
其一國焉。
↑
普通に読めば、馬韓の南と倭が接してるでしょうが?「馬韓と大海を
隔てて倭国がある」ともでも読めるのかね?(トピック№156484)
上の引用は、私が№157162でした
>韓有三種:一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁辰。馬韓在西、有五十四國、
其北與樂浪、南與倭接。辰韓在東、十有二國、其北與■貊接。
弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接。
(引用者注:■部は「さんずいへん」に「穢れ」の右側で“ワイ”)
と同じ箇所について言っているよね?しかし私は、同時に同書倭人伝から
>倭在韓東南大海中、依山島為居、凡百餘國。
という記述を拾って来て、併記しましたが?あなたと違い、日本語訳・
リンク付きで(笑)?この恣意的な、『倭人伝』の方に相手があわよくば
気づく事無く終わってくれというセコい了見が手に取る様に分かる魂胆は、
『昔朝鮮半島に倭国があった』という珍説で、何とか相手を丸め込もうと
した跡じゃなくて、何なの?<
引用が少ないと歪曲というのかね?(猛爆)
>>また、前投稿で示した「契丹古伝」も、奉天城外の黄寺に駐屯していた
浜名寛祐が古陵墓より発見された秘物で、巻物原本は日本に持ち帰った
が、写本が残るのみで、巻物原本は行方不明。
>あれ?トピックさんは戦前の日本の学者が発見に関わった調査は全て
信用しない、軍が関与していたら尚更、というスタンスかと思って
ましたが(大笑)?
極力古い写本で、内容もさる事ながら、写本自体のインク(墨)・紙の
組成、経年劣化も含めた鑑定に耐えられない書物に、史料価値はゼロ
です。私は西洋絵画ファンでもあるから。
文字が読めたから写本が出来たという事だ。平安期の巻物を考えれば分かる話。
>>倭の5王時代位まで、朝鮮半島に倭国が存在している
>文頭に挙げた様に『後漢書』倭人伝はそうは書いていませんが(大笑)
書いてあるが?
No.157165を読んでいないのかね?(猛爆)
倭在韓東南大海中、依山島為居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。其大倭王居邪馬臺國。樂浪郡徼去其國萬二千里、去其西北界拘邪韓國七千餘里。其地大較在會稽東冶之東、與朱崖、儋耳相近、故其法俗多同。
倭は韓の東南、大海中の山島に拠って暮らす。およそ百余国。前漢の武帝が朝鮮を滅ぼしてより、漢に使訳(使者と通訳)を通じてくるのは三十国ほど。国では皆が王を称することが代々の伝統である。そこの大倭王は邪馬臺国に居する。楽浪郡の境界から、その国までは一万二千里。その西北界の拘邪韓国から七千余里。その地は凡そ会稽郡東冶の東に在り、(海南島の)朱崖やタン耳と相似しており、その法俗も多くが同じである。
楽浪郡境界から邪馬台国まで一万二千里(後漢の1里は75mだから、900km)。
その(邪馬台国)の西北界にある拘邪韓国(此処までは朝鮮半島だから、邪馬台国は朝鮮半島にあったというわけだな。)
から7000里(525km程度)にある国は、会稽郡東冶(福建省福州付近)の東に在り、(海南島の)朱崖やタン耳と相似しており、その法俗も多くが同じである。
↑
という事で、これは台湾の事だな。(猛爆)
朝鮮半島に邪馬台国まであるんだから合ってるではないか?
これは メッセージ 157270 (qapla_jup さん)への返信です.
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