Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/10/24 22:42 投稿番号: [157004 / 230347]
>戦前の日鮮同祖論に基づく日本人の発掘調査など何の意味もない。改竄
されているからね
そう言って誤魔化すと思っとったよ(大笑) だが、史書もその時の
編纂者のとそのクライアントの意向によって記事の取捨、歪曲がなされ
する事を、まさか否定すまい?文句は現在も尚そのストーリー上で学術
調査をしているらしい、『檀君の墓』さえ発見したらしい、北朝鮮に
言え(大笑)
それにしても、偽の文化財なんぞ埋めて、当時日本に何の得があった??
意外とマニアさんのコレクションを埋め直していたりしてね(笑)しかし
「セン(つちへんに專、中国焼きレンガ)を墳墓に埋めるのも、大変
だぞぉ?
あ、同様の玄室構造を持つ武寧王の墓(1971年発見)も、ひょっとしたら
日帝のイタズラかもしれん(猛爆)
…つまらん切り返しするなよ。そこに埋まっていた物で、且つ現在のところ
贋作説など出ていない。いかようにでも読める史料と違って、学術的に
確かなもんだよ。
>中国の史書が、朝鮮半島に進出した事実がないと書いているからね。
(猛爆)
…と書いてある『鶏林旧聞録 巻四』なんて史料知らんなぁ、と思って
検索してみたら、出ました、トピックさんの師匠山形明郷。何々、
>民国二年成立、魏和声氏の著『鶏林旧聞録巻四』の中に次の如き記録が
見られる
(中華)民国二年、て事は1914年か。辛亥革命と第一次大戦の間の激動の
時代にヒマな人もいたモンだ。言うなれば「満州族史観」ってトコか。
しかしこれは、考古学などという学問が中国になかった時代の物好きが
書いて、その後平壌の楽浪郡址発掘が発表されてゴミになった本じゃない
の(猛爆) 偽書かもしれんし、二千年後に「行った」だけで何もかも
分かるなら苦労はない。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h41.htm
『元史巻五九史第十一地理二』だけど、
>東寧路、本高句麗平壌城、亦曰長安城。
漢滅朝鮮、置楽浪、玄兔郡、楽浪地也。
晋義熙后、其王高蓀始居平壌城。
唐征高麗、抜平壌、其国東徒。
在鴨緑水之東南千余里、非平壌之旧。
上記の文末は、『地理』史だけに、
「元が高麗統治の為においた東寧府は元の高句麗の平壌城である。漢の
時代、この地方には楽浪郡が置かれ、中国が撤退して初めて平壌城は
高句麗の物になった。唐が高麗(←注:高句麗ではなく“高麗”、
朝鮮半島全体を指す)を攻めた際、平壌は陥落し、その領土(または都)
は東に移動し、(統一新羅時代の間じゅう)鴨緑江の南東約千里の領土と、
平壌が復旧・回復される事はなかった」
だと思うぞ、私は?実際統一新羅は、頑なに都を金城(慶州)から動かさ
なかったそうじゃない?トピック史観によると、フラフラして落ち着か
なかった扶余国と違って(笑)
高句麗滅亡後、問題の地域が荒廃するに任せていた事を指すんだと思うな。
自分で解釈出来、且つ大体の通史を知っていると、受売りじゃない自分の
考えが持てるんだな(笑) 大体原文、「其国東徒」と「在鴨緑水之東南
千余里」の間が、「句点(。)」じゃなく「読点(、)」だったじゃねぇ
か。
されているからね
そう言って誤魔化すと思っとったよ(大笑) だが、史書もその時の
編纂者のとそのクライアントの意向によって記事の取捨、歪曲がなされ
する事を、まさか否定すまい?文句は現在も尚そのストーリー上で学術
調査をしているらしい、『檀君の墓』さえ発見したらしい、北朝鮮に
言え(大笑)
それにしても、偽の文化財なんぞ埋めて、当時日本に何の得があった??
意外とマニアさんのコレクションを埋め直していたりしてね(笑)しかし
「セン(つちへんに專、中国焼きレンガ)を墳墓に埋めるのも、大変
だぞぉ?
あ、同様の玄室構造を持つ武寧王の墓(1971年発見)も、ひょっとしたら
日帝のイタズラかもしれん(猛爆)
…つまらん切り返しするなよ。そこに埋まっていた物で、且つ現在のところ
贋作説など出ていない。いかようにでも読める史料と違って、学術的に
確かなもんだよ。
>中国の史書が、朝鮮半島に進出した事実がないと書いているからね。
(猛爆)
…と書いてある『鶏林旧聞録 巻四』なんて史料知らんなぁ、と思って
検索してみたら、出ました、トピックさんの師匠山形明郷。何々、
>民国二年成立、魏和声氏の著『鶏林旧聞録巻四』の中に次の如き記録が
見られる
(中華)民国二年、て事は1914年か。辛亥革命と第一次大戦の間の激動の
時代にヒマな人もいたモンだ。言うなれば「満州族史観」ってトコか。
しかしこれは、考古学などという学問が中国になかった時代の物好きが
書いて、その後平壌の楽浪郡址発掘が発表されてゴミになった本じゃない
の(猛爆) 偽書かもしれんし、二千年後に「行った」だけで何もかも
分かるなら苦労はない。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/h41.htm
『元史巻五九史第十一地理二』だけど、
>東寧路、本高句麗平壌城、亦曰長安城。
漢滅朝鮮、置楽浪、玄兔郡、楽浪地也。
晋義熙后、其王高蓀始居平壌城。
唐征高麗、抜平壌、其国東徒。
在鴨緑水之東南千余里、非平壌之旧。
上記の文末は、『地理』史だけに、
「元が高麗統治の為においた東寧府は元の高句麗の平壌城である。漢の
時代、この地方には楽浪郡が置かれ、中国が撤退して初めて平壌城は
高句麗の物になった。唐が高麗(←注:高句麗ではなく“高麗”、
朝鮮半島全体を指す)を攻めた際、平壌は陥落し、その領土(または都)
は東に移動し、(統一新羅時代の間じゅう)鴨緑江の南東約千里の領土と、
平壌が復旧・回復される事はなかった」
だと思うぞ、私は?実際統一新羅は、頑なに都を金城(慶州)から動かさ
なかったそうじゃない?トピック史観によると、フラフラして落ち着か
なかった扶余国と違って(笑)
高句麗滅亡後、問題の地域が荒廃するに任せていた事を指すんだと思うな。
自分で解釈出来、且つ大体の通史を知っていると、受売りじゃない自分の
考えが持てるんだな(笑) 大体原文、「其国東徒」と「在鴨緑水之東南
千余里」の間が、「句点(。)」じゃなく「読点(、)」だったじゃねぇ
か。
これは メッセージ 156995 (topics_jk さん)への返信です.
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